見出し画像

美術にとって小説とは何か——伊藤正人「小説の美術」について 安井海洋

1

 小説とは何か。近代に突如として現れたこのジャンルの全貌は、未だ明らかでない。しかしながら、たとえ答えが出せなくとも、伊藤正人について語るうえでこの問いは念頭に置いておく必要がある。なぜなら「美術にとって小説とは何か」という、先ほどの問いよりは一回り小さいが、やはりおよそ答えようのない大きな問いが、彼の作品を貫いているからだ。この難問について考えることが、わずかの間でも彼とともに走るほとんど唯一の方法だといえる。
 小説=散文は美術から遠く離れたジャンルである。Ut pictura poesis(詩ハ絵ノ如ク/絵ハ詩ノ如ク)の教義が示す通り、古くから絵画の同伴者は韻文であった。言語は概念の領域に属するものである。眼前の石ころひとつさえ、どれほど言葉を尽くしても表しきることはできない。そのかわりにただ一言「宇宙」と言うだけで、宇宙の無限のひろがりを示すことができる。近代に小説が登場し、そこから分離したことで、詩は内面・感性への接近にいっそう専念できるようになった。物質を担う美術に対して概念を担う詩というふうに、両者は互いを区別しつつも交流を結んできたのである。
 他方、散文は韻文に比べ、感性よりも理性のほうに接近している。それゆえ、出来事を言語によって再現する”描写”を技法として確立させることができた。だが、絵画を前にしたときに散文にできることといえば、画家が苦労して現実を色彩に置き換えたものを、無粋にも言語による説明に落とし込んでしまうくらいである。だから美術と小説を突き合わせる伊藤のコンセプトは、あらかじめ敗北を告げられているに等しい。
 それにもかかわらず、なぜ「小説の美術」を問うのか。もとより伊藤は詩のほうを向いていない。大学の卒業制作以来、彼は小説と美術の間だけを往き来し続けている。詩をまったく読まないわけではないが、身辺の出来事を繊細な文体で綴る戦後の小説に彼の関心は集中している。詩と小説を秤にかけて吟味したのではなく、自然と後者を選んだのだろう。しかし小説を手に携えて美術作品を制作するに及び、あるいは美術を片手に小説を書き継ぐに及び、この二者は噛み合わないのではないかとの疑念がおのずから頭をもたげてきたはずである。少なくとも筆者には、伊藤がこの壁と今も向き合っているように見える。美術家としてデビューして以来、その道は決して平坦ではなかった。しかし今回の個展で、彼はこれまでの制作をいったん総括し、新たな一歩を踏み出したかに思われる。本稿はそのような彼の転換期を記録することを目指す。


2

 伊藤正人はこれまで小説にまつわる作品を発表してきた。最も長く続けてきたのは壁面に青のインクで小説を書くシリーズで、初期の作品には行頭を上下させることで、あたかも字の塊で具象的な物体を表すかのような表現が見られる(図1-1, 1-2)。日本語詩の歴史において活字の配列によって視覚的な演出を狙う手法は、1950年代に国際的に流行するコンクリート・ポエトリーや、それをはるかに先取りする宮沢賢治『春と修羅』や萩原恭次郎『死刑宣告』などの大正末期の詩集に見られるが(図2)、初期の伊藤の作品はこれらの詩と遠く響き合っている。ただし伊藤の場合、文字の塊は山や谷といった自然風景を象っていると思われる。なぜなら彼の小説ではしばしば人物の五官を通じて風景が描写されるからで、壁面では文字列の形(シニフィアン)と作中の風景(シニフィエ)がリンクしているのだ。


1-1.伊藤正人「Alpen Line」2010年、STANDING PINE 
画像提供:伊藤正人
1-2.同上、部分 画像提供:伊藤正人


2. 宮沢賢治『春と修羅』関根書店、1924年、国立国会図書館蔵 
国立国会図書館デジタルコレクション



 ところが、展覧会の回を重ねるごとに壁面の字数が減っていく。壁に小説を書いた直近の個展である「小説の部屋——アインソフの鳥」(AIN SOPH DISPATCH、2017年)では、文章は壁面全体に散りぢりになり、余白のほうがずっと広い。漢字や仮名の払いと同様に、文字の列も縦横無尽に流れている(図3-1, 3-2)。


3-1.「小説の部屋——アインソフの鳥」会場風景(撮影:山口幸一) 
画像提供:AIN SOPH DISPATCH


3-2. 「小説の部屋——アインソフの鳥」会場風景(撮影:山口幸一) 、部分 
画像提供:AIN SOPH DISPATCH



 「小説の部屋」において字数の削減を実現したのは、郵便による連載というアイディアだった。「アインソフの鳥」と題する小説を、新聞連載の一回分程度の長さだけを刷ったフォリオを、数回に分けて郵送する。そして個展の会期に合わせ、連載の最終回をギャラリーの壁に記すのである。この手法により、壁に書くのは連載一回分の字数で済む。
 人間の注意の持続には限りがある。一般に、展覧会は人が立ったままものを見られる時間の限度を念頭に置いて設営しなければならない。小説が展覧会と相性の悪い一因は、一定の長さのある文章を会場で読んでもらうことの困難にあるといえよう。伊藤はこの欠点を補うべく、郵便を利用することで会場外の時空間に自らの展示を拡張したのである。
 ところで、手書きの文章を来訪者に読ませることは写本の読書に似ている。写本とは手で書き写された書物を指す名称であり、日本では印刷技術が確立していない室町期以前はもちろん、版本が普及した近世以降にも盛んに作られた。現代と異なり、当時は原稿を板木に彫って紙に摺るには多大な手間がかかるため、限られたコミュニティ内で読めば足りる場合は写本が選ばれる。ごく一部の者に見せることを想定する点で、美術展覧会は写本に通ずる。
 だが小説とは長さを有するジャンルである。掌編を除き、ひとつの作品を終わらせるにはどれだけ短くとも数千字から数万字を要する。このような長いテクストの流通を容易にしたのは活版印刷技術だった。小さな鉛活字を詰めることで、活版印刷は膨大な量の情報を紙上に凝縮する。長大な文章をコンパクトな書物に載せて運ぶ出版システムは、小説ジャンルの定着に一役買った。
 そうであるならば、手書きの文字で小説を読ませるのは反ジャンル的な試みというほかない。そもそも明朝体活字に慣れきった現代の平均的な日本語母語話者(あるいは中国語母語話者)にとって、肉筆は一字一字の発する情報量が多すぎて、長い文章を読めば疲労してしまう。それゆえ伊藤の個展に訪れる者は壁の文字を”読む”のではなく”見る”ことになる。書家からも評価されるという彼の文字は端正で、ペリカン社製の青い万年筆インクとあわさるといっそう清々しい。しかし、文字からシニフィエが脱落し、シニフィアンだけを先鋭化させるならば、それは文藝ではなく書だ。書はしばしば人口に膾炙した詩文や経典の一節を題材とする。小説は韻律を捨て去ることで内容の伝達に特化してきたが、当時の伊藤のスタイルは書に通ずる点で小説よりもむしろ詩を書くのにふさわしかったのではないか。壁に小説を書くシリーズは、「小説の部屋」でひとつの到達点を示したが、一方で小説と美術を組み合わせる困難の一面を明らかにしたといえるだろう。


3

 ならばほかにどのような方法があり得るか。「小説の部屋」から最新の個展「小説の美術」(AIN SOPH DISPATCH、2022年)まで5年の月日を経たが、その間に伊藤正人は長編ひとつと短編ひとつからなる本を上梓する。長編の題名から取って『サンルームのひとびと』(2020年2月)と銘打たれたこの本は、colonbooksのブックデザイナー湯浅哲也が装丁した[1]。表紙には伊藤が好んで用いるのと同じ青色を選び、両観音折に仕立てている。天は岩波文庫などにも見られるアンカット、手になじむB6判の並製本で、携行もしやすい。
 展覧会「小説の美術」は「小説の部屋」と同じくAIN SOPH DISPATCHを会場としたが、前回までとは打って変わって壁面に文字を記さない。その代わり、青インクを塗った紙を額装して等間隔で掛ける(図4-1, 4-2, 4-3,)。この紙は『サンルームのひとびと』の刷り取りである。刷り取りとは著者が赤を入れる校正刷よりも前の段階で、主に印刷業者やデザイナーが手にする印刷見本を指す用語である。現在の一般的な製本工程では、一枚の紙の両面に本文を複数頁分まとめて印刷し、四つ折や八つ折などに折る。この折った紙の単位を折丁と呼ぶ。折丁を束ね、紙のつながった部分(袋)を裁断し、表紙をつけると本ができあがる。刷り取りとは、紙を折る前の段階で文字と紙の色やレイアウトなどの視覚的要素を確認するためのものだ。そのため、著述業に携わる者でも実見する機会はあまりない。伊藤はこの刷り取りの全面にインクを塗り、その一点一点を作品として展示する。インクの濃淡にはムラがあるが、その下の文字は判読できる。


4-1. 伊藤正人「unbound book(サンルームのひとびと/note house)」(撮影:山口幸一)
画像提供:AIN SOPH DISPATCH


4-2. 伊藤正人「unbound book(サンルームのひとびと/note house)」(撮影:山口幸一)
画像提供:AIN SOPH DISPATCH


4-3. 同上、部分(撮影:筆者)


 森林公園から校舎裏に伸びている木々の梢がかさかさと鈍い光を振っている。そのうちに風に舞い踊る落葉のようにアツミの足音が近づいてくる。アツミの首もとに巻きつけられたマフラーは振袖のようにゆれて、かさなった毛織の隙間から黒髪の毛先がくるくるとはみだしていた。

(『サンルームのひとびと』88頁)


 小説『サンルームのひとびと』は一人称視点で書かれる。引用は視点人物(主人公)がアツミと待ち合わせる場面である。擬音語の「かさかさ」が「鈍い光」にかかる一節からわかるように、視覚と聴覚がないまぜになった感官で情景を描写する。アツミの存在もはじめは足音だけが知覚されるが、いつの間にかマフラーを巻いた姿が眼前に現れている。「首もとに巻きつけられたマフラー」や「黒髪の毛先」といった叙述は触覚さえ感じさせる。世界に対する感受性は過敏なほど繊細で、そのゆえに壊れてしまいそうな危うさがある。
 紙面に塗ったインクも、こうした描写と同様に繊細である。伊藤が購入した万年筆用の水性インクは製造元で最も色褪せやすいものだという。ギャラリーが北向きとはいえ、玄関側に大きく取ったガラス窓からは日が差し込む。毎日自然光を浴びて、青インクは会期中に目に見えて褪色していく。識閾をさまようアンフラマンスなものへの感性が、物質と言葉の双方から立ち現れる。
 ところで、前述の通り刷り取りとは読むよりも見ることを目的とした見本である。いま試みに作品から読むことのできる一節を引用したが、折る前の状態で展示されているため全体を通読することはできない。会場では製本された状態の本を販売しているが、この長編をその場で読了するのは難しいだろう。結局、小説を読むには(ギャラリーに日参して立ち読みを繰り返す以外は)本を購入して持ち帰るほかない。裏を返せば、観者は展示を見るにあたり小説を通読する必要がないということである。
 刷り取りの作品は、一見すると書の視覚性に接近していた従来の手書き文字と変わらないかに思われる。だがここで注目すべきなのは、刷り取りの作品が書物の一部だということだ。本文は上と下で文字が反転し、紙の隅には印刷業者が使うのだろうマークがある。こうした要素から、印刷に関する知識がなくとも、観者はこの紙がなんらかの工程の途中段階にあるものだと判断できよう。ここにあるのは或る総体から零れ落ちた断片である。
 活版印刷による版本は、数百部から数万部が生産され、顔も知らない遠くの人にまで届く。出版資本主義の特徴のひとつは、国家が指定した共通語を解するならば国内のどこでも同じものを読めるという点にあった[2]。刷り取りの作品は、そのような出版流通の欠片を切り出して見せた、まさに見本である。観者は断片から全体を想像し、ときには実際の小説以上のひろがりをそこに認めるだろう。


4

 会場にある本は『サンルームのひとびと』一冊ではない。窓際やカウンターの下、壁面に作りつけた棚に多数の本が並んでいる。しかし奇妙なことに、それらの本はすべて背を壁のほうに向けており、書名が見えない。天がアンカットでスピンのないものは岩波文庫といったふうに、断裁の仕方や紙質、判型から中味を推測できるものもあるが、並んでいる本は菊判クロス装の上製本から紙装の文庫本までさまざまあり、どのような本かを見た目だけでは判断できない。本の間にはツユクサの植木鉢が置かれている。伊藤の定めたルールで、ツユクサの花が閉じているときだけ本を手に取ることが許される。ツユクサは明け方から昼前まで開花するから、おおむね午後になれば閲覧が可能となる。ただし最初の一頁以上は必ず読まなければならない(図5)。


5. 「小説の美術」会場風景(撮影:山口幸一)
画像提供:AIN SOPH DISPATCH


 書物の背題は、本を開かずに書名を把握するための標目である。書名が本文の内容を要約したものなら、本を開かずに内容を推測することもできる。世界には膨大な点数の本があるが、人は一生にそのうちのほんのわずかしか読むことはできない。そのような状況で、背題は優秀なインデックスとして、本の検索と時間の節約に貢献してきた。図書館などで機械による蔵書管理が進む現代でも、その役目は人が本を手に取る限りなくならない。
 しかし、伊藤の本棚はこの利便性の逆をゆく。すべての本が小口をこちらに向けているため、どこに何があるかわからず、内容も開けてみるまで見当がつかない。この不便な閲覧ルールをあえて設けることで、伊藤は観者と本との遭遇を創出する。確かに背題は有益だが、書名だけで書かれていることをわかった気になってしまい、本文を読まずに通り過ぎてしまう副作用もある。背題が隠されることで、観者は書き手という他者と出会うことができるのだ。
 会場に並ぶ本はすべて伊藤の蔵書である。大半は彼の好む戦後の小説で、野呂邦暢、幸田文、堀江敏幸など、冒頭に述べた通り自己の身辺から発して物語を膨らませるタイプの作家が多い。その間に詩集や近代の小説、思想書などが挟まる。本の第一頁を一冊一冊確かめていけば、彼の文体を培ってきた土壌がおのずから浮かびあがってくる。壁にかかる刷り取りに記された小説は、これらの書物との関係性のなかで書かれたのである。


5

 「美術にとって小説とは何か」という当初の問いに戻る。小説は書物の形で流通するものだが、一定の長さのある小説を断片で示すことが伊藤の「小説の美術」であり、この問いへの現時点での答えである。そして他の書物たちとの関係性の網目に布置することで、断片は観者に全体を想起させる。ここでいう全体とは、『サンルームのひとびと』の全文よりも大きな架空のテクストであり得る。個展の空間を通して、観者の想像力が新たな小説を構築する。
 繰り返すように、古来より美術の同伴者は詩であった。現代においても詩は視聴覚表現と相性が良い。東日本大震災発生時にTwitterに連投した詩をプリントアウトして壁面に貼り出した和合亮一「詩の礫 2022」(「あいち2022」愛知県芸術文化センター会場、2022年)や、吉増剛造プロジェクトの映像(「MOTアニュアル2019」東京都現代美術館、2019年)など、現代美術展に詩人が招待される例は枚挙に暇がない。一方、小説家は講演会に呼ばれたり、映像作品でインタビューされたりするなど、語る内容を求められることはあるが、作品そのものが呼び出されることはほとんどない。せいぜい展覧会の一部として既存の本を会場に置くくらいのものだ。
 しかし伊藤は書物の刷り取りをそのまま展示した。刷り取りを作品として見せる行為は、小説は書物というオブジェクトと不可分であると宣言している。だが、このことを示すためには、まず書物は物語である以前に物質であると観者に実感させなければならない。そのゆえに伊藤は『サンルームのひとびと』を製本された状態で見せるのではなく、その前段階の姿を持ってきたのだろう。
 小説は美術とは相性が悪いかもしれない。詩のように短い文字列で人の心に訴えたり、朗読で印象に残したりするのは難しい。美術という領域において小説は詩の洗練に及ばない。だがその鈍重さこそが小説の長所である。伊藤の作品は観者が言葉に没入するのを拒否する。
 中村光夫の一連の近代小説論[3]を本稿の論旨に引きつけて解釈するならば、小説とは他者と出会う個人を書くジャンルであった。明治後期に刊行された島崎藤村の『破戒』は、被差別部落出身というアイデンティティに自己を引き裂かれる個人を描出したことにひとつの達成があった。またそれは、当時の読者が被差別部落出身者という他者と向き合うことも意味した。ところがその後の小説の主流派は他者と自己の関係を描くことをやめ、もっぱら自己の身辺生活とその感想を綴るようになる。私小説・心境小説と呼ばれるこれらの作品は、内面の叙述に特化する点で詩に近い。しかし、伊藤はこれら私小説の系譜に連なる小説家を鍾愛するにもかかわらず、美術の世界に軸足を置くことで、描写という他者との対話を手離さないでいる。彼はこれからも、物質と概念、美術と小説の間の綱渡りを続けるだろう。


[1] http://colonbooks.com/portfolio/sunroom/
[2] ベネディクト・アンダーソン『定本 想像の共同体——ナショナリズムの起源と流行』白石さや・白石隆訳、書籍工房早山、2007年。
[3] 『風俗小説論』河出書房、1950年など。


見出し画像:伊藤正人『サンルームのひとびと』背表紙 
画像提供:伊藤正人




小説の部屋 - アインソフの鳥 伊藤正人
AIN SOPH DISPATCH
2017/12/09(土) 〜 2017/12/23(土)(終了)
http://ainsophdispatch.com/event/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%82%bd%e3%83%95%e3%81%ae%e9%b3%a5


小説の美術 伊藤正人
AIN SOPH DISPATCH
2022/06/04(土) 〜 2022/06/25(土)(終了)
http://ainsophdispatch.com/event/%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%81%AE%E7%BE%8E%E8%A1%93




安井海洋
1991年、愛知県生まれ。愛知医科大学非常勤講師。名古屋大学大学院日本文化学専門博士後期課程在籍。美術批評、日本文化史研究。専門は明治期の複製技術からみる美術・文学。主な論文に、「『方寸』の「創作的版画」——明治40年代の版画概念」(『版画学会誌』51号、2023年3月)など。主な批評に、「暗い部屋——佐藤研吾展「群空洞と囲い」」(『コンフォルト』185号、2022年5月)、「光を示す——塩原有佳「BLACK ON BLACK」」(see saw gallery + hibitウェブサイト、2021年2月 http://www.seesaw-gallery.com/exhibitions/2021/1610)など。主な企画に、「魂の影 -Tracing the Soul- 笹山直規・松元悠二人展」( プライベイト、2021年5月)など。reseachmap https://researchmap.jp/mihiro0124




レビューとレポート第46号