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他人の遺品、まだ見ぬ絶世の美女

気がつけば前回の更新から、はやひと月。
なかなか次の話を書く時間が取れないため、過去に書いた文章をアップします。ちなみに猫とは関係ありません(笑)2017年の3月に書いたものです。

次の『猫姉妹』を描くまでの間、しばしお楽しみ下さい。

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見知らぬ人の遺品をもらった。

その人とは会ったこともなければ、名前も知らない。
いや、正確にはあとから知った。

その人は生前は山の中で独り暮らしをしていたという。享年70歳。
別れた奥さんというか、籍が入っていなかったから元パートナーと言った方がいいのか、とにかくその女性が残されたものの整理をしているという話だった。

わたしは遺品整理業のアシスタントをしている友人のそのまた友人に連れられて、亡くなった人の家に行った。

前日アシスタントの友人は、酔っ払ったはずみでその老齢の女性のことを「絶世の美女。ありゃあ抱ける」なんて言っていた。本気で言ってんの、という周囲のツッコミに彼はあわてて前言撤回していたが、40男に一瞬でも「抱ける」と言わせてしまう力を持つ老女なんて、イヤでも興味を持ってしまう。

とにかく、その家にわたしたちは向かった。

海沿いの道から山方面に車を走らせると、しだいに田園風景が広がっていく。舗装されてはいるが、道幅はどんどん狭くなり、坂はきつくなり、道ばたでは痩せたタヌキが草をかじっていた。これ以上は車が入れないというところで車を停めて、わたしたちはその家まで登っていった。

周囲の別荘や畑が見渡せる、ゆったりした平屋。
庭には名前のわからない真っ赤な花が咲き乱れている。写真を撮ろうとスマートフォンを取り出すと、着信があったことを告げるメッセージが表示されていた。仕事相手だったので、そのまま庭先でコールバックした。その最中、下の道に降りていく年配女性の後ろ姿が見えた。ショートカットに、派手な色の服。軽快な足取り。あの人が絶世の美女なのだろうか。

電話が終わって家の中に入ったときは、膨大なものをどう処分しようか、友人たちが頭を悩ませていた。家の中には親族の方もいらしたが、絶世の美女はそこにはいなかった。
売れそうなものはあらかた古物商が引き取っていったあとだったが、まだ大量のものが残っていた。高価なものもゴロゴロしていたけれど、専門家に言わせれば「ほとんどがゴミ」らしい。そのゴミの中から使えそうなものをピックアップするのが、今回のわたしたちのミッションだった。早い話が「欲しいものがあったら、もっていけ」である。

大理石のテーブルやレリーフが彫られた椅子が置かれたダイニングをすり抜けて、四畳半ほどの書斎に入ってみた。CDが箱に詰められていた。持ち主はキューバン・サルサやジャズを好んでいたようだ。

名刺の束が無造作に置かれているのが目に入った。
おそらく年代がバラバラなものが何種類かまとめられていたが、それぞれの肩書きには"Founder" "Producer" "Chair man"などとあって、どういう業種で何をしていた人か、いまいち判別がつかなかった。わかるのは、時期によっていろんな会社をやっていたということだ。品川や青山の住所が書かれたその紙を見ながら、わたしはその人の姿を想像していた。

晩年、この人はどんな気持ちでこの家で過ごしていたのだろう。

絶世の美女の前にも、何度か結婚しているらしかった。オシャレで見栄っ張りなことは残された服から見てとれたし、車好きなことは蔵書からわかった。なんらかの自主製作本も出していたようだ。紙に包まれたままの在庫が大量にあった。靴のサイズからするとそこまで身体は大きくなさそうだ。使いかけの高そうなオリーブオイルがキッチンの目につくところにあったので、それなりに自炊もしていたのだろう。

ふと出てくる女物のバッグや美しい花柄のテーブルクロスなどは、いつの時代のパートナーが置いていったものだろう。そんなものを取っておいて、寂しい気持ちになったりしないのか。子どもは何人いたのか。いたら、わたしくらいの年齢だろうか。余計なお世話的なことを、あとからあとから考えてしまう。

ぜんぜん知らないのに、会ったこともないのに、その日の夕方には彼はもうすごくよく知っている人になった。下手したら自分のちょっとした男友達よりも、人生にかかわっている度合いは高いかもしれない。

生きている状態ではなかったけれど、これはもう立派に出会いと言ってもいいんじゃないか。知人と言ってもいいのではないか。でもいまだにわたしは、彼の顔も声も知らない。どんな風に話し、どんな歩き方をしていたかも知らない。

結局遺品は、ガウンとテーブルクロスを何枚か、それとクリスタルのグラスと花瓶をもらった。
ガウンはマリンブルーの地に、デザイン化された巻き貝の模様がついたもので、男の人がこれを着ていたらかなりお茶目に見えるだろう。試着して「ものすごく似合う」と友人たちにおだてられ、いい気になってもらってしまった。

終盤、仕事関係の写真が入っている箱が発見され、持ち主が写っているものが一枚だけ出てきた。
昭和のもののようだったが、その写真に写っている彼の姿は、ある部分では想像に近く、またある部分では想像と違っていた。
そして実際の姿が確認できたとたん、わたしの彼に対する興味は急速に冷めていった。

絶世の美女は、やはりあのショートカットの女性だったという。彼女の顔を見ることはとうとう叶わなかった。
今となっては、会わなくてよかったと思う。むしろ会う必要はなかった。
2人には、わたしの想像の中で、素敵なカップルでいてほしいから。

翌日はあたたかく、わたしはテーブルクロスを洗濯して、花瓶に庭からとってきたアネモネを生けた。
知らない人の人生の一部が、自分の生活時間の中に流れ出した。


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