邂逅
「教授、もう帰りましょうよー」
「んーそうだねー」
見渡す限りの海と空。青く澄み切った大海原に浮かぶボートに二人きり。これが年頃の男女であれば一夏の恋に落ちるなんて発展もあるのかもしれないが、残念な事にここにいるのは野郎二人だけだった。
「このままだと集合時間に遅れちゃいますよ」
「それは困るなー。じゃあこれで最後にしようか」
そう言って教授はドプンと海に飛び込んだ。
「ちょっと! もおおお」
どこまでもマイペースな教授にため息と言葉を吐き出しながら手早く潜水装備を身に付ける。助手としての責務を果たすべく体と意識を海に沈めた。
「ソウマ君、E5地点ね」
マイク越しに響く声が示す方向、先を泳ぐ教授の背を見つけ追い付く。
「E5は一昨日調べた時何も出ませんでしたよ」
「どうも潮の流れが気になってね。海図にある地形通りならあんな流れにはならないはずなんだ」
言われて頭に叩き込んだ海図を思い出す。昼行灯とかくらげ教授とか言われているこの人の優秀さを感じるのはこういう時だ。
「おや。我々を歓迎してくれているよ」
見上げた先で銀鱗がきらめいた。大きくうねりながら光を反射する魚の群れ。幾重にも重なる陽光のオーロラの中、一つの大きな生き物のように悠然と泳ぐ。
「何度見ても凄いですね」
「うん、美しい」
青く透明な海は生き物達の揺り籠だ。豊かな珊瑚や海藻達が優雅に踊り、その森で色とりどりの小魚達が遊ぶ。空へ昇る気泡を蹴散らし泳ぐ大型魚。岩場の影ではタコ、ヒトデ、ウニといった神様のデザインセンスを感じる生き物達がゆったりとくつろいでいた。
「ソウマ君、様子がおかしい」
それは目的の地点に到着した時だった。珍しく強張った声でしゃべる教授につられ辺りを見回す。魚群が何かに弾かれたように散り、海底や岩場に見えていた生き物達が一斉に姿を隠す。視界の隅に大型魚が全速力で遠ざかる姿が映った。
「シャチでも来るんでしょうか」
「だといいんだが」
ごうと音が聞こえた。海水を媒質として伝播する音は空気中にいるより聞き取り辛い。その上今は潜水装備に身を包んでいる。この状況でどんどん大きくなる音に魚達でなくとも危機感が募る。
「――来る!」
聞き返すより先に衝撃が全身を襲った。圧倒的な潮の流れ。体を動かすことも出来ぬまま突如現れた海流に飲み込まれる。洗濯機に放り込まれた気分だった。体中が引っ張られ上下左右の感覚が失われていく。暗くなる視界の中、ごうごうという音だけが耳に残った。
「――マ君、ソウマ君!」
目の前に見慣れた顔。
「教……授?」
「良かった。怪我はないかい?」
「えっと、節々が痛い気がしますが筋肉痛レベルです」
「そうか。良かった」
ぼんやりとした頭を振って思い出す。海は元の穏やかな姿に戻っていた。
「さっきのは一体」
「あれが何かは分からないが、僕等は未調査地区に辿り着いたみたいだよ」
「未調査地区?」
教授が無言で背後を見た。思わず振り返る。
「っ!?」
それは巨大な海洋生物の卵に見えた。薄い被膜の中に夜光虫の輝きに似た蛍光色のどろりとした液体が詰まっている。その中心に居るのは――
「――龍?」
そうとしか形容しようがなかった。鱗に覆われた巨体、鋭い爪と牙、蛇に似た尾、魚のひれを思わせる大きな翼。その呼吸に合わせるように周囲の蛍光色が明滅する。
「まるで生きてるみたいだ」
「……まさか。そんなことあり得ない、だって――」
「シッ……!」
龍は騒がしい来訪者に気付いたのかゆっくりとその顔をこちら側に向けた。
***
会話お題
「まるで生きてるみたいだ」
「……まさか。そんなことあり得ない、だって――」
「シッ……!」
by れとろ(https://note.mu/retro09)