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檸檬の棘/黒木渚 を読んで

半分はジャケ買い、半分はあらすじを読んでの購入だった。

「これはいつかの私の話である」と直感で思った。

父を憎むエネルギーで生きてきたような作者と、
父という存在から離れたくて、脳内から少しずつ消している私。

作者は父を憎んでいる。しかし作品の中で懐古される“お父さん”は想像していたような酷い事(暴力や暴言など)は行っておらず、なんというか無気力で放浪的な人、というイメージを私は抱いた。
アイスを買ってくれたお父さんのセリフは「高けえな」という自分本位な言葉。
子供を喜ばせてあげようなどという父親らしい気持ちは薄いのだ。
やがてお父さんは、別の家庭へ移っていった。

特段酷い事をされているわけではないが、「逃げ出したい」と思う家であったことは確かだった。
絶縁状態のまま、心はお父さんに囚われ生きて、そして彼の葬式へ向かう。



私もそうだ。
父に囚われている。



私の“パパ”は面白い人だった。
子ども向けにふざけて遊んでくれたし、クリスマスや誕生日には欲しいおもちゃを買ってもらっていた。

9歳の時、パパがママを殴るまで、両親が離婚するまで、
パパのおかしな所など何も感じていなかった。

気づいた?
パパとママが直接会話をしているシーンが思い出にない事。
家事や掃除を全部ママがやっている事。
外食禁止、七五三は家のふすまの前で撮影だった事。
『宝くじ必勝法』という桐箱に入った数万円の本があった事。
家族旅行はもう数年行っていない事。


呑気な子供だったと思う。
幸せに過ごしていた。

普通だと思っていたパパとママのいる生活は、もう既に崩れていた。
信じていたものはまるで実態がなく、ハリボテに過ぎなかった。


やがて父は私の中で「崩壊の象徴」になった。

もう何年も会っていないし、連絡も取っていない。

夫は私の父に会ったことがない。
私が会わせたくないし、ずっとそれでいてほしいと思っている。
私が築き上げた天国の象徴、この世で一番大切な人。共に幸せを構築していく人。
あまりにも対極した人同士を同じ世界に入れてしまったら、私は人間をやめてしまう気がする。

現に、結婚の報告で数年ぶりにコンタクトをとった時は電話が終わった瞬間にあまりにも大きな恐怖に苛まれて泣き崩れてしまった。
懐かしさや嬉しさが感極まった涙ではなく、
崩壊と構築が混ざり合ってしまう恐ろしい時間が私の脳を縮め、目の前にいる夫がハリボテに変わりゆく恐怖に芯から震えたのだ。

夫を想えば想うほど、その反対の存在も姿を現そうとする。


作者がそうであったように、私は父から逃げている。
父という存在から逃げて逃げて逃げ続け、やがてくるのは老いた父の死の知らせ。
私は葬式で泣くのだろうか。
懐かしみ、いっときの幸せに感謝できるのだろうか。

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