見出し画像

【夜明け前】

妹が精神科病院に入院した。
病名は、「双極性障害」。

双極性障害は、以前は躁鬱病と呼ばれていた精神疾患で、鬱状態と、その対極の躁状態を繰り返す病だ。
患者の自殺率は一般人口の25倍以上、鬱病の2倍と高い。完治することはなく、一生付き合っていかなければならない病気だ。



妹が高校生の時、母が蒸発し、両親は離婚した。



その後、父と一緒に暮らした妹は、高校を卒業し、専門学校に入学したが、程なくして鬱状態になり、中退した。





ある蒸し暑い夜だった。妹が、私に電話をかけてきた。

「あの人と結婚して、私は音楽界を支配することになったよ! 私は宇宙からのメッセージを受け取っているから国の監視下にあるの! 監視カメラから逃げてるの! 匿って!」




内容はすべて妄想だった。




妹を精神科に連れて行った。 妹は、そのまま医療保護入院となった。



妹の様子を見て、すぐに双極性障害ではないかと疑ったのには理由がある。 姉である私も、双極性障害だからだ。
私はこの病気とは10年近くの付き合いになる。
躁と鬱。 同じところをぐるぐると繰り返しているかのように見える病気が、双極性障害だ。



しかし、螺旋階段を登っているかのように、少しずつ、今いる場所は変わっているのだ。
その事は自分ではなかなか気付きにくい。
私は写真を撮る事で、彼女が前進していることを可視化しようと思った。



障がい者として生きていくことに落胆し、双極性障害は治らないことに絶望している妹。
躁転し、自信に満ち溢れ、奇妙な行動をとってしまうが、やがて死にたくなるほどの鬱がきて、自己嫌悪をくり返す。

投薬治療と並行して、行動を反省し、生活のコツを掴みながら、少しずつ、躁でも鬱でもない時間が増えてきた。

そして、就労ができるほどに回復した。
鬱の回復期は、自殺の危険が一番高いと言われている。
無理も油断もできないが、就労は、妄想ではない、妹の自信になった。


妹の心はまだ、暗闇の中にいる。
しかし、少しずつではあるが、夜明けは近づいてきている。
今の暗闇は、まだ「夜明け前」であるだけだ。



双極性障害と歩む人生は、暗闇を永遠に進む道ではなく、夜明けに近づいている道のりの途中だということを、伝えたかった。


写真家として、同じ病をもつものとして、妹の中に、かつての自分を見つけながら、シャッターを切った。

躁状態で自信に満ち溢れ、いつもより多弁な妹。
イライラしたり、笑ったりと、落ち着かない。






双極性障害にはI型とII型に区分され、I型では躁状態がより重い。
妹は双極性障害I型。






超えてはいけない一線は、あまりにも頼りない。





宇宙からのメッセージにより、結婚写真をとることにした。







カツラと中古で買ってきたドレスを身にまとい、とても幸せそうな妹。









躁状態が重ければ重いほど、大きくなって押し寄せる鬱の波。







「赤い靴」という童話のようだと、いつも思う。
自分の意思とは関係なく踊り狂いながら、赤い靴を脱ぐ方法を探している。








医療保護入院。
鍵のついた扉を何度も越えないと会えない場所。





2017年夏。閉鎖病棟にて。





退院した時には夏が終わっていた。








ただひたすらに、泥のように、ねむる、ねむる、ねむる。






妹は4人姉妹の3女として生まれた。





いつから?どこから?境界線が見えない病気。








曖昧で不透明なアイデンティティ。





また夏が終わった。







宇宙からのメッセージは、以前の様にはもう届かない。










病院と外を隔てる窓。
このブラインドは、いくらでも、どんな人でも、
簡単にすり抜けて行くことができる。





「躁でも鬱でも無い時が、自分でもわからない。」という。
そんな妹に、波の穏やかさを感じた朝。









着替えて外に出る。入院から2年。






元の自分に戻ろうとするのはやめた。
新しい自分を探している。

双極性障害は心の病気なんかじゃない。
脳の病気だ。
薬でコントロールできる、病気の一つだ。




蝉の抜け殻。いつもいた場所。
しかし、今度は彼女が蝉の方だ。







写真に残すという行為は、
妹のため、ではなく、自分自身の夜明けを見るためでもあった。


あの日の入院から3年。
病気の波はあれど、うまくコントロールしながら付き合っている。



ある寒い冬の日。
妹は結婚した。  

彼女の居場所ができた。

それは、紛れも無い、現実だった。





いただいたサポートは、18歳からの女性のためのステップハウス「アマヤドリ」の運営資金にさせていただきます。