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生ブロッコリーと人間強度 - エッセイ

不況になると化粧品の売れ行きが伸びるそうです。
2023年、フィットネス業界が好調だったと聞き、自分はその話を思い出しました。

23年は、特に大企業の業績が安定したわけですが、日本全体が好景気だったかと言われると、どうだろうなという気がします。
不況にあっては自己投資が伸びる。
筋肉は裏切らない。
私も細々と家トレを始め、フィットネス界の末席へ参じました。

ダイエットは「トレーニング ✖︎ 栄養補給 ✖︎ 休息」からなるわけですが、運動神経皆無の私でも、唯一他のトレーニーに勝る点があるなと思いました。

それは、栄養補給。
みんなよりいいもん食ってるゼ。というわけではありません。
私が優れているのは「筋トレ用食事メニューが全く辛くない」という点です。

ハードコアなトレーニーは、余分な脂質や添加物を摂らぬよう、ドレッシングや調味料。揚げ物やジャンクフードを避けると聞きます。
なかやまきんに君さんの朝は、ゆで卵・トマト・ブロッコリー。それらを何も付けずに食べるそうです。
大会後にチェーン店で食事を取り、「味がある!」と、満面の笑顔になる一連の(お決まりの)くだりは、プロ・トレーニーの過酷な食生活の一端が見えます。

形から取り入れるタイプの私は、きんに君さんの食生活をパクることとしたのですが、これが全く辛くない。
生ブロッコリー。味、あります。

そのような異常体質になった理由を考えると、私の極度の面倒臭がりと、五感よりも情報を重視する性格が影響していると思われます。

  • 面倒臭がり:料理が面倒で、なるべく洗い物を出したくない。手間をかけたくない。お餅とか食パンとか、面倒なので何の味付けもせず、そのまま食べる。サラダなんかもそのまま食べる。料理は一度に大量に作るが、調味料はレシピそのままに入れるので薄味になりがち。

  • 五感よりも情報を重視:(食事に関して言えば)目的は栄養をとることなのだから、栄養素が揃っていれば味は二の次。というか、栄養バランスがいいと納得できていれば、それで満足できる。いわゆる、情報を食っている人。

こうした価値観から、図らずもトレーニー食への適正が生まれたと考えます。
おそらく、トレーニー食が辛い方は、「自分の好きなものを好きに食べる」という食生活であったのではと思います。部活や学校終わりのマック・ラーメン。テレビを見ながらスナックパクパク。調味料ドバドバ。
そういう食生活から離れてあった自分は、自然に、過酷な食事に対する人間強度が高められていたのだと思います。


今回は、図らずも人間強度が高められたのですが、どうせなら狙って人間強度を高めたいものです。

人間強度とは、『化物語』というライトノベルシリーズで言及された概念です。
正確な定義は不明ですが、私は個人のロバストネス(頑強さ・打たれ強さ)と捉えています。

『化物語』の主人公・阿良々木は「友達は要らない。人間強度が下がるから。」と言ってのけました。
かわいそう。真の漢ですね。

コミカライズ版『化物語』より ※ギャグシーンです

彼にリスペクトを込めいうなら、「ドレッシングは要らない。人間強度が下がるから。」です。

他にも日常で取り入れられる、人間強化法を考えてみます。
例えば…

  • 「冷暖房は付けない。人間強度が下がるから。」

  • 「水しか飲まない。人間強度が下がるから。」

  • 「ペットは飼わない。人間強度が下がるから。」

  • 「コンビニには行かない。人間強度が下がるから。」

  • 「推しは作らない。人間強度が下がるから。」

  • etc …

とかでしょうか?
一応、何もかんも否定するのではなく、己の克己心を高めるための方法を考えてピックアップしました。
「掃除はしない」「風呂は入らない」とかは、ただの怠惰です。「運動はしない」「本は読まない」とかも、強化に向かわないのでダメです。

つまり、人間強度を高めるとは、「娯楽はしない」にまとめられそうです。


娯楽を避けることで、人間強度は上がるのでしょうか?

少なくとも『化物語』は、一人で生きることはできない。繋がりの中で力が生まれる。という話だったと思います。
「推しは作らない。人間強度が下がるから。」と書きましたが、推しに恥ずかしくない人になると一念発起して、美しいダイエットを達成した方を知っています。
喜びや娯楽の中から、新しい活力が生まれることはある。

ブラック企業での経験がプラスになったという人がいます。それはどういう条件か?

  1. 最終的に、その環境から抜け出せた

  2. 悪い環境下で、潰されきれなかった(マイナスが許容できるレベル。他に支障をきたすほど劣悪でない)

  3. そこでの活動で得たものが、新しい環境で活かせるものだった

そういう諸々の条件が揃わなければ、娯楽避けをする意味はなさそうです。
むしろ、不遇や不満をそのまま受け入れてしまうのは、成長の機会を逃します。

「正しい目標設定ができる」という前提があるなら、むしろ不遇や不満に敏感にあり、沢山の問題設定を行い、それらに適切に対応していける方が、長期的にはより行動的です。
情報が溢れる時代にあっては、知識に意味はない。行動に意味が生まれる。
そう聞きます。
であれば、ストレスを自己消化・自己解決しようとするのではなく、積極的に解消に向け動いていくほうがいい。

「娯楽を避け、不遇に慣れる」よりも、
「不遇に対して挑戦的で、前向きにある」。
そのようにあることで、より行動的な2024を達成したいと思いました。
だいぶ時間が経ちましたが、24年の年始目標です。

では「正しい目標設定ができる」とはどういうことか?
だいぶ長くなりましたので、それはまた別の投稿に。


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