見出し画像

旅することの効能 in 神山町

神山町、と聞いて抱く印象は、私の中ですでに「あーはいはい」だった。大変失礼な話である。だけど10年前、私が初めて神山町を知った当時から、すでに神山町は“地域活性”(と表現していいものか…)の先駆けとして紹介されていて、特に「外から来た人間が地域を盛り立てていく」という良い事例として注目を集めていた。あれから10年。神山町も色んな変遷を経て今に至るのだろうが、正直なところ私の中では「イン神山」「サテライトオフィス」「アーティストレジデンス」の3キーワード以外に何一つアップデートされないままだった。

今回、初めて神山町を訪れた。町に入ってからたったの3時間程度の滞在で、どれほど神山のことを知れたかと聞かれたら、「ちょっとほとんど分かれてないです」が素直な感想だ。なのであーだこーだと語る資格はほぼない。だけれども更の眼で神山の“雰囲気”を捉えられたのは良かったと思っている。今回はそんな3時間の神山トリップで心動かされた出会いのいくつかを記しておこうと思う。

慶応SFCの調査本と”オブタ”の発見

かま屋で読んだ、慶応義塾大学SFCのリサーチ報告本はとても良かった。閲覧用に二冊置いてあったのだが、そのうちのひとつが特に素晴らしかった。大学生が神山町を調査して、彼らの視点で見つけた“神山らしさ”が視覚化・言語化されたその本は、外の人間が見ても中の人が見ても「そうだったんだ」というアハ体験的な気付きをくれる。例えば神山の家って何でこんなに石垣の上に立ってるんだろなーとかいう素朴な疑問に対して、丁寧にリサーチしてくれているのだ。

中でも私が面白いと思ったのが、「オブタ」という神山特有の屋根のつくりについて。神山の家の軒下は通常より立派な屋根で覆われている。メインの屋根の下に、もう一つ屋根がある感じ…?上手く説明できないので画像を貼っておく。

スクリーンショット 2022-01-22 124355

(『オブタ』の一例。神山町町役場HPより)

新しい土地へ赴くときの「あれ?これってなんでだろう?」という感覚を、私はとても大事にしている。地元の人にとっては当たり前過ぎて見過ごしてしまっているオリジナリティが、新鮮な目を通すことで陽の光を浴びることがあるからだ。もっと言えば、何気なくやっていたことにこそ、土地や人々が受け継いできた“大事なこと”が、ギュッと凝縮されているように思う。
私は旅をするとき、特に民家の「屋根」と「山の雰囲気」に注目してしまう。「ここの屋根はうちのとことは趣が違うなあ。あ、黒いからか」とか、「ここの山はなんだか切り立っていて険しいなあ。あ、生えてる木が違うのか」などをきっかけに、「じゃあなんで黒なのか」「なぜ違う木なのか」と知りたい欲がむくむくと湧いてくる。調べていくと、その土地で採れる材料の違い(そしてそれは地質や地形といったものがもちろん関係している)や、戦後に大量に植えられた杉が原因だった、などという背景が見えてくるのだ。素人の趣味調査なのでそれ以上の詳細は分からない。だけどこういった考察によって、その土地と実際に見てきたものとが重なり、自分の頭の中の白地図が少しずつ埋められていくのだ。私の旅仕方は、大体いつもこんな感じである。

ちなみにと言っては大変失礼だが、お昼をいただいた『かま屋』のご飯もとても美味しかった。地産地消(彼らは“地産地食”と言っている)が徹底されていて、翌日に訪れた上勝町の青年曰く「あそこまで地産地消しているとこはそうそうない」とのこと。何より素晴らしいのは、それが“美味しい”ことだろう。ごちそうさまでした。

画像2

かま屋でいただいたランチ(2021年1月20日 筆者撮影)

神山杉を活用したブランド“SHIZQ”のお話

次に向かったのが『SHIZQ』。デザイン会社を母体としながら、神山町の杉を有効活用するための活動をしている「しずくプロジェクト」が立ち上げたブランドだ。お邪魔したショップでは、彼らがこれまでに製品化した様々なプロダクトが販売されていた。
山の木に関しては、私たち夫婦も思うことがある。私たちのゲストハウスのある福島県須賀川市の周辺では、高齢化に伴って山の手入れをする人材も減り、手のつけようのないくらい荒れた木々が増えてきている。SHIZQの方のお話では、彼らのプロジェクトの発端は、県外から移住してきた社長の「神山って紅葉しないなー」のひと言だったそうだ。調べていくと、戦後に住宅用木材として全国に植林された杉が原因らしいということが分かった。植えたはいいものの次第により安価な外国産の木材に需要は移り、国産杉は手付かずのままになっていった。それだけならまだいい。深刻なのは針葉樹で葉を落とさない杉が、山をずっと日影の状態にしてしまうことだ。陽の届かない地表は草花が育たず、地面の保水力が奪われてしまう。そのお陰で現在、清流として知られる「鮎喰川(あくいがわ)」の水量はどんどんに減ってきており、川の水を使用している山の人たちの生活に影響を及ぼしていると言う。

この事実を知ったしずくプロジェクトは、原因となっている「杉」を活用してプロダクトをつくることを決めた。しかし柔らかい杉を加工するには、磨かれた職人の腕が必須。しかも住宅用建材ではなく、カップや皿などの「生活用品」を製作するというハードルの高さに、はじめは応じてくれる職人が見つからなかったと言う。紆余曲折を経て、はじめに手を上げてくれた熟練の職人の力を借りてようやく製品化にこぎつけ、今では後継の若い職人が制作にあたっているそうだ。

この一連の話を伺っていて、他人事ではないと思った。広葉樹が多いとは言え、山の木が手に負えなくなっていること、活用しようにもできる人間自体が少なくなってきていること、そしてそれに関して全くと言っていいほど関心が寄せられていないことは、福島でも一言一句同じだからだ。

画像3

SHIZQで購入したプロダクト(芳香剤とミスト)と、パンフレット

画像4

パンフレットにある神山の川の水の目減り具合が、分かりやすくリアル

旅をすることの効能とマナー

今回の旅で感じたことは、実際に「目で見て触れて話して感じる」ことの大切さだ。当たり前過ぎて書いてみると呆れるほど凡庸な再発見である。私はいつも他所の土地に入るとき「お邪魔します」の気持ちで足を踏み入れている。それは東日本大震災後、どこの誰だか知らねーやつらが無尽蔵に福島に入り、私たちの大事な土地を大してありもしねー知見であーだこーだ食い散らかしていったという記憶が、鮮烈にあるからだ。「郷に入っては郷に従え」は、国内外を転々としてきた自分を救ってくれた、大切なポリシーなのだ。
また、“実際に”見聞きしてきたことを、どのように自分の糧するか、そのことも大事だと思っている。いわゆる行政や民間企業の「視察」というやつは、税金や会社の金を使って半ば旅行気分でなされることの方が多い(と感じている)。だけどそんな半分眠ってるみたいな眼と人任せの視察では、なーんにも見えない。お金を落としてくれてるだけ良いと思うか、あるいは前述の私のように「やる気なくて食い散らかしてるだけ」と捉えられるかは、地方の方々の器の大きさによって変わるだろうが。

少なくとも私自身は、いつでも“責任を持って見る”ということを忘れたくない。自分の言葉で質問し、自分の見てきた経験から語る。その“真実性”が、よそ者である自分を少しでも受け入れてもらうための、唯一の手段だと思っている。そして「何をするか」ということ。手を動かさなければ何もしてないのと同じだ。高学歴でも大企業でも火ひとつ自力で起こせない方は、ぜひ口より手を動かして欲しいと思う。

今回の度では、オンラインが主流になってしまったこんな時代だからこそ、改めて“旅する”ことの効能を実感できたように思う。
県外からの訪問にも関わらず快く受け入れて下さった神山町の皆さまに、改めてお礼を言いたい。

2022年1月22日
guesthouse Nafsha
オーナー 佐藤美郷

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?