「僕は賢い人間じゃない。でも、愛が何かは知ってるよ。」
不自由なことは増えたけれど、最近の方がゆたかさを感じるのはなぜだろうか。
今日は雨が降ったり止んだりしている。
どうせ外出自粛だし、子どもたちもスヤスヤ寝ているし、急ぐ用事は何もない。
寝ている赤ん坊の隣に、私もごろんと転がった。
額をかすめるひんやりとした風が、気持ちいい。
お腹がいっぱいで、かすかに眠たい。
赤ん坊の頭から、お日様のような匂いがする。
心地よさに包まれた午後。
なんてゆたかな時間だろうか。
私にとっての、ゆたかさ。
『フォレスト・ガンプ』
私の大好きな映画。
主人公のガンプは、私にとっての、「ゆたかな人」だ。
ガンプは知能指数が平均より低かった。
父親がいなくて、母親と二人暮らし。
子どもの頃はいじめられ、石を投げられ、いつも走って逃げた。
青年になってからはベトナム戦争に送られ、命の危険に晒され、怪我もした。
文字だけで見ると、なんとも壮絶な人生だと感じると思う。
しかし、ガンプはへこたれないどころか、どんな時も楽しそうにすら見えた。
いつも自分への誇り、そばにいてくれる人への感謝で満ちていた。
その姿に、私はゆたかさを感じたのだ。
そして、彼と関わった人たちまでも、ゆたかになっていくように見えた。
ガンプは、お金でもなく、健康でもなく、才能でもなく、その人そのままの存在を、大切にしていた。
体、心、考え方、好きなもの、その人をつくるあらゆる全てを、そのまま。
ガンプの言葉を思い出す。
「僕は賢い人間じゃない。でも、愛が何かは知ってるよ。」
ゆたかさとは、何を持っているかではなくて、何を大切にできるかなのかもしれない。
ガンプは、いつも、目の前の人を大切にしていた。そして、愛していた。
いつの間にか雨が止んだ。
子どもたちもそろそろ目を覚ますだろう。
私は賢い人間じゃない。でも、ゆたかさが何かは知っている、気がするよ。
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