「男はつらいよ」巡礼 #3
映画「男はつらいよ」レビュー集。寅さんマラソン、というよりハイキング、いや巡礼だな。備忘録として記事を書いていけたらと思う。結願できますかどうか。今回は第三作目「男はつらいよ フーテンの寅」。その後のシリーズの長さを思えば監督が違う異色作。分岐したかもしれないもう一つの可能性を感じた作品だった。
第三作「男はつらいよ フーテンの寅」1970年1月公開 監督 森崎東 脚本 山田洋次 小林俊一 宮崎晃
50作中2本しかない山田洋次監督作でない「男はつらいよ」の1本(もう一本は四作目)。一作目が1969年8月、二作目が同11月、三作目が翌1970年1月という今では考えられないハイペース公開な上、山田監督は同年「家族」という作品を撮っている(1970年撮影じゃなきゃ!というシーンがある映画です)ことを思えば監督変更もやむなしか。森崎東監督はドラマ版でも脚本、映画一昨目でも脚本に名を連ねる主要スタッフ。決して休場しのぎの代打作などではなく、森崎監督の「俺の寅次郎はこうだ」という一本になっている。
冒頭、長野の旅館。風邪気味の寅さん(昨今話題のアベノマスク風の布マスク姿)。女中(悠木千帆=樹木希林)に「あんた、うちや親兄弟はあんのかね」と問われて「国に帰れば、これ、このとおり、れっきとした家族がまってらぁ」と、とらや面々と写る写真を見せる。女中はさくらを寅さんの嫁かと問い、寅さんも見栄をはって(見栄なのか何なのか。でも気持ちはわかる)否定しない。おいちゃんおばちゃんも両親だと話す。女中が去り、しなくていい見栄をはり、咄嗟に自分が望んでいるモノを口にしてしまったことを悔み、虚しくなるような寅さんの姿。写真を眺め「いくら可愛くったって妹じゃしょうがねぇや」。近くを走る機関車の走行音、たまらず障子をしめようとして指を挟み、超痛そうな顔。ダメ押し落ちてくる障子。弱り目に祟り目に一言、
「落ちめだなぁ」
この映画、結末まで一貫してこの一言に尽きる。「落ち目だなぁ」。森崎監督の寅さんはフーテンの哀愁を感じさせるせつない寅さんだった。さじ加減が違うというか山田監督作より、アクセルを踏み込む感じがそれを引き立たせる感じがする。以下、羅列。
・見合い話が出て、どんな女(ひと)がいいのかと問われた寅さんが贅沢は言わないよと言いつつ、どんどん条件を付けていく流れは定番の流れだが、それがおばちゃんへのダメ出しまで行って、おばちゃんが悲しそうな顔をするところまで行く。・見合い相手が旧知の女性で、喧嘩別れ中の男との仲をとりもったところまではいいが、二人の結婚式だととらやで(お代もとらや持ちで!)大宴会、その後のおいちゃん、博との大喧嘩はかなりのガチ。これがきっかけで柴又を出てゆく寅さんが作中再び柴又に戻る流れがないのも寂しい(旅先で故郷を思い出す→柴又へ→騒動を起こし再びび旅へ→旅先での再会やエピソード→柴又へ→失恋して出てゆく……というのが黄金パターンだと思う)。・湯の山温泉の旅館に泊まりに行ったおいちゃんおばちゃんが、そこの女将に惚れて住み込みで働く寅さんとバッタリという流れがいいのだがおいちゃんおばちゃんはすぐに帰ってしまい、湯の山でのエピソードにあまり絡まないのも寂しい。
極め付けはマドンナである旅館の女将、志津(新珠三千代)に振られるくだりだ。実は婚約者がいたという鉄板パターンだが、それを旅館の従業員(左卜全と野村昭子)から伝えられる。志津は寅さんが自分に気があるのを知っているのに彼らにそれを頼むのだ(つらい!きつい!)。寅さん今回結構、宿の役にたってて、志津もありがたがっている、のにだ。自分から振ってやらないのだ。ずるいんだ。だけど、しょせんフーテンに対する扱いなんてそんなものだという悲しいリアリティがある。それを描いてしまうのが森崎監督版「男はつらいよ」なのだ。恋破れて宿を後にする寅さんが志津の部屋に向かって思いを伝えるが、そこに志津の姿がないのも、去ってゆく寅さんの姿を車から見かけた志津が声をかけないのも徹底している。徹底して寅さんに優しくない。この作品に比べて山田洋次監督の男はつらいよは少しだけ魔法がかかっている。必ずと言っていいほど失恋する展開ながら、映画館を出るときは明るい気持ちで日常に戻れるような、左に現実、右に理想とかかれたバロメーターがあったとしたら少しだけ理想によっているのが山田版で、多くの観客に望まれ、ギネスに登録されるような長期シリーズになったのだと思う。
生きる悲しみとやせ我慢の作品だけれど(いや、ちゃんとコメディですよ)しびれるシーンもある。志津の弟信夫と温泉芸者の染子が駆け落ちの許しを染子の父にもらいに行くシーンだ。言葉もままならない病床の元テキヤの父親との間に立つ寅さん。父親が了承し、若い二人が去った後、同じ稼業であった父親に口上を発する場面はシリーズでも屈指のシーンだと思う。
「遅ればせの仁義、失礼さんでござんす。私、生まれも育ちも関東、葛飾芝又です。渡世上故あって親、一家持ちません。カケダシの身をもちまして姓名の儀一々後世に発します仁義失礼さんです。姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します。西に行きましても東に行きましてもとかく土地土地のおアニイさん、おアネエさんにご厄介かけがちなる若造です。以後面体お知りおかれまして向後万端引き立てよろしくお頼み申します」
そうだ、この映画のタイトル「男はつらいよ フーテンの寅」だったと思い出す。この父親は寅さんの成れの果ての姿ともとれるのだが自分と同じ家業に生きる人間に対する時の筋を通す感じ、身に染み付いている感じはカッコ良くもあり、それがやっぱり悲しなあ。
<「男はつらいよ」巡礼 #2 | 更新準備中>
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