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緊急事態から考える、「回復じかん」の過ごし方

こんなに家の中に閉じ籠っていたのは、あの時以来だ。  
そうだ。 ちょうど、10年前の、今と同じ季節だった。

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ある朝目が覚めると、体が鉛のように重く、起き上がることができなかった。

夫に助けを求めようとすると、声が出なかった。

異変に気付いた夫に話しかけられても、ただただ涙を流すことで精一杯で、布団の中で泣いていた。 鬱だった。
こうして、約2年に及ぶ鬱期が幕を開けた。

もともと双極性障害と診断されていた私だったが、ここまで酷い鬱状態を経験するのは、初めてだった。 数日仕事を休み、主治医のところに相談にいけた時には、絶望するには十分だった。

主治医の判断により、休職が指示された。

私は、己の生きがいとも言える大好きな仕事を、休むことになった。 夢が叶って、4年目の春だった。

休職経験があるというと、仕事が原因だと思われることが多かったが、私の場合は、仕事は直接的な原因ではなかった。  あえて原因を言うならば、長年の心の膿が限界を突破したからだろう。

私はみるみるとエネルギーを失い、あっという間に、生きる気力までもが枯渇した。

どこにも行けない。
誰とも会えない。
何もできない。

1人では電車も乗れなくなり、店にも入れなくなり、人と話すこともできなかった。 夫と、おばあちゃんを除いては。

私は、毎朝、夫に送られておばあちゃんの家に行き、仕事が終わった夫に迎えられておばあちゃんの家から自分の家に帰った。



*****


あの時から10年が過ぎ、色々なことが変わった。
 私は新婚の妻から、2人の子どもの母になった。


私の安全基地になってくれたおばあちゃんは、アルツハイマー病になり、私のことは忘れてしまった。


東京のマンションを引っ越して、海と山に囲まれた町に、小さな家を建てた。

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鬱期は2年だったが、人生の回復期とも言える2年だった。 生まれ変わりのための2年間で、私がしたこと。

<ただひたすらに眠ること>
 この時、焦ったり、後悔したり、誰かや自分を責めないで、ただただ眠ることが、エネルギーを蓄えるのによかった。

<「今、辛い。」ことを自覚すること>
ポジティブに考えようとしない。ネガティブでもない。ただただ、自分の心の中を、ありのままに一言の言葉で表現した。「私、今、辛いんだ。」と。

<人とのつながりを感じること>
 夫と祖母が毎日毎日一緒にいてくれた。 そこ以外はどこにも行けなかったから、ブログを書いていた。 同じ病気の人や、休職中の人のブログを見つけてはフォローして、仲間を見つけた。
もう少し回復すると、心を許せる友人に連絡を取れるようになった。あの時、友人に電話して話をした時のことを、今でも覚えている。彼女のことを、紛れもなく、心から信頼していたのだろう。彼女の存在が、ありがたかった。

つながりが、感謝を生む。
私の穴が空いた空っぽの心に、感謝が少しずつ蓋をして溜まっていった。



*****

10年前の私は、どこにも行けず、ほんの数人の限られた人以外とは会えなかった。 人生のワースト3には入る緊急事態だった。

10年経った、今、私はまた、緊急事態を迎えている。

 今度は、私だけではない。世界中が、緊急事態だ。

10年前と今、変わっているようで、何も変わっていないのかもしれない。でも、あの時わからなかったことが、少し、わかった気がする。

緊急事態は、 休んでエネルギーを蓄える時期。変えるべきところを変える時期。

この緊急事態を、回復期を経て乗り越えることができたら、きっと、はっきり見えるだろう。
 大切なことが。大切なものが。大切な人が。

だから今は、みんなと一緒に、回復じかんを過ごす。 それが長い道のりでも、
確実に未来に近づいていると知っている。

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