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院生日記_その4

こんにちは。
年末年始にでも書こうと思っていたところ、結局、1月下旬になってしまいました。
まあ、優先順位が高くないので意気込みより遅くなります。いつものことです。

今回は、最近なんだか同じ場所でつっかえてぐるぐるしているなと思ったので、そこから抜け出すべく書きにきました。
お時間ありましたら、どうぞお付き合いください。

まずは何につっかえているかですよね。
考えてもしょうがない選択肢を天秤にかけて、ああでもないこうでもないとずっと言っています。最近の私。
どんな選択肢なのかについては非常に明記しにくいというか、明確に述べるのはちょっと気が重いので、申し訳ありませんがぼんやりしたことしか言いません。

現在、大学院の修士1年目が終盤にさしかかった頃なのですが、私の前にはさまざまな選択肢が広がっています。
とてもありがたいことですし、どれを選ぼうか楽しみにしているのも事実です。
しかし、私はやっぱり色々な選択肢から良さげな一つを選ぶのが本当に本当に苦手です。
私専用コンシェルジュはどこに〜〜〜と本気で思っています。

じゃあ今までの人生選択はどうしてきたの?という感じですが、直感です。
それなら次の選択も直感でいいじゃないかと思われるかもしれませんが、そうはいきません。
なぜなら、選択肢の比重に偏りがある時の私の直感は鈍いからです。
例えば、重さが1の選択肢5つの中から好きなもの選びな!という場合の直感は結構当たるし、それ相応の努力ができます。
今の大学院を受験すると決めた時は、まさにこの直感が働いていました。
学部卒で民間就職したり、管理栄養士として働いたり、他の大学院に行く道もありましたが、どの道も私にとって等しく重く、並列に並んでいたので、一つの道だけ光って見えたんです。

しかし、さまざまな条件提示があり、状況によって場合分けしなければならない時、私はいつも迷子になります。
ここ最近で一番迷子を極めたのは、賃貸選びです。
この家は夜道が明るいけど、家賃が高い。ここはバストイレ別だけどキッチンが狭すぎる。このマンションは立地が良いけど防犯がゆるい…といった、条件によって選択肢が同一線上に並んでくれない場合、私は困ります。
(困ったけど、引っ越し先を決めるのにタイムリミットがあったので、友達に話を聞いてもらったりしながらなんとか決めました。話を聞いてくれた皆様に感謝申し上げます)

こんなことを言いながら矛盾していますが、比重が綺麗に1で揃った選択肢が5個もタイミング良く私の前に並ぶなんて、そんなのは稀なことだと考えています。
今日のお昼に何を食べるかという選択肢でさえ、食べたいから、という一つの軸だけで決められない時もあります(食べたいという理由だけで選択するのも大アリです)。所持金額とか、前後の食事の重さとか、いくつかの条件を加味して選択しますよね。
まして、人生の方向を決めるような選択だったら、条件を全く考えなくていいということはあまりないと思います。
これらを踏まえて考えると、その選択肢が同一線上に並んでいるかということは、私にとっての見え方や捉え方の問題だと思います。
つまり、私にとってそれらの選択肢が同一線上に並んで「見える」かどうかなんですよね…

具体的に述べるのを避けているが故に、大変抽象的な話になってしまいました…
今、目の前の選択肢が一列に整列して見えていないので直感が働かず困っています。

では、なぜ選択肢が同一線上に並んで見えないのでしょうか。
それは、「〜した方がいいんじゃないか」というバイアスに惑わされているからだと思っています。
例えば、そろそろ社会人として働いた方がいいんじゃないか、早めに結婚した方がいいんじゃないか、痩せて見た目を良くした方がいいんじゃないか、などなど…(ああ、結局具体的に述べるのなら最初から言っても良かったんじゃないか…いやでもこれに限らずもっと色々あります…)
「〜した方がいい」を気にしすぎています。

何故今になってこれを意識するようになったかについては、自分でも分かっていません。
20代も前半が終わろうとしているとか、同級生が働いて給料を稼いでいるとか、友達が結婚し始めたとか、なんかそれっぽいことは言えますし、それが要因ではないとは言い難いですが、本質はそこではない気がします。
ひょっとしたら、私にはそれができないと思いたくないだけなのかもしれません。
敢えて選んでいないだけなのに、一般的に合理的とされるコース(って何?という感じですが、学生を終えたら就職、そして結婚し幸せな家庭を築く、みたいなこととします)を外れることで、2度とそこに戻れなくなったらどうしようと、根底で不安に思っているからかもしれません。

一般的に合理的なコース(この表現に語弊がありまくりな気がしますが、言いたいことをなんとか表そうとしたらこうなりました。大目に見ていただけると幸いです)を選ぶか選ばないかは個人の自由ですし、それを選ぶかどうかに優劣もないし、どちらにせよどうやって幸せになるかは自分次第なのに、それを選ばないことに勇気がいるのはなぜなんでしょうかね。

なんだか上手く言い表せないし、答えに辿り着いた感じはしませんが、私の中で何がどう迷走しているか、少し解像度が上がったので、一旦終止符を打とうと思います。

もしここまで読んでみたよという方がいらっしゃいましたら、もやっとした終わり方で少々申し訳ないですが、お付き合いいただきありがとうございました。
寒さも厳しいこの頃ですが、1月もあと少しですのでご自愛ください。
そして良い2月の始まりをお迎えください。




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