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「書かれたもの」からクィアを読み解く(民俗学対談より vol.2)

↑↑↑前回の記事です↑↑↑


「ゲイ雑誌」の文献調査

辻本 『クィアの民俗学』では、過去の人が残した、いろいろな資料や文献といった「文字に残したもの」を使うことで、見えてくることがありました。

「第四章 ゲイバレーボールチームの現代民俗学」がそれです。ゲイの当事者は、今のようにSNSやマッチングアプリで出会えるようになる前は、インターネットの掲示板を使っていました。それより以前は雑誌の文通欄でした。

ゲイ向けの雑誌は『薔薇族』などいくつかありますが、それらは大体1970年代ぐらいから刊行されていました。

そこで、自分がどんな見た目なのかとか、どんな人と出会いたいのかといったプロフィールを200文字ぐらいで書いて、文通コーナーに載せるのです。雑誌の編集部に手紙を送ると仲介してくれて、うまくマッチングしたら、お互い写真を文通で送り合って、待ち合わせをしていたそうです。

雑誌の記事を見ていくと、80年代ぐらいから「会いませんか」という内容だけではなく、「サークルを作りませんか」とか「バレーボールをしませんか」と呼びかける動きが広まっていることがわかります。

聞き書きをするだけではなくて、昔の雑誌などをたぐっていく過程でこのようなことがわかってくることがあると、『クィアの民俗学』のなかでは書かせてもらいました。

木村 ある方からの受け売りですが、いわゆる「ゲイ雑誌」のバックナンバーを全刊揃えている公共の図書館は、日本に一つもないと聞きました。

いわゆるゲイ雑誌ですら、「公共の図書館でそろえるべきものではない」というかたちで排除されていたことがわかります。

ハンセン病療養所のなかの性的マイノリティ

辻本 ハンセン病療養所の中にもクィアの方々がいらっしゃったことを、木村さんから教えてもらいました。そのことを詩にして書かれている方がいたということで、まさに「交差性(インターセクショナリティ)」の世界ですよね。ハンセン病療養所という中にいらっしゃって、しかも、その中で性的マイノリティであったと恐らく読み取ることができると。そのことについて、お聞かせいただけますか。

木村 ハンセン病療養所である多磨全生園で過ごした船城稔美(ふなきとしみ)さんは、戸籍上の性別は男性なんですね。ご自身は男性同性愛者だったと思われます。そういう心情を綴った詩を、2003年までのご存命のあいだ、療養所の中の雑誌に切れ目なく発表し続けた方なんですよね。

本人は隠してるわけでもないし、園内で知らない人はいない。作品自体も読まれていたはずなんです。一見して男性同性愛者の恋愛の詩、園内の友人に恋愛感情を持つ、それがかなわないとかいったピュアな恋愛詩を、ずっと書いていました。そういう詩は、「クィア詩」というジャンルとも言えるのかもしれません。

[論文] 多磨全生園における詩サークルの活動と歴史的意義 ―詩誌『獏』『灯泥』『石器』を中心として(木村哲也)
https://www.nhdm.jp/hansen/wp-content/uploads/2021/03/3-08_1.pdf

2023年にハンセン病資料館で開催した『いのちの芽』の企画展*の反響で、『現代詩手帖』という詩壇の中枢の雑誌の4月号では、ハンセン病の詩というテーマで特集が組まれました。

もう一方に『詩と思想』という、双璧になるような詩の雑誌がありまして、ここも2023年8月号でハンセン病の詩文芸の特集を出しました。私はここに、船城さんについてのエッセイを書かせていただきました。

園の中には船城さんを含めて3人の男性同性愛者がいて、「男色三羽ガラス」って言われていた、という話は今でも園内に残ってるんです。船城さんご自身は非常に人気者で、園内歌舞伎の女形としても活躍されています。

「クィア詩」との対峙

木村 僕は船城さんに会ったことがあるのです。大学生のときにお会いしたのですが、職員の方から「この人は女形なのよ」と言われて紹介されました。30年前、1990年代ぐらいの当時の紹介の仕方としては非常に巧妙というか、誰も傷つけない紹介の仕方(笑)。「この人ゲイよ」と言うと、私がゲイに対してどのような感情を持っているかわからないから、そういう不用意なことは言わないけど、「女形よ」とは言いやすかったんだなと今にして思います。

ただ、やっぱり後悔がありますね。目の前にそういう人と出会いながら、その人の話をまったく聞けていなかった。亡くなったあと、この方の書いた詩の全貌がわかって、「こんな詩を書いていた人が療養所の中にいたのか」と驚きました。ハンセン病という病気に由来するその人自身の生きづらさと、それから、療養所って、ものすごい閉鎖的空間ですよね。男女の規範は恐らくもっとも強かった場所だと思うのですが、その閉鎖的空間における男性同性愛者としての生きづらさ。その両方を引き受けて、詩を綴っていたのです。

今まで誰も全く、そのような事実に注目していません。ハンセン病問題の研究者は結構います。でも彼らの視野の中に、療養所の中にいた同性愛者の存在が入ってない。今回、展示にあわせ『いのちの芽』(大江満雄 編)*という詩集を復刊したのですが、この中に参加した船城さんの詩を改めて読んでみて、今話したようなことに気づきました。

辻本 私も船城さんの詩を読ませていただきました。クィアなもの、既存のセクシュアリティやジェンダーの規範からはみ出したものを読み取る構えがなければ、これまでの研究者のように見落としてしまうものだと感じました。読む側がクィアな存在へのリテラシーや構えを持って読めば、交差するものが見えてくるということなのかなと思います。



*幻となっていた詩集。展示についてもあわせ、vol.3で紹介予定です。


↓↓民俗学対談で取り上げた、辻本侑生さんのもうひとつの編著はこちら↓↓


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