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言葉が前を走る

言葉が前を走ってる。


ずっと遠くを走ってる。


それはとても自由に走り続けているように見える。


言葉は徐々に速度を上げていく。


いつの間にか言葉が僕の視界から消えていく。


さっきまで胸の中にあった言葉たちは、僕の元から飛び出し、勝手に走り出してしまった。


僕は不安で仕方がない。


なぜなら言葉がなければ思考ができないからだ。

意思の疎通ができないからだ。


言葉がないのは不自由だ。


僕はこれまで言葉を大切にしていたのだろうか。


多分、大切にしていたと思う。


いつも言葉を深く見つめていたし、その精度を高めるための努力もたくさんしていた。


でも言葉は僕から逃げていった。


なぜだろう。


考えても分からなかった。


とりあえず僕は言葉が向かっていった方向に走り出した。


初めは辛かった。


なぜなら、僕はこれまでまともに走ったことなんてないからだ。


でも必死に走った。


自分の言葉を取り返したかったから。


また言葉と共に生きたかったから。


しかし僕は途中で道端に倒れ込んでしまった。


全身が酸素を渇望するように、肺が大げさに上下していた。


身体のあらゆる部分から汗が滲み出てくる。


もっと上手に走るために、もっと遠くに走るためにはどうすればいいのだろう。


何かを考えようとすると頭の奥が疼き、胃の底のあたりには糸屑の塊のようなものが沈んでいた。


途中でランニングをしている通行人に声をかけられた。


通行人は言った。


「どうしたのですか」


僕は答えた。


「走っているのですが、思うように走れないのです」


通行人は言った。


「前だけを見てください。頭を空っぽにして、足を進めることだけを考えてください。上手く走ろうとか速く走ろうとかを考える必要はありません。自分のペースで、自分の走り方で走るのです。そうすれば、あなたはやがてリズムを掴み、思うように走れるでしょう。」


僕はお礼を言って、再び走り出した。


前を真っ直ぐ向いて、足を進めることだけを考えて走った。


山を越え、海が見え、橋を渡った。


見えていく景色がどんどん変化していく。


呼吸がリズムを作り始める。


気分がだんだんと清々しくなり、まるで自分が風景の一部になったかのように、身体が風の中に溶け込んでいくのを感じた。


やがて、雲間から光が差し込んできた。


まばゆい光を受けながら走っていくと、言葉が見えた。


言葉が前を走ってる。


あれからずっと走ってる。


言葉と僕の距離が近づいてゆく。


僕は言葉に到達し、それと同時に言葉は煙の如く消えた。


きっと僕は言葉と重なった。


言葉は僕の身体中を駆け巡り、心に浸透していった。


言葉は見えなくなった。


でも確かに言葉はそこにある。


僕は言葉を愛した。


体験と感覚と身体で包み込んだ。


言葉は僕の元から永遠に離れなくなった。

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