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満中陰法要(四十九日)で。

おはようございます。今朝も勢いで書きます。

親戚の叔父さんが亡くなって、満中陰の法要が行われた。いま、両親は病院や施設にいて行けないために、私が代わりに行ってきた。そのお家に着くと、すでに親戚の方々が集まっていた。

さて、私が子供のころは、母親に連れられて、そのお家にはよく行っていた。夏休みや冬休みなど、長い休みになれば、車やバスだと30分ほどで行けるので、母と弟と一緒に必ず行っていた。それは母の里帰りでもあった。

私の実家は海のすぐ近くにあるのだが、その親戚のお家は山の近くにある。日ごろは海でばかり遊んでいた私にとっては、山や川で遊ぶのは珍しくて、楽しかった思い出がある。

そのころも、法事があると、家族で行っていた。当時は、たくさんの親戚の人が集まって、大人も子供も楽しそうに過ごしていた。大人は美味しい料理とお酒も飲んで、みんなと楽しそうに話していた。

お母さんたちは、料理をつくったり、お酒を用意したりして、忙しそうにしていた。そして、子供たちは、大人とは別の部屋で、子供だけでごはんを食べ、おやつも楽しんでいた。

ただ、酔っぱらった酒臭いおじさんが話しかけてくる。一緒に話すこともあったし、将棋やトランプで遊んでもらった記憶もある。

子供のころの、懐かしい思い出だ。

昭和50年(1975年)ごろに撮影

これが、そのころの写真。まだ、土壁のお家だった。玄関には大きな土間があり、そこには釜戸もあった。また、一頭の牛もいた。家のなかで、牛を飼っていたのだ。お風呂は、五右衛門風呂。

これ、そんな昔のことではない。ほんの50年前のことである。

現代は、たくさんの親戚の人が集まって、法要をおこなうことも減っていることだろう。女の人たちが朝早くから集まって料理をするのも、時代錯誤になった。

兄弟の人数が少なくなり、親戚が減っていることもあり、お葬式も、少人数で行う家族葬が増えている時代だ。

よく言われるのは、「昔と違って、今は人と人の関係性が薄くなっているからね。」ということ。しかし、これは本当だろうか。また、なぜ、そうなっているのだろうか。

私が思うには、生活の拠点が50年前と比べれば、ひろがったことがあると思っている。

昔は生まれた地で大人になり、仕事を見つけて、結婚もして、子供も産んで、生まれた地で暮らし続けていく。嫁ぎ先が離れると言っても、隣町くらい。そんな暮らしをする人が多かった。そうなると、親戚の人たちとも、すぐ近くで暮らし、会うことも多かったはずだ。

それが、いまは、日本全国にひろがった。そうすると生まれた地で暮らし続ける人が減る。地方から東京など都会へでて、田舎へは帰らない人も多い。

つまり、昔と比べると、距離が遠くなり、会うことも減った。それによって、心理的な距離も遠くなった。

そして、これからはグローバルな世界に、ますますなっていく。国際結婚も増えていくだろう。これまでの50年は、生まれた地から日本全国にひろがる50年だった。それが、これからの50年は、生まれた地から世界へひろがっていく50年となるのかもしれない。

50年後は、どのような景色が見えるようになっているのだろうか。
私も50才を過ぎ、50年前と50年後を考えられるようになった。

親戚の人たちに思いを寄せて、今日もステキな一日に。

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