見出し画像

1万文字以上で語るギンコ・ビローバで分かる樋口円香 行き過ぎた妄想と解釈 後編 ~イチョウ以外の隠された顔~

前書き

これは後編です。前編という前哨戦なので読まなくてもいいですが是非必須で必ずご朗読してください。

前回はさらっとカードそのものを書いてきたが今回は”アイドル像”について書いていく。イチョウの生態や歴史を語りそこから樋口円香というアイドル、いやアイドル像に焦点を当てはめて行きたい。またG.R.A.D編は是非みてからお勧めします。


【前文】イチョウという樹木のすごさ


イチョウのすごさはあまり知られていない。多くの人ははただの道路の脇や公園によく植えられている街路樹でとてつもなく臭い実を落としてる木としか認識してないだろう。

しかしイチョウはかなりの歴史がありそれでいて現代的なのに時代を感じさせエキゾチックだ。なぜならイチョウは人類が生まれる前に絶滅しかけていた。

人類が生まれるよりはるか遠い歴史に栄え世界各国にさまざまな種類のイチョウが存在し群生していたが、イチョウは中国原産の今見ている種類を除く全てが絶滅している。

犬でいうとパグ、熊だとパンダしか地球上に残っていないみたいなものだ。その今見ているイチョウも中国原産と言われているが、それも別の地域からもってきた人が植えたものがたまたま生き残っているとも言われている。

つまりこの地球上に天然で自生しているのはいなく人工的に植えられたものしか存在していないかもしれない。

しかしその中国でひっそりと生き残っていたイチョウは今じゃ世界中どこでも見れる。アメリカやヨーロッパ諸国、アジア周辺のどこにでも日本と同じように街路樹として見れることができる。絶滅しかけたイチョウは人類の手によって生き残り再び繁栄したのだ。


絶滅の危機がなぜ起こったのかと思わせるほどの機能


ここまでイチョウが繫栄したのには理由がある。それはあまりにも人にとって利用価値が高くまた美しい木は他にないからだ。


①街路樹としてのイチョウ

なぜこれほど多くの国々でイチョウという木が街路樹として採用されているのには理由がある。それは素晴らしいほどの生命力を持ちながら直幹で枝が斜め上方に伸び手入れしやすく雄と雌に分かれている雌雄異株(しゆういしゅ)だからだ。

近代の社会における道路はコンクリートで地面を固めているので成長を阻害され、長く生きる事ができない木がほとんどだ。

また車や工場等の排気ガスの影響を受けやすい。まさに木にとっては地獄みたいに厳しい環境下と言えるだろう。しかしイチョウはそういった条件下でも毎年のように美しい葉を私たちに魅せてくれる。

というのも自己保存能力高く、外部からのダメージをもろともせず自己復元する。また雌雄異株なので雄だけ植えていればあの実(銀杏)独特で不快な嘔吐臭は発生しない。

葉には多くの水分を含み頑丈で簡単に腐食しないので火事に強い。
なぜ絶滅の危機になったんだって思わせる木だ。(なぜ危機になったのか詳しい事はわかってない)


②食用としてのイチョウ

人類にとって食用というのは重要だ。食用に出来るかできないかで良くも悪くも人類の手によって発展するか絶滅するかが決まってきた。

いまの日本人が関心を持っている絶滅危惧種のマグロやうなぎもめちゃくちゃまずかったり猛毒性があったら興味がない人や危機感を持たない人が多いだろう。

その点イチョウは上手く人類に好まれた。実は食べられるのは勿論、薬膳や漢方として役割があったりあの臭いのおかげでほかの動物の被害がなく安定して採れるという素晴らしい利点がある。

秋に眺めるだけの植物だと思いきや愛される要因がある木だ。

繫栄したが孤独な木 イチョウ

上記でイチョウは今の種以外存在しないと紹介したが昔は日本や世界各地に固有の種がいたようだ。しかしもれなく絶滅している。

また生態系でみたときにも近縁種が見つかっていない。昔は松やイチイ、ヒノキが親戚だと思われていた。

一つ近しい存在をあげるならソテツが親戚っぽい(イチョウとソテツしかいない形成機構がある)が素人から見ても似てはいない上に学問的にもまったく違う植物である。

また多くの葉を持つのに広葉樹ではなく、多くの裸子植物は針葉樹だがイチョウは違うという大変、曖昧で中間的な形態の植物だ。

ゲーテの詩では二つの葉が寄り添っていると書かれているが、葉はそうでもイチョウという木そのものは近しい存在がいなく同じ境遇をともにしていない木で寄り添えない孤独な木だ。


詩的な葉の特徴

ゲーテのみならず多くの詩人に影響を与えたイチョウの葉。

枝による葉の差

イチョウの木は長枝と短枝に分かれておりそこから多くのあの特徴的な葉を付ける。しかし長枝と短枝では付ける葉の形に大きな差異がある。

長枝にはゲーテが愛したBiloba(ビローバ)と呼ばれる二つに分かれた葉を付けるが、短枝のは二つに分かれておらず扇形のような葉を付ける。

しかし短枝の葉は長枝の葉よりも多くの葉を付ける。その違いは長枝には多くの光を吸収する為に枝を長くし多く日光を受けるという役割と短枝には余さず日光を吸収するという別の役割があるためだ。

落葉

イチョウは秋になるにつれと色づき落葉する。それがイチョウの生存方法だ。冬になると日光時間や気温が下がるため、葉を付けていてもうまく栄養を吸収できない。

それどころか葉を落とさないようにするためにエネルギーを必要以上に欲してしまう。それを回避する為に暖かくなったら葉を付けられるだけのエネルギーを蓄え冬は葉を落としそれまで耐えるという選択肢をとったのだ。

またイチョウは別の株であっても同じタイミングで落葉し始まる。また雌雄異株なので精子を飛ばす雄と受精する雌が同じタイミングで機能するのだ。違う株なのにここまで精密にタイミングを合わせられるメカニズムは不明だ。

ゲーテじゃない別の詩人

アメリカの桂冠詩人 ハワード・ネメロフもこういったイチョウの落葉について詩を残してる。素敵な詩なので共有しておきたい。(長いので貼らないが宮沢賢治も”いてうの実”という詩を残してる)

十一月下旬のたった一日の
まだ凍えるほど寒くない夜に
イチョウの木々はいっせいに葉を落とす
雨でも風でもなく、時だけに合わせるように
きょう、芝の上に散乱する黄金の葉は
きのうは枝の上ではためく光の扇であったのに
星からどんな合図が来るのだろう
木は何をもって決断を下すのだろう
葉を襲い、葉を落とせという合図に
反抗すべきか降伏すべきかという決断を
だが、それが定めなら、免れることなどできようか
時が教えてくれることを知って何になる
さ、いまだ、と星が命じてくれるなら

この詩はイチョウの落葉がどうして一緒なのか疑問に感じたネメロフがそれは星からの合図っていう詩人らしい発想だ。

円香も幼馴染といっせいにアイドル界に飛び込んできたがそれは誰からの合図なのか、それとも自分自身の決断なのか。ここら辺が分かってきたら彼女たちが何になりたいのか分かるかも知れないが今はまだ教えてくれないようだ。



【本編】円香という偶像にイチョウのシンボルを当てはめる

あらかたのイチョウについての説明が終わり、お待たせしました。ここからやっと本題です。

①円香がイチョウという全体をシンボルにしている場合

もし円香がイチョウという全体の歴史、生態を表しているのなら円香というアイドルは一言で表すと「ファンでもなくPでもなく円香は他のアイドルの希望になる存在」だろう。

これまでのアイドルというものは活動する事でファンがついたり他の人を笑顔にするという不特定多数の人にむけたキラキラした象徴だったり、私たちPもアイドルの輝きや活動に救われた等のエピソードも良くきく。

それがアイマスのアイドルの姿だ。この子達はアイドルじゃなくても普通の女の子たちで普通にいい人で夢を持ち、アイドル像というのがはっきりしている。

しかし、樋口円香はそうじゃない、Pに対しての言動は良くはなく心をえぐる描写が多くアイドルとしての目的がまだ語られてない。

ではなぜ、アイドルの希望になる存在なのか。それはイチョウがそういう存在だからだ。

イチョウの歴史はとても長く2億年史といわれてるほどだ。

これは人類がまだ存在せずまだ恐竜がいる時代からの植物だ。この長い歴史でイチョウは他の動植物の絶滅をみてきた。

巨大隕石説だったり氷河期だったり多くの生物はさまざまな要因で絶滅していった中、イチョウはこんにちまで進化も退化もせず変わらないまま生き延びてきた。

1属1種になり近縁種がいなくなり孤高の存在になっても諦めずやがて人類の手によって繫栄を勝ち取った。こうした生命にとって進化の過程は重要だがイチョウは変化せず、数々の試練に耐えて生き延びてきたのだ。

変わらずとも諦めなければ繫栄するという姿は多くの植物の未来を照らす憧れだったり希望の光といえる。

円香はPという存在に見出され、才能があり円香自身がアイドルとして人として考え方が変わらない、キャラ作りしなくとも成長していく姿はまさに他のアイドルからすれば憧れる存在だろう。

芸能活動や生存戦略として変わらないというのは一見、不安定で脆弱なものに見えるがイチョウがそれを証明しているし円香もそうなると思えてくる。円香はカード【ギンコビローバ】やG.R.A.Dのシナリオでも自分じゃないアイドルを気にしているのはイチョウが他の科や属、種を失う姿を見てきたからだろう。

円香の哀れみでも同情でもなく失っていくのはイチョウ同様に円香も寂しさを感じたに違いない。

イチョウの実は直接触る事は危ないし、万人受けしない独特の苦味がある味をもつ。

それでも人に見入られ好かれているのは言葉に出来ないカリスマ性と美しさがあるからだ。

円香も口や態度が悪く積極的に輪に入るタイプではなくアイドルとして異質だがこれでも私がこうやって書いたり愛されているのは彼女がもつ言葉に出来ない魅了があるからなのだろう。


②もっとピンポイントで【イチョウの葉】をシンボルの場合

ビローバと言って以上ピンポイントで葉について焦点を当ててみようと思う。前編はゲーテの詩がテーマだと言ったがそれ以外にもイチョウの葉にはメッセージ性がある。

アイドル全体をイチョウの葉にたとえるのなら長枝についた二つに裂けた特長的な葉は選ばれた才能のある子だろう。より高い場所に生え、多くの光を吸収できる場所に選ばれたのが長枝についてる葉だ。

短枝についてる扇形の少ししか光が吸収できない葉はBilobaではなく有象無象、不特定多数といった、まさに名もなきアイドルといえるだろう。

ここで秀逸なのがG.R.A.Dのオープニング 【脈を打て】だ。

円香は名もないアイドルと同じエレベータにいるが降りる階が違った。

その名もないアイドルが17階に対して円香は22階と少し高い階で降りる。

ここにはたった5階の差しかないが同じようにG.R.A.Dに挑戦し、同じようにエレベータにいるはずなのに明確に差があり環境が違うのだ。

CMのオーディションなのだろうか同コミュ【シーズン①空は晴れている】   でその他大勢に埋もれていないのは形が違うから、二つに分かれているからダンスで風を受けなびく姿が扇形のアイドルに比べて軽やかに見えるのだ。(もしかしたらそれは周りの人間の誤解なのかもしれない、5階の差だけに)

しかし葉には関係なく同じ部分がある。葉は同じタイミングで付き、そして落葉するのだ。

画像1

画像2

円香はそのあとすぐ自分の意思で宣材写真の取り直しを要求している。これを始まりと思うか一旦区切りをつけ終わらせたと捉えるかは個人の判断に任せようと思う。


③そもそもイチョウじゃない説

こんなにイチョウについて書いてたのにそもそもイチョウじゃない説って話が二転三転しているが解釈というのはそういうものだ。

イチョウは近縁種が存在していない。あのイチョウとして私たちが感じることができる木は人類誕生から変わっていない、生きた化石だ。

それは生命として進化していないと同義だ。

違う言い方をすると人が感じることが出来ないほどものすごく成長が遅い一歩目の途中とも言えるが、それだとG.R.A.Dの円香は他人の目からは軽やかに見え自分では軽率なものだと。

あっという間にアイドルとして成長していく姿はイチョウの成長と進化という部分ではあまり一致していない。

しかし別のアイドルはどうだろうか、円香はそのアイドルに向かって

画像3

重くて力強い一歩だと言ってる。いうならば成長が遅いとも言える。なら、それはそのアイドルの姿がイチョウと言えるのではないだろうか。

じゃあいったい何なのか。 それはです

破竹の勢いという言葉だったり竹そのものの軽さだったり、しなやかで丈夫な姿は円香のように思える。

・樋(とい)

円香の名前にも使われてる漢字、これは雨樋(あまどい)のことだ。

これがないと外壁だったり家そのものを痛みの原因を防ぐ役割を持つ。

昔の建築では雨樋は竹が多く使われており、また雨樋があるおかげでシロアリ対策にもなる。

これは透に変な人がついてないか心配した円香と同じと言える。

これ以上書くと他のメンバーがいったいどの部分なのか等の妄想と解釈するとこの文章の趣旨がおかしくなるのでここら辺にしておく。各自のいい感じにお願いします。

そうなってくるとまた新たな目線がみえてくる。

竹だった場合でカード【ギンコ・ビローバ】をみると、あれはイチョウではなく、間接的に秋を表現したかったと見えてくる。

他のものだと秋は冬支度の時期だ。木々は葉を枯らしたり動物は冬眠したりする。しかし竹は秋になると春を向かえるのだ。

詳しくは『竹の春』という季語を調べてほしいのだが、我々からすると春=緑や青、秋=茶色などを連想する。

しかし竹の場合は逆なのだ。春には茶色の筍がなり、それが秋になるとそれが成長して青くなったり、滅多に咲かないが秋に花を咲かせる。

我々からすると季節を無視した天邪鬼な植物と言える。そうしてみると天邪鬼な部分を見せる円香はあのカードでゲーテの詩やイチョウ、秋を見せたいのではなく春を向かえたと言いたいのかも知れない。

円香の春を向かえたというのはどういうことなのか。正直これだっていう答えを見つけられなかった。春を向かえたっていうあまりにも抽象的な言葉だと明確な答えをしない円香では現時点で情報が少ない。これから分かることを期待したい。

画像4

なぜか円香のヘアピンがなぜか筍に見えてきたがする。


これから円香はこのままなのか


話は戻ってイチョウ=円香だった場合、イチョウは変わらないことで生存してきたので円香も何も変わらないのかという疑問が残る。

また伝えてないイチョウがどれくらい変わらないかの指標を一つご紹介しよう。

イチョウは他の雌雄異株とは少し異なる。他の雌雄異株の植物は若いときは雄、成長したり環境の変化などで雌になるなど性転換するケースが見られるがイチョウはそれがない。

哺乳類と同じように受精のタイミングで雄か雌にきまるのだ。一度きまってしまった事は変えられないのだ。

円香=イチョウだった場合これ以上もう変化がないこのままように思えるがそれは早計だろう。

ここまで変わらなかったといってこれから先変わらないなんて誰が証明できるのか。

イチョウも雄雌両方の性質を持つ人間で言う性同一障害のような存在が見つかっている。イチョウも変化できるのだ。

円香もこれから先、変化できる未来がちゃんと残されているといえる。

円香自身も心境を変化しようとしている。それはイチョウのように少しずつかもしれないがそういった未来があるんだと私たちに教えてくれている。



最後に感想


ここまで散々書いてきましたが結論はないですね。

円香はイチョウなのかもしれないしそうじゃないのかもしれない、もしかしたら複数あるのかもしれない。読んでくれた人に各々に委ねようと思います。

イチョウの事を調べるうちにここら辺が円香っぽいなとかここはそうじゃないな等、当てはめた事によって違った部分がみえ始めてまた悩み解釈していく。

それが解釈の魅力の一つですから。違ったのならまた自分が納得が出来るように解釈すればいいので永遠の思考遊びです。

本の本文にあったゲーテの言葉を借りるなら『上から下まで、植物はすべて葉である』この鶏が先か卵が先か。のような言葉に現代の科学ですら答えを出せていない。また明確な答えなんてないのかもしれないです。

前後編あわせて1万文字以上も書いてきた上に行き当たりばったりで書きたい事を書くだけでまともな校正をしてないので読む人も大変でしたよね。ここまで長い文章になると校正は嫌な気持ちになるので許してください。

ちなみに余談ですが個人的に思った説は【P=イチョウ、円香=ソテツ】説です。

ソテツはイチョウほどじゃないですが日本でも認知度があり一応食べられます。

しかし有毒でちゃんと解毒しないと食べれません。また葉や幹は刺々しくて触れたら痛そうな見た目です。もしかしてソテツはイチョウに嫉妬していたりするのかなぁって思いました。

同じ1億年以上の長い歴史があり存在しているのにここまで人気の差があるなんて、毒があり態度が刺々しい円香もPの商店街の人とかに好かれていたり透に懐かれてる部分を羨ましいって思ってもいそうだなって思ったのですがソテツが嫉妬しているっていうのはあまりにも個人的で擬人化による解釈過ぎなので最後にこそっと書いておきます。

面白い等思って頂けたならいいね、コメント、Tweet等お願いします。やる気になります。行き過ぎた妄想と解釈はシリーズ化したいなって思っていますのでコミュだったりアイドルのリクエストも随時募集します。(別にシャニマス以外のことでもいいです)「絶対書きます」とは言いませんが参考にさせていただきます。



最後までご朗読ありがとうございました。


参考文献: https://note.com/misinterpretater/n/n5d0f2d75b4be (前編の最後にまとめています)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?