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翳に沈く森の果て #1 月

 (今日は月が見当たらないな?)
 
 璃乃(アキノ)は昼夜を問わず、時々ベランダから空を眺めることが好きだ。今日も家のベランダから見える範囲の直線的な夜空に月を探していた。いつか何かの投稿で見かけた家庭向けの天体望遠鏡で撮影したという写真を見て驚愕したのを思い出した。とても小さくぼんやりとではあったけれど璃乃の知っている木星や土星の輪がきちんと映し出されていたのだ。自分の目で見ていたわけではないのに、レンズを覗いている気持ちになっていたのか、ああ本当に・・と言う想いと同時に、胸の辺りが緊張すると同時に何かが込み上げてきて涙が溢れた。

 「いつか買えるような値段だったら、小さな天体望遠鏡を買ってレンズを通して自分の目で夜空を見てみたいな」そう思った。


 璃乃はどうしてか、海が好きだ。いつからかは記憶がないけれど、いつしか「海がなければ無理だ」という感覚が強いと認識するようになっていた。けれど最近は木々に触れたい衝動が押し寄せて、ここに住んで十年以上になるが、気になっていたもののまだ行ったことのない森林へ足を運びたくなっていた。

 
 今日はとてもいい天気だからあれこれ考えてしまう自分を抑えるように古い腕時計をつけさっとおにぎりを作ってお茶と本、そのほか衝動的に持っていきたいものを鞄に入れてとりあえず家を出た。

 寒さも和らいで気持ちのいい風を久々に感じられるようになってくると気持ちも暖かくなるようで嬉しくなり、車に乗って好きな曲を聴きながら山の方へ向かった。

 ただ山の途中で脇道へ降りていかなければならなかったのか、ナビ上からその森がいつしか消えて見失ってしまった。以前にも一度来てみようとしてこのルートでは辿り着けず諦めたことがあったのを思い出した。何となく遠い場所。ところがこの森の先にももう一つ気になっていたある神社に辿り着いた。前回、道に迷った時にも参拝せずに場所を確認しただけで何となくまたの機会に、と家に戻ったことがあった。

 今日は道を間違えたのかと思っているうちに以前参拝しなかったその神社に着いていた。以前よりずっと近く感じた。せっかくだからこの山々を守っている神様?にご挨拶をしていこう。そう思って財布に一つだけあった五百円玉をデニムのポケットに入れて初めて辿り着いた小さなお社を参拝した。

 なるほど、山だから麓に水を届けている龍もお祀りしているのか。璃乃はこの大好きな地にご縁をいただいたことと初めてご挨拶に来られたことの感謝を心の中で呟いた。

 それから改めてやっぱりこんないい天気の日にこそあの森へ行こう!と検索してみると情報の欄には「24時間営業」と書かれていた。「そりゃあそうだけど・・」と何とも言えない気持ちでもう一度ナビを設定して出発した。

 かなり遠回りになったけれど、璃乃はようやく目指した森に辿り着いた。入り口を入っていくと子供達が走り回ったりして遊んでいる声に口角が上がった。遠くで鳴る飛行機のエンジン音も丸められて山肌に反響してはしばらくして消えていった。立ち止まると枝が抱えるたくさんの葉が揺れているのがなんだか囁きのように感じた。

「ん?」

 それから木々の枝が重なるそのずっと向こうにある雲がゆっくりと動いているのを眺めながら、『風は見えない。でも目で、耳で感じて、土や新緑の匂いを鼻で感じさせて、空気が含む湿度や肌から奪う熱の量を皮膚で感じさせる…見えないけど確かに何かを動かしているエネルギーが絶えずある、のか・・こんな静かな場所に来ないと気が付かないことだよなあ」と、そんなことを思いながら璃乃はとても気持ちのいい場所をゆっくりとさらに進んでいった。

 

 初めて訪れた森はとても気持ちが良く、小さな橋を渡るとその下には小さな沢が流れていた。

 その時、あたりを覆う木々が大きく揺れ激しい葉音を鳴らすのを右左と見渡すと、高く昇った太陽の下をふわりと雲が通ってその光を遮ったのかな、と思うような翳りと少し強い風を感じた。一瞬だったから気のせいかなとまた周りを見渡してみたけれど、空に大きな鳥が一羽横切って行っただけだった。それ以外は雲ひとつない空のままだった。


 その後、さらに木々が生い茂る緑の中を進んでいくと木の根元は苔で覆われて、おそらく落雷や虫などから受けた大きな傷にも負けず結構な樹齢だろう木々から絡むように伸びる根は蛇のようにうねり地面に潜り込んでいるようで、一つ一つがこの森を、山を支えているように見えて、長い年月をかけて作ってきたのだろうなと分かりそうもない悠久の時を璃乃は想像した。

「おぉ・・」

 すぐ傍にある崖になっている斜面が気になった。森の絨毯ってどんなふうになっているのかな?リスとか小動物なんかいないのかな?とちょっとした好奇心だった。


 ザザザっと足が滑った。







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