祖父が亡くなった。残してくれたもの
くしゃくしゃになったふとんに丸まり続ける。もう何十回と目覚まし時計は鳴っているけれど、身体は起きあがらない。
それでも仕事の連絡は手際良く行うじぶんは、実感のない透明人間のようだ。心は沈んでいても頭は冷静なのだろうか、これが大人になるってことなのだろうか。
それと同時に、ああ、いつの間にかたくさんの人たちとお仕事をするようになったのだなぁと、ふわり言葉が浮かんだ。こんなこと、ふだんは感じなかったのに。どの方も、どの方も、迷惑をかけて申し訳ないと思いつつ、ちゃんと相談ができる方々だった。わたしはそういう人たちと一緒に、仕事をしているんだ。
書きたい、書かなきゃいけない原稿はたくさんあるのに、スマホの指はnoteをタップする。残しておきたい。今、この、朝を。
***
昨晩、祖父が亡くなった。
病院の処置室では、心電図がずっと「0」になっている。まっすぐな、機械的な緑色の線が、どこまでも流れる。まるでサイレンのような永遠に一定に続くこの音は、いつ消えるのだろう。もう、いいよ。と目で何かに訴えた。でも、視線はずっと祖父から外せなかった。吸い込まれるように、黙って、ただ黙って、見つめるだけだった。
真っ白で、ひと回りもふた回りも、小さくなってしまった祖父を見ながら。なにも声はでなかった。なにも言葉は浮かばなかった。
ふっと、涙が。
でも、堪えた。なぜか、ちがう、と思ってしまった。ここでわたしが泣くのは、ちがう、と。泣く自信がなかったのかもしれない。泣くのが怖かったのかもしれない。感情をそのままにとめどなく出せば、たぶん、戻ってこれないと、瞬時に思ったのだろうか。
医師が死亡確認をする流れは、穏やかでゆったりとしていて、それでいてなんの違和感もない流暢なものだった。感情はもう、わからなかった。でも何かが胸に迫ってくるのがわかり、それを堰き止めるのも吐き出すこともできず、ただただじぶんの呼吸に意識を向けることにした。
深く吸って、吐く。
それだけで、すっとこころに風が吹き抜けたような気がした。
20時29分。ご愁傷様です。
その場にいた全員が頭を下げた。
祖父が硬くなっていく気がした。じわじわと、もうまったく生きていない人に、なっていく。なんだかその瞬間をハンコを押されたような。
ああ、亡くなったかどうかは、生きてる人が決めるのか。
そんなよくわからないことを思っている間に、葬儀や火葬の段取りが進んだ。
大人たちは、忙しい。葬儀の費用・場所・規模、淡々と進めている、とは思わないけど、両親や叔父、叔母は、もう前に進まざるを得ないといったようにお寺や葬儀屋に電話をかける。あーでもない、こーでもない、と消灯した病棟の廊下に響く声。それに重なるようにわたしも、何かをわかったような口ぶりで会話に混じった。
──ああ、大人は、いつ、感情を、だすのだろう。
その場を去り、祖父が眠る処置室を覗いた。さっきまで苦しそうに口を開けていた表情から、だんだんと穏やかな表情になっているのがわかった。
そこにはもう、病気の祖父はいなかった。
***
「美里、よく来たね〜」「これ、食べるか?」
いつも笑っていた祖父の顔が、ふっと蘇る。
美里の「美」は、祖父からもらった。美しい、という文字が似合う人だったように思う。
真っ白な髪をふさふさとさせ、曲がった腰でシャキシャキ歩く。目を細めておかしそうに笑う。やさしくて、やさしくて、やさしい。
お年玉をもらい、なんでもない話をして、また来るね!と手を振る。なにを話したのかあまり思い出せない。どことなく喋るのが恥ずかしいと思っていた感情ばかりが、当時のわたしの心を覆っていたからかもしれない。
でもわたしに向けられる眼差しは、可愛くて仕方がないという愛情だった。そう言われたわけでもないし、そんな話もしたことはない。小さい頃のわたしも、それを自覚して育ったわけじゃない。
でも、はっきり心で感じていた。
ああ、じーじは、わたしのことが、だいすきだ。
***
人はいつか必ず死ぬ、という言葉を何度も何度も繰り返しても、大切な人の死に慣れることはない。誰しも「オギャア!」と生まれてから、ここまで生きてきた。その尊さを実感するのは、いつだって大切な人の死だったように思う。
人はじぶんで得たものは、この世に残せないのかもしれない。お金も、家も、車も、いつかは誰かの手に渡ったり壊されたり、形はいずれ無くなる。でも、相手に与えたものはどうだろう。
言葉、眼差し、抱きしめること、手を握ること、側にいること、笑うこと、なぐさめること、怒ること、感謝すること......。形はないし、目には見えない。だけどそのすべてが、相手の心の中には残るのだ。そしてじぶんがこの世からいなくなっても、受け取った相手はじぶんが与えたギフトを胸に生きていくのだ。
やさしくされたら、じぶんもまた別の誰かにやさしくしたくなる。
たとえ亡くなっても、その連鎖の一員に、なり続けることはできる。
祖父が残してくれたの。それは、愛だ。
わたしが今感じているものが、愛なのなら、それでいいのだ。
書きたい。
わたしは、ライターだ。書いて生きている。生きるって尊いんだよ、と。言葉で、文章で、伝え続けたい。
祖父から受け取ったギフトを、側にいてくれる人に、一緒に良いものをつくりあげようと共に奮闘して仕事をする人に、世の中に、後世に、つなぐ。
わたしは今日も、今日からも、生きていく。
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