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「二つの栃木」の架け橋 小口一郎展 足尾鉱毒事件を描く 栃木県立美術館 レポート
栃木県立美術館で足尾鉱毒事件を木板表現した小口一郎の展示を行っています。2023年3月26日(日)まで。
栃木県小山市出身で版画家として活躍した小口一郎(こぐち・いちろう、1914-1979)の全貌を、そのライフワークとなった足尾鉱毒事件を主題とした作品を中心に紹介します。
幼少期より絵画に秀でた才能を示した小口一郎は、1946年に鈴木賢二らが結成した日本美術会の北関東支部の活動に参加し、本格的に木版画を手がけるようになると同時に、仲間たちとともに、絵画教室での指導やサークル活動に熱心に取り組んでいきました。その一方で、やがて足尾鉱毒事件と田中正造のことを知って大きな衝撃を受け、広く世に伝える方法を模索し始めます。まずは、足尾銅山の鉱毒被害に苦悩する旧谷中村の農民たちと田中正造のこと、次に、厳寒の佐呂間へ移住した人々の生活と帰郷への思い、そして最後に、足尾銅山の坑夫たちの労働問題を取り上げ、それぞれ連作版画《野に叫ぶ人々》(1969年)、《鉱毒に追われて》(1974年)、《盤圧に耐えて》(1976年)の3 部作にまとめ上げました。これらは小口一郎の代表作として、今なお、高い評価を得ています。
《鉱毒に追われて》に描かれたように、明治期、鉱毒被害に遭った旧谷中村や渡良瀬川流域の農民たちは、北海道開拓移民として佐呂間の原野にわたり、「栃木集落」を形成しました。その後、歳月を経て、彼らが栃木県への帰郷を果たしたのは、1972年のことです。このとき、小口一郎が自ら帰郷運動の世話役を務め、当時の栃木県知事が受け入れを表明したことで、ようやく実現にいたりました。すなわち、2022年は、栃木県立美術館の開館50周年であると同時に、「もう一つの栃木」から帰郷して50年の節目の年にあたります。
開館50周年を記念して企画される本展は、小口一郎研究会の全面的な協力を得て、初めて連作版画《野に叫ぶ人々》、《鉱毒に追われて》、《盤圧に耐えて》の全点を一堂に展観するものです。あわせて油彩画や版画作品なども紹介し、約300点で知られざる美術家、小口一郎の生涯を回顧します。
第1章
画家・小口一郎
足尾鉱毒事件を描いた連作版画が知られる小口ですが、独学で習った油彩画をその初期から晩年まで間断なく制作していました。没後、ほぼ発表の機会がなかったその油彩画、そして多色刷りの木版が今回展示されています。
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初期の油絵
小憩(失対) 1951
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資料
版画運動や版画新聞など
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多色刷の木板
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自画像 1974
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油彩画のモチーフが版画に活かされている作品など
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仲間たちと
小口は子供対象の絵画教室や大人たちのサークル活動も支援・指導し、無着成恭「山びこ学校」を始め多数の講習会も開いています。「4Bサークル」「栃木美術協会(とちび)」でなどは地域の若い労働者が自宅アトリエで絵を描いたり版画制作をしており、記録集にはスケッチ旅行の様子も収められています。
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資料
とちび機関紙や4B美術サークル会報
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第2章
野に叫ぶ人々
日本美術会北関東支部活動や鈴木賢二や新居広治らと交友から故郷での問題、足尾銅山の鉱毒事件を小口は知ります。田中正造と足尾鉱毒事件との関係を知るのは1950年前後、徳田球一の演説に感激したことがきっかけで、その後の取材と事件の経緯を整理し制作を始めます。
10年以上の歳月を掛けて、1968年に《野に叫ぶ人々》の連作30点を完成、助言を受け改変・追加後に、第22回日本アンデパンダン展で表題と解題を含む全37点を展示、大きな反響を呼んで全国で20回も展示紹介されました。翌70年には表題を含まない全36点が画集にまとめられ、映画制作もされました。映画のために4点が追加制作され全40点となりました(現存は39点)。
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第3章
鉱毒に追われて
《野に叫ぶ人々》の展示会や映画上映に忙殺されていた小口は旧谷中村出身北海道開拓移民について調査、帰郷請願運動に尽力し栃木県内協力者を求める小池義孝と出会います。小口は「一美術家ではなく歴史を知った以上は人間としてこの問題と向き合いたい」と覚悟を決め、本格的に調査を開始しました。
1971年には栃木県知事に帰郷請願書を渡し、同年に佐呂間町へ出向き取材を重ね、戻ると制作を行い、デッサンが34枚できた頃に北海道の冬を体感するため再び佐呂間町へ行き、翌年に希望者の帰郷も実現するなど、帰郷運動とともに進められた活動でした。当初の仮題は《望郷》でしたが現代的な問題であると考え、《鉱毒に追われて》というタイトルになります。
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第4章
盤圧に耐えて
小口は「これまでの仕事は被害を受けた農民の方だけだった」と気づき、鉱毒事件の全体像を描き出すため加害者側、足尾銅山内部を版画にします。銅山労働者が不当解雇に対し完全勝利した闘争経緯を聞いて感動したのも制作の契機でした。
鉱脈発見から閉山までの歴史を古河資本と鉱山労働者の関係に焦点をあて、歴史的に扱うため、近代化以前の共同体、飯場制度や、ロシア革命など多岐にわたる主題で80枚の大作となりました。連作版画全3作は日本アンデパンダン展で発表され「三部作で一つのテーマの追求がしめくくられたが、足尾鉱毒事件は今も多くの問題を残し現実には終わっておらず、作品を完成させる20年の歳月を通して、マイナスはひとつもなく調査や取材による多くの人たちとの出会いと歴史の事実を知った」と創作活動を総括し、本作発表から3年後1979年に小口は亡くなります。
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第1章はこれまであまり紹介されてこなかった多色刷りの木板や油彩画などの作品を紹介、広いスペースを割いて多くの作品と資料を展示しており小口の多様な表現を丁寧に紹介している力の入った章です。
第2~3章は代表作であり足尾銅山鉱毒事件三部作の全貌を見渡せる、全点を展示する大規模なものです。絵につけられた解題が丁寧に文字起こしされキャプション(と図録)に書かれており、集められた資料とともにより深く作品を知ることができます。
作家に彫られた絵や文字の造形による熱だけでなく、学芸員による静かな熱も伝わってくるような展示となっています。
一方、今とは時代が違い、社会背景や政治運動のわからなさも出てきますし、制作においてもなぜ木板なのかという疑問もあり、そのあたりの解説もあると良さそうでしたが、小口の多くの絵と文字でお腹いっぱいになりますし、展示は小口の全仕事紹介へ全力を注いだ展示なので、メタな解説はないようですけれども、過去に別館で行われた展示がそれをテーマに詳細な紹介をしています。そちらを参照することで本展をより深く知ることにもなるのではないでしょうか。
例えばこのあたりの展示図録を読んでみるのはいかがでしょう?
闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s アーツ前橋
https://www.artsmaebashi.jp/?p=12321
彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動 工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった 町田市立国際版画美術館
http://hanga-museum.jp/exhibition/past/2022-512
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小口の作品と資料の管理は本人と深く交流をしていた篠崎清次さんが代表をつとめる小口一郎研究会が管理をしていて、その協力があって本展は成立しているそうです。また篠崎さんが語るには、社会問題をテーマに熱い作品を作っていた小口ですが、本人はいたって気さくな、お酒とたばこが好きな方で、入口に掲げられた肖像画はまさに小口らしさが伝わってくる写真とのことでした。
会期:2023年1月21日[土]-3月26日[日]
時間:午前9時30分から午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日
場所:栃木県立美術館
主催: 栃木県立美術館、下野新聞社
協力: 小口一郎研究会
特別後援:佐呂間町、佐呂間町教育委員会
後援: 朝日新聞宇都宮総局、宇都宮コミュニティFM ミヤラジ、NHK 宇都宮放送局、エフエム栃木、産経新聞社宇都宮支局、東京新聞宇都宮支局、とちぎテレビ、栃木放送、日本経済新聞社宇都宮支局、毎日新聞社宇都宮支局、読売新聞宇都宮支局
http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t230121/index.html
画像は許可を得て撮影したもので、展示室の実際の明るさに近い明度で作成しています。
レビューとレポート