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ベトナム寺院のまわる台所と暮らし、かぼちゃ葉の筋取り@埼玉

あまりイメージがないかもしれないが、ベトナムは仏教信仰が強い国だ。若い人でも「週末はお寺に行く」という人が少なからずいる。そんなベトナム仏教徒の方々が拠り所にする寺が日本にもあり、その一つが埼玉県本庄市の大恩寺だ。

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最寄りの在来線駅から徒歩40分ほど。坂道を登っていった先にその寺はある。「ベトナム寺院」と並んでこの寺を説明する言葉が、「駆け込み寺」。日本に暮らすベトナム人の約半分は技能実習生だが、コロナ禍で多くの人が仕事と住む場所を失い、またビザが切れても帰国できない人も大勢出た。生活が行き詰まり困ったベトナム人若者たちはお寺を拠り所とし、ベトナム佛教信者会会長でこの寺の住職を務める尼僧ティック・タム・チーさんを頼って次々やってきたという。そうしてたどり着いた人たちが、共同生活を送っている。(このあたりは取材記事がたくさんあるので興味のある方は「大恩寺」で検索して読んでみてください。)

私がこの寺を訪れたのは、2021年7月のこと。タム・チー師とともに在日ベトナム人支援をされている僧侶・吉水岳彦さんの計らいで連れていっていただいた。最初の関心は、「ベトナム精進料理ってどんなものだろう」というもの。さらに話を聞いているうちに、「日本の地でベトナム人の集団生活から生まれる料理をもっと知りたい」と思うようになってきた。話すうち、タム・チー師より「お盆の支度は特に面白いよ。泊まりでいらっしゃい!」とありがたいお誘いをいただき、お言葉に甘えて8月に再訪。数日間滞在してお盆の支度を手伝いながら日常の料理を一緒にさせていただいた。

本記事では大恩寺の日常の台所事情について、後編の記事ではお盆と精進料理について書きたいと思う。

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拡張を重ねて作られた「外の台所」

寺に着くと、ベトナム語が飛び交い、作務衣を来た若者たちが忙しく動き回っている。「よく来たね!」と太陽のような笑顔でタム・チー師が迎えてくれた。彼女と2人のお弟子さん以外は、この寺に身を寄せる若者たち。昨年の秋から冬にかけてのピーク時には80人ほどの若者が共同生活を行なっていたというが、その後入国管理局が週28時間までのアルバイトを認められるようになったり(資格外活動許可)、帰国希望者がチャーター便で帰国したりして、今は20人ほどに減った。しかしコロナ禍の長期化によって新たな問題も生まれており(ベトナム国内の感染拡大による帰国困難など)、滞在理由は多様化していると言う。

もともと寺は大勢の人が生活する想定で建てていないので、本堂に増築を重ねて拡張し、風呂場や居室など生活のための機能を作っていった。台所は、小さなシステムキッチンだけでは足りず建物の外にも広がっていて、ここでみんなの生活を支える食事が生み出されている。

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システムキッチンの外には...

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大きな「外の台所」。

朝食はインスタントラーメンがいい

寺の朝は早い。男性たちは本堂に雑魚寝なのだけれど、広げられた布団は朝6時頃には畳んで屋根裏にしまわれ、掃除をして7時半に勤行。皆がかたい仏教徒というわけではないけれど、寺に暮らす間は寺のルールで生活する。

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朝の勤行。ベトナム語のお経は「ナモアジダファット(南無阿弥陀)」だけわかった。

朝食は勤行の前後に各自とるのだけれど、誰かが全員分用意するわけではなく、めいめい用意する。ご飯は2つの炊飯器に満タン(+仏飯のお下がり)あり、前日の残りものをおかずにもできるし、卵を焼く人もいる。作るとなると他の人の分まで多めに作るから、それをおかずにする人もいる。
しかし驚いたことに、朝食にインスタントラーメンを選ぶ人のなんと多いことか。

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ベトナムの人気インスタント麺「ハオハオ」が、エースコックの支援品として箱いっぱいあるのだけれど、一人また一人とそれを出してきてお湯を注ぐのだ。今日は特別なのかなと思ったけれど、翌朝もその光景がある。朝からガッツがあるなと驚いたのだけれど、「朝は麺だよね」と笑顔で言われてよくよく考えてみたら、確かにそう。ベトナムの朝食といえば屋台のフォー。ブンやミーなどの麺類も定番だ。麺類はするっと手早く食べられて、「朝食にふさわしいもの」なのだ。加えて、インスタントならば作るのも一瞬。インスタントラーメンの朝食は、ものすごく理にかなっている。

常に誰かが台所にいる、誰もが台所に受けいれられる

食事のタイミングは一斉でない。掃除や片付けなど、それぞれの仕事の合間にそれぞれとる。

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食事を作るのも、入れ替わり立ち替わり誰かが台所に立つ。私が遅めの人たちと朝食を食べていると、横で女の子がなにやら葉っぱを刻み始めた。

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昼前くらいになると炒めものを作りだし、その横で今度は男の子がかぼちゃスープを作っている。それらをおかずに昼食をいただいていると、遅くきた人が卵焼きを作って後から来る人のおかずが増えた。お供物のスイカを下げてきて切る人がいて、また別の誰かがみんなの分の皿洗いを引き受ける。そういえば、私も今朝かぼちゃの葉っぱのすじ取りを手伝ったけれど、あれはどこにいったんだろう?

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かぼちゃの葉(茎)を炒めたものはベトナム定番のおかず

午後は畑作業をしたり掃除をしたり。そしてその間にもいつも誰かが台所で何かを作っている。そばに座り込むと、手伝わせてくれる。週末には遠方からベトナム人の若者たちがやってくるのだけれど、初めての人もすっと加わって何か手伝う。

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この3人は週末の来訪者。突然来ても、空芯菜スライスの仕事が与えられる

なに人だとか、どんな立場だとか、どこからきたとか、関係ない。どんな人でも(*)いてよくて、何かやりたければ役割が与えられる。そして「ご飯食べた?」と尋ねられては食事の輪に加わる。そんな開かれた台所で輪に加わって、私も途方もない安心感を感じていた。

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誰でも加わる。気付いたら寺の住人は不在で週末客だけになっていた。

ここに生活するベトナム人の中には、技能実習生として働いていたものの過酷な労働や扱いに耐えきれず逃げてきた人もいる。仕事を失い帰ることもできず、肩身の狭い思いでやってきた人もいるだろう。どんな人でも(*)ただ存在が認められて、強いられるのではなく自ら貢献できることを見つけられる台所の包容力が、私にはとても大きなものに感じられた。台所で動き回る一人一人の表情は、とても穏やかでいきいきしているのだ。

*ただしビザなしの人は生活できない。一度入管に出向いて滞在許可が得られた上で受けいれている。

普段の食事はいただいた支援で成り立つ。お金を使うのは「誰かのため」

夕方畑から帰ってくると、また誰かが夕飯の支度を始めている。一人二人とおかずを作る。この日は、ちょうど寺を訪れた支援NPOの方がうどんを打ってくれたので、一人の女の子が野菜を煮込んで具沢山のスープを作り、かけうどんにして食べた。見た目はまるで田舎の煮込みうどんだけれど、味付けと具沢山のスープ麺スタイルはベトナム屋台風だった。お寺なので肉なし。

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それにしてもみんなよく食べる。細身の女性でも普通におかわりするし、体を動かしているからか気持ちよく食べる。この食欲で20人以上の人が3食食べるのだから、必要になる食料はなかなかな量だろう。一体どうして賄っているのだろうか。

「日常的に食べる野菜や米は、ほとんど支援品で賄えているんです。卵や厚揚げのような日持ちしない必需品は買うけれど、野菜などはあるものを使って作れるものを考えてやっています」とお寺の事務を担うフェンさんが教えてくれた。支援者は、日本に住むベトナムの佛教信者の方々や、大恩寺の状況をテレビや新聞で知った個人や支援団体、近隣の事業者など様々。「困っている人がいるならば」という気持ちで送ってくださったもので生活が回っている。

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さらに春からは自分たちで畑を耕し、野菜を育てるようになった。農業指導員の方がボランティアで来てくださり、自分たちで生産することを開始。トマトにきゅうりにベトナム小なす、とれたものはお寺を訪れた方やお世話になっている方にもお裾分けする。ちなみにお寺ゆえ、虫を殺生しないようすべて無農薬で栽培。

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寺の前の農園に連れて行ってくれたタム・チー師

集団生活で光熱水道費など寺の出費はかさむが、支援のおかげで日々の食事についてはほとんど買い物せずに成り立てているという。しかし、例外的にたくさんの買い物をする時がある。「誰かのための料理を作る時」だ。私の滞在中は、近隣の貧困家庭の子ども達のために150本の春巻を作ったり、お盆に訪れる信者さんたちに振る舞う200個のまんじゅうを作ったりした。「困っている人のため・誰かのため」の気持ちを、循環させているようなのだ。

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200個の饅頭を作るには、卵だけでも100個必要。料理については後編で。

「困っている人のために。」

このお寺にいる間に、何度この言葉を聞いただろうか。印象的なのは、いただく方の文脈と同じくらい、与える方の文脈でも耳にするのだ。布団の山を指差して曰く、「"困っている人がいるならば"と、近くのNPOの方が以前寄付してくださった。その方が今度、貧困家庭の子たち向けにバザーをするの。困っている人のために役立ててもらえるから、大恩寺で使わなくなった洋服も差し上げたの」と。150本の春巻きを朝5時起きで作ったのも、バザーに訪れた子どもたちに食べてもらうためだ。

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全国に暮らすベトナム人留学生も、アルバイト収入を失って窮乏している人が少なくない。そんな彼らのもとには「困っている人のために」といって米や食料が送られていく。

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寺に届いた支援物資は、皆で小分けして全国の同胞の元に。大恩寺は集積拠点としての機能も持つ。

タム・チー師は、「今はみんな大変な時期だから、日本人もベトナム人も助け合いたいし、お世話になった分恩返ししたい」と言う。

日本人の生活困窮者、全国各地のベトナム人留学生、身の置き場のない人... 人はきっとそれぞれ困りごとを抱えている。支援者・非支援者という関係ではなく、感謝と助け合いがまわっていて、誰もが存在として受け入れられるこの台所は、日本人の自分にとっても底知れぬ安心感と包容力を感じる空間だった。

後編に続く↓


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