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#051 出国することになった

出国することになった。

今まで私のツイッターやnoteを見ていた方にとっても「結局こいつはいつ出国するんだ?」と新幹線のホームで見送った手をなかなか下げることができない状態でヤキモキしたことだろう。
私もいつ行けるのか分からないストレスを抱え続け、心因性の発作を起こしたり、腹を下したり、過呼吸になったりひどい目に遭っていた。

2021年1月末頃から進めた結婚の手続きおよび入国許可証の申請手続きは、大使館だけでなく、イミグレーション、地元コミューン、日本の市役所、外務省、内閣府、警察本部を巻き込み、大乱闘スマッシュブラザーズの様相を呈してきたところで突如大使館から「はい、じゃあ日本人6月4日から入国オッケーでーす」とアナウンスが入り、世紀末級の大乱闘の末、最終的に不戦勝を勝ち取るみたいななんとも切れ味の悪い、「い、行くけどさ、まぁ…」という状態で出国手続きを始めることになった。

本当はワクチンを打ってから行くつもりであったのに、ワクチンを打つ前日に「はい、日本人の方ベルギーへどうぞ!」などと言われたものだから、ワクチンをキャンセルしてでも先にベルギーに行くべきなのかどうかということも本当に悩んだ。しかし回答のリミットが2時間くらいしかなかったので、泣く泣くキャンセルした。

なぜかというと、まず「日本人が渡航許可証明書を出さずに渡航できます」と言う案内は、「6月末日」までとされていた。つまり、7月1日以降、EUのワクチンパスポートの運用が始まると、日本人も「ワクチンパスポート必須」とされてしまう可能性もなくはない。そうなってしまうと、また出国が先延ばしになるだろう。それに加えて「あの書類も追加で」「この書類も追加で」と五月雨式に追加書類を要求されてしまうことも考えられる。この長い戦いの中、私と彼が最も叫びたかったことは「最初から全部言ってくれ」である。後から後から「あれ出して」「これも出して」が酷かった。不戦勝を得たとはいえ、帰還兵としてはやはり彼らを信じ切ることはできず、「陰性証明書とロケーターフォームだけ出せと言われている今がチャンス!お見逃しなく!」精神で渡航を決めた。

荷物は以前よりなんとなく用意していたけれど「いつになるんだろうねぇ…」と叶わぬ夢を見ているようなテンションで用意していたため、「マジで行けるぞ」となってから怒涛だった。
病院に行ったり、携帯する食材を買い出したり、現地でのビザ申請に使う書類の収集、海外転出の届け、東京の家に移動してからは詰めきれない荷物の仕分け、そして彼から何度も来る「MTG買ってきて」の連絡。。。

一気に風向きが変わったからか、環境の変化に弱い私はまたお腹を下し始めた。
実家から東京へ向かう日も、それはかなり憂鬱な気分だった。でも両親からすると「娘が嫁に行く日」なのである。いつもと違う空気を醸し出す。母からは手紙を、父からも和泉式部が嫁に行くときに読んだ句を読めない字(旧ひらがな?)で渡された。全く読めないので何を伝えたいのかが分からない。まぁ、頑張ってってことだろう。

出来れば実家に残りたいし、日本に残りたい。その気持ちを押し殺し、心をフラットに保ちたいと願うのに、両親は真顔になり「別れの日」の空気を轟々と放ってくる。その緊張感は私の腹に直接届いて、ピーピーに下すという事態になった。
おかげで空港に行くバスには乗り遅れ、結局両親が少し離れた空港行きの駅まで送ってくれるという「最後まで手のかかる子」になってしまった。
ちなみに私は両親に「お世話になりました」のような手紙は書いていない。そんな余裕も気持ちもなかった。だって帰りたいし、まだ世話になりたい。

そうして出てきた東京でも、腹は下り続けていた。完全に「海外移住反対」のデモ行進(腹下し)である。一方、彼はというと、私が下しまくっているのを聞いて「ストレス…?」と心配してくれた3秒後には「ああ。飛行機かぁ…」と一人で納得していた。チーガーうーだーローと心の豊○議員が叫ぶ。移住だ!ストレスは移住なんだよ!家族も友達も母国語も全て置いていく気持ちがお前には分からんのか!分からんだろうな!

※日本でしか食べられないであろう苺大福を存分に味わう。

そんなこんなでベルギー渡航がいよいよ決まった際、こんな御時世だから誰にも会わずにそっと出国するんだろうなと思っていたら、私が上京して最初に友達になった東京初期メンバー、いわゆる東京初期メンが「web飲み会しよう!」と集まってくれた。
20年近く付き合いがあるので私のことをよく分かってる人たちなだけあって、「日本人が全員国外に出るぞ!となっても一番最後まで日本に残りそうなやつだったのにな」と言われた。いやほんまそれやで。自分でも今何をしているのか、どこへ向かっているのかも分からない。
人生マウント勢さんから「みそさんて結局何になりたいの?(笑)」と言われても「分かりません…」としかいえない。人生の折り返し地点が目と鼻の先なのに未だノープランである。

そして出発の日、東京初期メンの一人であるリュウタさんがなんと見送りに来てくださった!!
学生の頃、彼ら(当時30代前半)を「おじさん!」と呼んで慕っていた私も、すっかりおばさんの域に入り、彼らはおじいさんのフェーズへ向かおうとしている。時が経つのは何と早いことか。

せっかく送りに来てくれたのに私が終始バタバタしているせいでゆっくり話することもままならなかったのだが、胃腸よわよわな私を気遣って「うんこする時間なくなるからな!はよゲート通ってうんこしてからいくんやで!」と見送ってくれた。うん、やはり東京で私を育てたのは彼らやな。と確信しつつ、私はグズグズの雨の中、大空へと飛び立つのであった。

※一部顔出し許可はいただいておりましたが、とりあえず全部かくしておきました。ありがとうおじさんたち!また会う日まで!

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