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難病日記③~スティーブンス・ジョンソン症候群~

難病にかかったのはかれこれ3年半前くらいになる。記憶も薄れ、今ではすっかり日常生活をしている。①では、この難病の説明と発症&入院に至る経緯につて、②ではICUの記憶、長期入院、ママが倒れるヤバさについて書き記している。今回は治療中の次男早産・高額医療費・NICUの記憶について書いて難病日記を締めくくろうと思う。

次男誕生

2月の下旬が予定日だった次男。11月下旬からの長期入院中、一人残されて頑張っている長男のためにも、退院は叶わなくてもせめてお正月に数日外泊許可がおりないかどうかを祈りながらすごしていた年の瀬。
年末が近づくにつれ子宮頚管が短くなっていき切迫気味に。結局大みそかには子宮頚管8ミリ…外泊の許可はお預け。
まだ32週。2000gにも満たないため、張り止めの点滴をして、外泊が叶わず自分が情けなく病室で一人涙を流した。
北海道からは母が駆けつけ、重箱に立派なお節を作って持ってきてくれた。
1人で過ごす大晦日なんて初めてかもしれない。
年が明けて新年。10分間隔の痛みがあり陣痛室でモニター。母や夫・長男も面会に来てくれた。
「明日は今年一番の大きさのスーパームーンなんだって」そんな話をした翌日。
明け方から10分間隔の痛み再発。AM7時にはけっこうな痛みに。ドクターの診察を受けると、子宮口5センチ。赤ちゃん1950g。自然で産むのか帝王切開するのかでドクター達がザワつく。
すぐに分娩室に連れていかれ、分娩台にのり、張り止めの点滴を外された瞬間にものすごいスピードで陣痛の間隔が短くなる中、なんとか夫に電話。
そうこうしてるうちに速攻出産に至った。
小児科の先生たちの処置を受け、一瞬だけ横に我が子を連れてきてくれたものの、そのままNICUに連れていかれてしまった。
北海道で産んだ長男の出産に間に合った夫(from関東)が同じ県内にいたのに次男の出産には間に合わなかったというスピード出産。
恐るべし月の引力。って結論の出産だった。

高額医療費

ここで入院費用のお話。私は7日間ICUにいた。後々調べると自己負担は3割だとしてもICUは1日で10万超えの料金がかかる。ICUの後もステロイドを大量に投与していて感染症をもらいやすいため個室での入院だった。
入院1ヶ月を過ぎたころに師長さんが気まずそうな顔でやってきた。
渡されたのは80数万円の請求書だった。
高額医療費の手続きが間に合わず、後で還付されるとは言え、一旦支払わなければならないとの事だった。
結局は難病指定の病気だと自己負担が1割になったり、出産での手当や、民間で入っていた入院保険等でほとんどが賄う事ができたけれど、80数万円の請求書のインパクトは大だった。
もし入院や手術となるような人がいれば、この高額医療費の手続きというのは事前にもすることができる。還付されるとは言え、多額の請求書に度肝を抜かれたくない人は計画的に国の制度を利用するべきだ。

NICUの記憶

新生児集中治療室(NICU)で過ごしていた次男。保育器の中でたくさんの管に繋がれ、黄疸が出ていたためサングラスのようなテープを目に貼られ四方から光を当てる治療をしていた姿はSFの世界のようだった。

NICUにはルールがあった。一番特殊だなーと思ったのが、他の患者(ベビー)やその家族と交流をできるだけ持たないという事だった。それぞれの事情・状況があってプライベートを尊重してくださいとのことだった。

NICUからGCUに移り、沐浴や授乳指導で、同じスペースにいるママたちと共有したい思いはあったけれど、ルールにのっとってグッとこらえた。

祝・退院

退院を迎えたのは次男を産んで約1ヶ月の事だった。
SJSでの入院から数えると2か月半に及んだ長期入院。早産だったけれど次男が生まれてくれたおかげで、母乳を届け、授乳や沐浴、抱っこしにGCUに通うというミッションがあったからこそ、私はこの長期入院になんとか耐えられた。
もう二度と私がこんな形で入院し、子ども達に寂しい思いをさせない。そう誓った長期入院だった。二度と経験はしたくない。それでも、この病を患ったことで、「当たり前の幸せ」を人よりもさらに強く感じるようになったのは言うまでもない。
家族でご飯を食べられる事、一緒に川の字で寝られる事、抱きしめたいときに抱きしめてあげられる事、子どもが泣いている時に寄り添ってあげられる事…すべてがこんなに幸せな事で「当たり前」なんかじゃないってことを強く強く思い知らされた。

もし、今長期入院や難病で苦しい思いをいる人たちがいたら伝えたい。
今は病気になったこと・現状を嘆いたりすることしかできなくでもいい。
でもその経験があったからこそ見える世界、幸せ、伝えられることがある。誰かに寄り添う事ができる。病も自分の貴重な経験値に必ずなる。

なんだか、まとめられなかったけれど難病の振り返りをこれで締めくくろうと思う。三十路中盤にして毎年の一番の願いが「健康第一」の私ですが、noteに書き記すことでこの時の思いを振り返ることができて良かった。


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