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いろんな進路の選択

 知って、自分で選ぶこと。

 自分にとっても、子どもにとっても、ものすごく大事なことだと思ってきたが、意外と世間はそうでもない、ということに最近になって気づいた。その衝撃たるや、スプラトゥーンをプレイしていたらいきなり(やったことない)フォートナイトに投げ込まれて、ルールを把握しようとサバイバルに必死・・・みたいな感じである。

 というのはいささか大げさに聞こえるかもしれないけれども、「別ルールの世界がある」って気づくことは確かに不安で、それは「知って、自分で選ぶ」世界の住人にとっても、「知らずに、レールに乗っかる・乗れる」世界の住人にとっても同じこと。お互いさまである。

 いずれにしても。

 「進路」というのは、「知って、自分で選ぶこと」が何より大事だと私は思ってきたし、今もそう思っている。進路を選ぶっていうのは何も「進学先(学校)を決める」とか、「将来就きたい職業について考える」ということだけではなく、自分が自分らしくいられる居心地のいい環境ってどういうものかな?とか、自分が今どういうふうに時間を使いたいかな?とか、自分の気持ちを自分で聞きながら、現実と折り合いをつけるプロセスだと思っている。

 高校進学率が98%を超える状況で、ほとんどの子どもたちが高校へ進学しているわけだが、その多くが全日制高校で学んでいる。そのことに異を唱えたいわけではないが、「それ以外の選択」について子どもたちが知る機会を持てているか?ということに対しては問題提起が必要だと思っている。学校の先生たちも保護者も子どもたちも「高校へは進学するものだ」と当たり前のように思っているかもしれないが、そもそも我が国における義務教育は中学校までであるし、制度上は「高校進学する・しないは子ども本人の自由意志に基づく」ようになっている。だから「勉強好きじゃないし、働きたい」と子どもが言うんだったらその意思は尊重されるべきで、周りが首根っこつかまえて進学させる権利も義務もない。もちろん個人的には、子どもたちに教育の機会が(できるだけたくさん、長く)与えられているといいなと思うし、子どもが「学び続けたい」と思える学びの環境整備が必要だと思う。でも学びが競争という現状の中で、「この(自分にとって不利な)レースからおりて、自分なりの力を社会の中で活かしていきたい(働きたい)」と思う子どもがいても全然おかしくない。中卒で就くことができる職業や仕事にはどんなものがあるのか知り、進学した場合と比較してのメリット・デメリットを統計データ(客観的な指標)をもとに比較検討したうえで、本人が決めるしかないと思う。「中卒じゃ仕事に就けないよ」なんてよく知りもせず脅かすのではなく、大人だっておそらく知らないであろう「中卒の職業事情」について一緒に調べ、一緒に考えることが大切なのではないだろうか。

 「高校へ進学しない道」と同じように、「高校へ進学するけれど、全日制高校ではない選択」についても、子どもたちには十分情報が伝えられていないように感じている。この数年で通信制高校へ進学する子どもが激増し、少しずつ通信制高校について知られるようにはなってきているが、子どもたちに現実的な選択肢として提示されているかというとそんなことはなく、「特殊な子どもたちの、特殊な選択」という位置づけだろうと思う。別に私は通信制を激推ししたいわけでも、全日制を否定したいわけでもなんでもないが、このご時世に「毎日学校というハコに通い、朝から夕方まで一斉授業で学ぶ」一択しかないと思わされている状況は本当におかしいと思う。全日制以外の高校にも、教育の質、学力をつけるための学習や進学の面において、ものすごく課題が山積しているが、少なくとも通学頻度や通学スタイルが多様に選べるのだということは、子どもたちがもっと知っていていいのではないだろうか。体力の面で毎日学校へ通うことが難しい子どもも、週に数日だったら無理なく通えるかもしれないし、学校での学習に重きを置かずに自分のやりたいことに注力したい子どもは拘束される時間が少ないほうがいいだろう。ずっと課題やテストに追い立てられ、競争的な環境で学ぶことが合わずに辟易としていたり、傷ついている子どもだっている。「高校生とはこういうもの(こういう生活をするもの)です」という既存の枠に無理やり自分を合わさなくても、自分のペースや学び方に合わせて学校を選択することができる、まずはそのことを子どもたちに「知らせる」必要があると私は思っている。そのうえで何を選択するか決めるのは、子どもたち自身である。

 ただまぁスプラトゥーンしてたらフォートナイトになっちゃった、じゃないけど、子どもたちに「知らせたくない」層がいる、そういう世界があるという厳しい現実に気付かされるわけで・・・「なるべくいい(学力の高い)学校へ行って欲しい(その先は、いい就職をして欲しい)」と思うと、確かに「多様な選択肢」は弊害に映るんだろうなぁと今更ながら感じ入る。別に「より高い学力の学校へ」という、そういう価値観そのものは否定しないが、というより私がジャッジすることでもないが、「誰が」それを望んでいるのかということは重要である。だってその人生を生きているのはその子ども自身なんだから。学校が、塾が、親が、「より高い学力の学校に」と望むことと、子どもがそれを望むかどうかは、本来別のものであるし、そのことを自覚できている人というのは、私が思っている以上に(この国には)少ないんだろうなと思っている。いろんな人の話を聞きながら、「それって誰が思っていることですか?」と聞き返すこともしょっちゅうある。日本語が主語をはっきりさせない言語システムであるせいでもあるが、そもそも主体をはっきりさせないまま存在している人もかなり多く、とりわけ親子関係ではそれが如実に出る。

 知らせない方が子どもを自分の思い通りにコントロールできるのだろうけれど、そのあたりは「子どもの権利」という側面から認められるものではない。だから「知らせたくないです」という障壁は無視して、情報発信は続けることにしている。もちろん、「聞きたくないです」と耳をふさいでいる人に対して無理やり耳の穴をこじ開けるみたいなことはしないけれども。ただ「知らせない」ことによるリスクを軽視はできないよ、とは思っている。頑張って頑張って今の制度に自分を合わせている子どもが、選択肢のないまま頑張り続けられる保障はどこにもないのだから。どこかで自分と向き合い、自分のニーズを知り、それに合わせた生き方へシフトしないと、潰れてしまうリスクは誰にでもある。

 というわけで、少しでも多くの子どもたち、大人たちに、いろんな進路の選択について知ってもらおうと、全日制以外の高校進学をした現役高校生たちにお話を聞く会を企画した。なぜその学校を選んだのか、どんな学校生活か、学校以外の生活とのバランスは?などなど、ざっくばらんに語ってもらう。未成年の子どもたちのプライバシー保護のため、(子どもたちと相談して)西尾と直接お知り合い、お知り合いの方からの紹介制としているので、幅広くご参加いただけるわけではないが、身近なみなさんはよかったらご参加お待ちしています。詳細は梟文庫Facebookまで。

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