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もうそろそろ、本気で中身の話を

場をつくる、ということについて久々に考えてみようと思う。

今わたしは、ゲストハウスとは別の場所を「アトリエ」として借りはじめ、今月11月の頭から友人クリエイターを招いて個展を開いてもらっている。
場所の名前を『atelier Nafsha(アトリエ ナフシャ)』としたが、特段「アトリエ」が欲しかったわけでも、新しい場所が必要だったわけでもない。ただ他の地方と同じように過疎化の一途をたどる須賀川の、その中心街にあるビルが、何の活路も見いだされず閉ざされてしまうことがもったいない。そう思っただけだ。
ビルを所有している不動産会社と「一室だけ借りる」という話で折り合いがついたので、入居を決めた。

“場をつくる”について、改めて。
このnote内では何度か書いていることだが、“場をつくる”とはつまり“空気をつくる”ということと同義だと思っている。

“空気”をつくるものの要素は、新しいハコでも新品の什器でも流行りのファニチャーでもなく、その場にいる“ひと”。もっと言えば、その場で紡がれる人と人との関係性こそが、そこに息づく“空気”を育てるのだ。

とかく「まちづくり」を語る人の口から、この“空気のつくり方”の話が聞こえてこないことを、わたしは常々残念に思っている。これは須賀川市に限ってのことだが、とにかく行政の“まちづくり”はイコール「ハコものを作り」の傾向にある気がしている。どこかの自治体の成功事例の真似、都会で流行っているものの流用、円谷監督の特撮シリーズに乗っかり続けるビジネス etc.
 「それって本当に、いま、ここでやる必要あるの?」という、移住してきた身としてはなんとも幸先不安なまちづくりがなされている。ここに住み続けてほんとに残したい未来ってつくれるのか?と。

この廃ビルの一室で、何が変わるのかは分からない。私だってすべての正解を知った上で動いているわけではない。でもその“分からなさ”に向き合うことこそが、“いま、ここで一番やらなければならないこと”だということは、分かっている。地方が「何かの真似事」で出来上がってたまるか。

最近、このビルにも内見で訪れる人が増えてきた。実際に入居者も少しずつ決まり、新しい動きが生まれつつある。街中にも「まちづくり」を謳う法人ができ、県外からの人の行き来も活発になっている中、改めて“つくること”の本質を考えたいと思う。
というか、そうゆう話していこうよ、そろそろ本気で。

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