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なぜ人は"肉のようなもの"を作るのか〜アジア菜食の歴史から代替肉を考える

どうして、豆腐やがんもどきではなく、高度に加工した肉のような豆をわざわざ作る/食べるのだろうーー。そんな疑問が原点だった。

ここ数年、ヴィーガン・プラントベース熱の高まりは凄まじい。数年前まで、ベジタリアンはまだしもヴィーガンなどほとんど認知されていない言葉だったのに、最近はスーパーに行ってもコンビニに行っても、動物性食品不使用を謳う食品やお菓子が棚に並ぶ。オーツミルクやアーモンドミルクといった植物ミルク市場、大豆やえんどう豆を使用した植物肉市場も活況だ。

日本は大豆、欧米はえんどう豆などを原料に使うことが多い

近年のヴィーガン・プラントベースは、環境や動物倫理の観点から、欧米を起点に広まった食嗜好だと理解している。理念は大いに同意するし頭では理解するのだけれど、個々の食品に自分がどう向き合いたいかは、まだわからずにいる。
家の台所では到底できないような高度な加工によって大豆を肉の食感と味に近づけたり、読みきれないほど複雑な原材料リストでチーズの代替品を作ったり。そういった食品加工技術の賜物のような「プラントベースフード」に戸惑いを感じているのは、きっと私だけではないだろう。味は結構好きだししばしば食べるけれど、頭の片隅で「わざわざニセモノ肉をがんばらなくても、おいしいがんもどきや豆腐を食べたらいいじゃない」と斜に構える自分がいる。何だか不自然な気がするのだ。

しかし、菜食自体は、人類の歴史上決して新しい概念ではない。特にアジアには、インドと中国文化圏という長い菜食の歴史を持つ二地域がある。興味深いのは、その一方にだけ現代の代替肉に通ずる「肉に似せる」の思想が見えるということだ。その成り立ちを理解することによって今起こっていることを理解できるのではと思い、アジアの菜食の歴史とつながりについて調べてみた。

台湾ヴィーガン料理を提供していた、苓々菜館(閉店)のローストチキン。まるで本物。出典:Rettyグルメニュース

そもそもなぜ菜食(肉食の禁忌)が生まれるか

数々の文献を読んできて私が得た理解は、「民族として生き延びる/栄えるため」というものだ。

地球上には、食料生産に向く土地とそうでない土地がある。またその土地が養える人口の上限というものもある。
たとえば、肥沃な大地に少数の人口しかいなければ、食べるものに特に制限を設けなくても問題ない。一方で、文明の発展等によって土地が生産できる食料以上に人が住むようになると、全員が飢えないように何らかの制限を設けようという発想が出てくる。イスラム教が栄えた中東地域は、まさにこれだ。

そこで、ある民族が住む社会的自然環境のもとで生きるのに、「これは食べていい、これは食べない方がいい」と経験的に判断されるものがうまれてくる。これらについて、いちいち理由を説明するよりも「そういうものだ」としてしまった方がずっと効率が良い。これが宗教的な禁忌として継承されていると言うことができる。

「いやいや宗教によって禁止されているのが先で、順番が逆ではないか」という反論もあろう。しかし現代では、「食べるべきでないもの」を、宗教という問答無用のルールによって禁止していると考える説が広く受け入れられている。
実際、肉の生産は穀類生産より効率が悪く、「人口が多く自然環境が厳しい地域」と「何らかの肉食禁忌がある地域」は、かなり重なっている。

世界各国の菜食

注:ここは本題の前の長い前置きなので、既にご存知の方や急いでいる方は飛ばして次の段落に行ってください。

では、それぞれの社会的自然環境のもとで発展した菜食には、どのような種類があるのだろう。菜食と一言で言っても、その様子はかなり異なる。
ここでは、肉のみに着目し、他の食の禁忌については対象外とする。

■イスラム教🐂🙅‍♂️

豚肉の禁止が知られている。イスラム教の食戒律に適合した食をさす「ハラル」という言葉は、インバウンド観光の高まりや東京オリンピック開催を契機に、日本でも耳にすることが増えてきた。
なぜ豚肉を禁止するのかという説明は、マーヴィン・ハリスの「食と文化の謎」から引用したい。

イスラム教が普及した中東〜アジア地域の環境は、豚の生育に極めて不適。豚の祖先は水の豊かな谷間や川岸の木陰を住処としていたため、豚は泥の中を転がり回ることで体温を下げる。しかし乾燥地域で泥場を用意することは非合理で高コスト。また豚は体温が30度を超えて泥がないと自分の糞尿の中で転げ回り始めるが、これは不衛生で伝染病の温床になる
豚は雑食であり、人間と食料を取り合う。牛や羊のような反芻動物であれば、人間が消化できない高セルロース植物を食べて肉に替えてくれるので、対照的。
③育てるのが高コストなのに加えて、毛も皮も牽引力もないので、肉以外に使えなくて効率が悪い

他にも細々と言説はあるが、だいたいこのような内容が通説になっている。

泥浴びする豚。出典:Compassion in World Farming

■ヒンドゥー教🐖🙅‍♂️

牛はシヴァ神の乗り物であり聖なる生き物だから、決して食べてはいけないとされている。
インドの街で道を歩くと、そこかしこに牛がいて、寝そべって道を塞いでいても人の方がよけて歩く。確かに、牛の地位が高そうだ。
しかしインドにおける牛肉食禁忌の歴史を遡ると、昔は食べていた様子が窺える。紀元前1800~800年にかけてこの地を支配していた農耕民ヴェーダ人は、牛を保護することも嫌うこともしていなかったという。
牛肉食禁忌の理由を先の「食と文化の謎」に求めると、「牛は食べて殺してしまうよりも畑を耕したり乳を提供してもらう方が効率が良い」ということになる。
人口が増加し、森林が縮小し、牧草地に鋤が入って「半牧畜生活様式」が「集中的な農耕と酪農」になるにつれ、肉食を制限する必要が出てきた。酪農と小麦、雑穀と豆の栽培を中心にして人口扶養力を上げなければ、増加した人口を養えない。

牛肉食の禁止により、より生産的な農耕システムも手に入れられる。インドのこぶ牛は極めて体が丈夫で、少ない餌で酷暑の中でもよく耕すだ。インドの小規模農家では、トラクターより牛の方がずっと効率が良いのだという。また、反芻動物である牛は資源を巡って人間と競合することがないし、その糞は燃料と肥料になる。いいことだらけだ。

言われてみれば確かに、インドは世界有数の人口過密地域、加えて平坦な土地が少なく耕作にはトラクターではなく牛馬耕が向く。菜食主義者がおおく、代わりのタンパク源として、チーズやヨーグルトなど乳製品の使用が顕著だ。

インド、マハラシュトラ州の牛耕。画像:Unsplash

■ユダヤ教

イスラム教と共通のルーツを持ち、豚肉食は禁忌。その他に、「蹄がわかれており、かつ反芻する」という条件を満たさない動物、ひれとうろこを持たない海の生き物などが禁止されている。加えて、「畜肉とその乳(=牛肉と牛乳)」などの食べ合わせの禁忌や、畜肉処理や調理法についての細々とした規定があり、我々の感覚からすると理解しにくい部分が多い。
しかし、反芻動物=草食動物ということに思い至ると、割と腑に落ちる。人間と食料を取り合わないどころか、人間が消化できない草などを食べて肉に変えてくれる動物というのは、食べるに適したものということができる。その他の規定について語るとあまりに長大なので割愛する。

出典:The Spruce Eats

■ジャイナ教

ヒンドゥー教の一派で、「不殺生」を徹底する宗教として知られる。ジャイナ教徒はインド西部に偏在しており、インドの外にはほぼいない。一切の肉食・魚食・乳製品や卵の喫食を禁止するのみならず、野菜についても規定がある。たとえば根菜は「バクテリアや菌類が多く付着しており、食べることで殺してしまう」という理由で禁止。種の多い果実類も生命を奪うことになるから、人によっては食べない。最も厳しい菜食だ。

ここまでは、肉食禁忌のある宗教として知られているものだ。一方、我々にも馴染みのある仏教とキリスト教には、食戒律はない。…と思っていたら、実はあった。

■仏教

仏教国である中国では、古くより菜食文化が発展している。中国の文化圏である台湾やベトナムも、同様だ。中国や台湾では素食、ベトナムはĂn Chayという呼び名で、屋台なんかでも気軽に菜食が食べられる。
森枝卓士の「アジア菜食紀行」によると、中国文化圏の菜食は、仏教との関連で生まれてきたもののようだ。インドより仏教が伝わった時に、それと共に伝わったのだという。その証拠に、礼記などにあたってみても「殺生はしたくない」と言っていても「殺したものを食べてはいけない」とは言っていない。ただし、喪に服す時は肉食を絶つという習慣はあった。
仏教伝来と共に不殺生思想もインドに伝わったわけだが、それが定着したのは仏教徒の五戒の第一である不殺生因果応報(殺生してると、生まれ変わってもそれに応じた人生になるぞ)、儒教などによる服喪期間の肉食断ち、などが土壌としてあったと考えられるという。

ところで、菜食主義自体はインドより渡った思想だが、その実践(調理)にあたっては、様子がかなり異なる。これが本題なので、後で扱う。

■キリスト教

キリスト教では、一部の分派を除いて、肉食自体は禁止していない。
そもそも聖書では「神は人間が食べるものとして動物や魚を作った」とされているので、肉食は肯定されているとも言えるのだ。キリスト教が栄えたヨーロッパ地域が、比較的食料生産に余裕のある土地柄だからというのもあるのだろう。イースターの前の四旬節の期間など、部分的に肉食を断つ習慣はあったけれど。

ここ数年のヴィーガン・プラントベースフードブームは欧米のキリスト教諸国から始まっている。しかしながら、歴史的にはこの地域が最も肉食に対して抵抗のない地域だったのだから、なかなか興味深い。どうしてそのような意識が芽生えたのだろう。

山本謙治の「エシカルフード」で言及されているのは、ダーウィンの進化論だ。イギリス、フランス、ドイツといった動物愛護に先進的な国々では、進化論が世の中に認められた頃から、「ヒトが動物から進化した存在であるならば、その起源である動物を粗末に扱ってはいけない」という考え方が広まったという。ここから動物の権利への意識が芽生えていった。なるほど。

素材そのもののインドと、もどき料理の中華文化圏(本題)

さて、ここからが本題。
世界の二大菜食ホットスポットのインドと中華文化圏(中国・台湾・ベトナム)に注目してみる。一体、それぞれどんなものが食べられているのだろうか。

この二地域の菜食は、共に宗教にも裏付けされた長い歴史を有するものでありながら、明らかに思想が異なる。
一言で言うと、インドのは「豆や野菜そのものを食材として料理する」のに対し、中国などでは「豆や野菜を駆使して肉や魚に味や食感を似せたもどき料理を生み出している」のだ。インドではひよこ豆のゴロゴロ入ったカレー(チャナマサラ)を食べ、中国では大豆を加工した湯葉で豆腐餡を包んで揚げて、魚そっくりな料理に仕上げると言った感じ。言われなければ本物の肉や魚と区別がつかないくらい精巧なものもあり、なかなか手がこんでいる。

インドのチャナマサラは、豆を豆として食べる。出典: serious eats

しかし、一体どうして中華文化圏ではもどき料理が発展したのだろうか。インドのベジタリアン料理と台湾素食の性格の違いは、一体どこからきているのだろうか。森枝卓士の「アジア菜食紀行」を頼りに見ていきたい。

船橋のベトナム料理店マンダリンカフェで特別にお願いして作っていただいた菜食の数々。にんじんでエビを模し、干し筍や湯葉などで肉のような食感を出す。

中国菜食のルーツはインドにある

仏教の発祥は、インドとされている。すなわち、中国仏教の菜食思想も、元を辿ればヒンドゥー教に基づくインドの菜食思想とルーツは同じということだ。その伝来と定着については、すでに述べたとおりだ。しかし、伝来した土地の環境等によって、その実践(調理)は異なる。ここからは、「どういう違い」が「なぜ生じたのか」を紐解いていきたい。

違い①乳製品の利用

インド菜食の特徴のひとつに、乳製品の利用がある。インドでは、菜食とは言っても乳の利用は禁止しておらず、パニール(チーズ)、ダヒ(ヨーグルト)、ギー(精製バター)など様々に加工して食事に活用している。豆と並んで、タンパク源として活躍している。
一方、中国文化圏では乳製品はあまりみられない。代わりに見られるのが豆腐をはじめとする大豆製品で、食物史学者の篠田統は「乳製品の代用として豆腐が生まれた」という説を展開している。南北朝から唐代にかけて、北方遊牧民族が乳腐(チーズ)をもたらし、漢民族はその代用品として豆腐を作った」というのだ。

たしかに、酪農が盛んな国では腐敗しやすい乳を加工する必要があるが、酪農よりも水田文化の国では大豆加工が合理的だ。というのも、水田耕作が機械化される前は畦道や水田の周辺にはよく大豆が植えられていたという。そして大豆は皮が硬くそのままでは消化しにくいし煮炊きも時間がかかるので、加工しようとなるのだ。そういえば、チーズ(パニール)と豆腐は、ほとんど同じ作り方だ。

加えて、「生臭いもの」を敬遠する儒教的文化土壌も、乳製品不定着の一因にあったのではと考えられる。

水牛のチーズから作られるチーズ「パニール」は、インド料理の欠かせない食材の一つ。画像:unsplash

違い②肉食否定の完全性

ヒンドゥー教では牛肉食をタブーとして完全に禁止しているが、仏教ではそこまでではない。殺生を避けるとしているだけで、肉食自体は完全否定されている訳ではなく、また解釈の余地もある。

違い③托鉢か僧院か

インドの僧侶は、托鉢によって食事を賄う。俗世を捨てた修行僧の存在は、仏教やジャイナ教以前からあったという。菜食主義がインドの生活や食文化を支える層として十分出来上がっていたこともあり、人々からの施しだけで十分菜食の生活を成り立たせることができた。
一方、中国仏教の場合は、受容のプロセスから「国家仏教」という性格を持つことになり、支配者が権力で作らせる巨大な僧院という存在ができ、その中で煮炊きが行われた。中国では、インドほど一般市民に菜食の土壌がなかったこともあり、施しだけで菜食の食事を賄うことができなかったと見ることもできるだろう。
とにかく、そんなわけで僧院内で煮炊きをする部門が出来上がった。富と権力のあるところに美食が生まれ、徐々に一般に広がっていくというのはフランス料理やタイ宮廷料理を見ても明らかで、中国でも絶対的権力を握る国家の存在があって、宮廷や僧院の中で洗練された菜食が生まれていったのではないかと考えられる。

上記は、アジア菜食紀行の内容をもとに書いている。余談だが、「なぜ東南アジアの仏教国に菜食は根付かなかったのか」という疑問については、「東南アジアは魚醤が調理に欠かせない存在であり、魚も豊富。一般の人から施しを受けるとなると生臭料理しかない上に、稲作と組み合わされた魚食文化(タンパク源としての魚)がエネルギー・コスト的にも安易」という理由があると論じられている。たしかに、タイで魚を避けることは却って効率が悪い。肉や魚を排した食文化体系が築けるかどうかが、菜食の根付くための一条件と言っていいだろう。

肉など存在しないインド菜食と、肉の味を知ってしまった中国菜食。そして現代の代替肉は…

そろそろまとめたい。
上記の文化的背景の違いから、豆を豆として食べるインド菜食と、もどき料理に特徴づけられる中国料理の違いが説明できる。解説は、またアジア菜食紀行に依る。

インドでは、生まれてから死ぬまで一度も魚や肉を口にすることのない状況がある。そこで、豆をそのまま味わう、いわゆる普通に考えつく菜食が出来上がる。
対して中国文化圏は、すぐ手の届くところに肉や魚がある。一生食べないということはほぼあり得ない環境だ。歴史的に見ても、菜食文化が入ってきたのはインドよりずっと後。そこで、肉の味を知ってしまった人々が、肉食への未練として「もどき料理」を作り上げたと考えられはしないか。

この解釈は、なかなか納得できる。雑食動物である人間が、一度知ってしまった肉の味に執着するのは、極めて当然のことだ。草食よりもエネルギー効率も良いのだから、肉を欲するのは本能的と言えよう。

こうして今のフードテックをみてみると、不自然でもなんでもなく、歴史の流れの中での必然のように思えてくる。
現代に生きる私たちは、仏教伝来時の中国の人たち以上に肉の味を知ってしまった。ゆえにそれに対する執着もはるかに強い。そして肉に似た食べ物を生み出す技術も、当時の人よりずっと高度なものを持っている
代替肉をはじめとするプラントベースフードは、仏教伝来時の中国の人たちと同じことを、より時代が進んで今度は環境視点から肉食を控えなければいけなくなった地球人が、より高度な技術で同じことをやっているのだ。そう思ったら、違和感も薄らいだ。食文化というのは、そうやって人間の欲望に突き動かされて発展してきたものなのだろう。

それにしても、かの時代にあれほどまでのもどき料理を発展させた先人の探究心には頭が下がる。もどき料理にますます興味がわいてきた。

●追記

とか考えていたけれど、現地行ってみたら違った!という話がこちらです。


参考文献:
森枝卓士『アジア菜食紀行』、講談社現代新書(1998)
山本謙治『エシカルフード』、角川新書(2022)
マーヴィン・ハリス『食と文化の謎』、岩波現代文庫(2001)
シーエムシー出版編集部『植物由来食品・代替食品の最前線』、シーエムシー出版(2020)

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