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苦手だったあの日にも、カーネーションを。

母の日が苦手だった。

母に心からの感謝を伝えられない、自分への罪悪感。
母に心からの感謝を贈る友人への、うらやましさ。

欲しくない感情が入り混じる、そんな日だから。





母娘関係が劣悪だったと言えば嘘になるかもしれない。

私は母を好きだったし、母を悲しませたくはないし、喜ばせたいと思っていた。

一方で、
話がしたい。
受け止めてほしい。
受け入れてほしい。
無条件に愛されたい。

そんな気持ちで溢れていた。

叩かれたり、怒鳴られたりするたびに、
私が母にしてあげたいことも、してほしいことも叶わないことが苦しくて、悲しかった。

複雑な気持ちが露呈する「母の日」は、なんとなく苦手だったのだ。




月日がグングン流れ、そんな私も2人の子どもの母になり、母の日にカーネーションをもらう側になった。

張り切る我が子や、プロデューサー並みの手腕を発揮しお膳立てしてくれる夫が微笑ましく、私の中に、愛しく、幸せな思い出が積み重なっていく。


一方で、未だに自分の母に心からの感謝を贈れないモヤモヤした気持ちを感じていた。




私は、自身の経験から子どもを支える仕事をしたいと思い、養護教諭になった。

小学校、高校の保健室で生徒の相談に乗ってきた経験から、若者をサポートするために一般社団法人アマヤドリを立ち上げた。

今は、アマヤドリの仲間たちと、虐待や親との関係で悩む若者たちの相談にのったり、女性専用のサポート付きシェアハウスをオープンし、女の子たちに住まいを提供している。


ある朝、シェアハウスに住む子から、私宛に小さな小包が届いた。

住所を間違って書いているその子らしさや、住所が違っていても、名前を見て我が家に荷物を届けてくれる宅急便やさんの馴染み具合に、思わず笑みがこぼれた。

包みを開けた瞬間、あまりの不意打ちに、私はしばらく動きが止まってしまった。

えっ、、、?


私たちは、近所のおばちゃんくらいの距離感と、何でも言ってねと言えるくらいの覚悟で彼女たちと過ごしているけれど、彼女たちの母親がわりになろうなど、思ったことはない。

まさか母の日にカーネーションと、こんな言葉をもらうとは思ってもおらず、胸がいっぱいになってしまった。


本人に、感謝の気持ちと、嬉しい気持ち、そして、あまりに予想していなくて驚いたことを伝えたところ、こんな言葉が返ってきた。

「母って、何人いてもいいじゃん?私のことを想ってくれて、支えてくれる、母親的存在の人みんなに、たくさん感謝して、ありがとうって伝えられる日だなって思った!」


かつての子どもだった私と
いつの間に大人になった私の両方が、
彼女のその言葉に胸を打たれた。

そっか、そうだよね。

産んだ母はこの世に1人だけど、母の日に感謝する母は、何人いてもいいよね。

「母が多いこと、それはそれで良い。」
本当にそうだね。

他の子もこの日に会った他のスタッフに「いつもありがとう!」とカーネーションを贈ってくれたそうだ。


過酷な状況な中アマヤドリにやってきて、まだまだ過酷な中にいる彼女たちが見ている世界は、周りの人たちへの感謝で溢れていた。





不十分なものや、完璧でないものに目が行きがちな私たち。

けれど、顔を上げて周りをよーく見渡してみたら、あなたを想っている人、あなたのそばで笑顔な人、力になりたいと行動してくれる人が、いるかもしれない。


完璧じゃなくていい。
その分、たくさんいてもいい。
人は完璧ではないから、でこぼこを補い合いながら、支え合って暮らしていけばいいよね。

彼女たちからもらったカーネーション眺めながら、
自分にも、
自分の母にも、そう思えた気がした。

お母さん、不完全で愛しいこの世界に産んでくれてありがとう。

そして、もちろんあなたにも心から。
「いつもありがとう!」




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