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いざ!ホームスクーリング

コロナ禍で学習のオンライン化が飛躍的に進んだ。けれど、ホームスクーリングとは違う取り組みだ。日本ではホームスクーリングをしている家庭はごく少数派。不登校の子どもたちの居場所として受け入れるフリースクールは聞いたことはあったが、いずれにしても学校に馴染めないでいる子どもたちの親が取る最終手段のようなマイナスのイメージが強い。学校に行かないことに対する一般的な日本人の反応は、社会性が身につかない、勉強が遅れる、進学や就職への悪影響などである。学校へ行かない、行けない子どもはその時点で負け組のレッテルを貼られてしまう可能性が高く、親は必死になって復学を願い、学校側も事無く予定通りの年数で卒業してほしいと願い指導する。

私の小学生時代の親友 で再度連絡を取り始めた当時二児の母だったRobin は第一子が幼稚園就園前にホームスクーリングを決意して取り組み始めた。そしてその後産んだ8人の子どもたちを含む10人全員を同じようにホームスクーリングで育てた。彼女が2017年に出版した本 "Stress Free Homeschooling: Getting It All Done & Enjoying It!"  を読んで思ったことは、既定の就学コースを歩まなくても、ホームスクーリングによって人生の早い段階で自分自身で考え、行動する習慣を身に付け、自分の足で立ち、悔いのないより充実した人生を送ることができるのであれば、この学習方法も良い選択肢の一つとなり得るのだということ。でも確かに手間暇かかるし、気も長くないとやってられない。学校に預けた方がどんなに楽だろうとも思う。

でも自分の子どもを自分で教えて社会に送り出すという、親にしかできないオーダーメイドの教育方法、ホームスクーリングは確かに理想的な取り組みだ。もちろん全てが親の思い描く計画通り順調に進むわけではないのでいろいろ苦労もあるだろうが、この本にはその乗り越え方もちゃんと書かれている。挫折しそうになった時の励ましの一冊になることは間違いないと思う。

私がこの本を読んで感銘を受けたことをRobinに伝えたところ、彼女から「日本での教育は詰め込み式で緊張を伴うと聞いたことがあるので私の本を読んでどう思うか気になっていた」との返事が。私がこの本を翻訳して多くの日本人にも読んでもらい、子どもの教育を別な角度から見る参考にしてほしいと伝えたら二つ返事でOKしてくれた。原書は読みやすい英語で書かれているので、読んでみたい方は是非手に入れて読んで頂きたい。
https://www.amazon.co.jp/Stress-Free-Homeschooling-Getting-Done-Enjoying/dp/1544958838/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=Robin+Gilman&qid=1639633622&s=books&sr=1-2

ここからは著者の許可の元、本文をご紹介したい。

はじめに

毎年開かれるホームスクーリング会議で私の講演開始の時間が迫っていたにもかかわらず聴講者は次々と会場に入って来ていた。私は時計を気にしながら入り口を見ていた。開始時間となったその時、演台の演者への「時間通り開始すること」の注意書きが目に入ったが、まだ入室の人の流れは止まらない。数分待ったが録音係から始めるように促され、やむなく話し始めた。

後で知ったことだが、入場をお断りした人もいたそうだ。私が有名人だったからではない。現に私は無名。だけど私の講演の演題、『ストレスのないホームスクーリング ~ 楽しみながらやってのける!』がホームスクーリング家庭で必要とされたのだろうと思った。

講演の翌日、多くの人から私の話で勇気づけられたとの感想をもらった。そして、その中の一人の女性から本を書いてはもらえないかと言われた。

その言葉が今回この本を出版にするきっかけとなった。

ホームスクーリングは確かに大きな課題だ。親御さんたちがこの課題に取り組むにあたって大きなストレスを感じるのには沢山の理由がある。過度なストレスなくホームスクーリングを成し遂げられることに気づく一助になればこれほどうれしいことはない。そう、楽しみながらやり遂げられるのである。

第1章 やればできる

私は純真だった。怖いもの知らずだった。これから自分が取り組もうとしていることはそんなに大事だとは思わなかった。本を読んで、これは特別なことではなく、自然で普通の事のように思えた。それに既にホームスクーリングを先にはじめている友だちが二人いた。

それは1980年代半ば、まだホームスクーリングという言葉をほとんどの人が聞いたことがない頃だった。私が我が家の5歳児をホームスクーリングしていると人に言うと、驚きで目を見開き、驚愕の面持ちで私を見たことがその何よりの証拠だった。

私がホームスクーリングをしていることを知ってあっけにとられた友だち、知り合い、見ず知らずの人から最初に決まって聞かれた質問は「教員免許をもっているの?」だった。

そんな時、私は笑顔でこう答えた。「いいえ。教員免許なんか必要ないですよ。私は字が読めるし、そして何よりも我が子が大好きだから。」と。私が取り組むにあたって読んだ一冊『Home-spun Schools』(Raymond & Dorothy Moore著1982年)からそのままの言葉で自信と共に発した返事だった。

それは言い得て妙だ。ホームスクーリングをする時、教員免許を持たない方が良いこともある。教員免許を取得するにあたって、当然教室での教え方を学ぶ。教員免許を持ち、学校で教員経験のある母親の多くが現場を離れてその後ホームスクーリングで自分の子どもを教え始めると、自分が学校で教えていた時の教え方を真似ていることに気づく。それは必要なく、時として有害でさえある。

ホームスクーリングでは、学校のように1クラス25名* のさまざまな学習レベルの子どもたちに同時に教えるのではなく、母親(時として父親や両親だったり)は一対一でその子の学習能力に合わせて教える。

数十年後、最初にホームスクーリングで育てた長女Sarahはハイチに宣教師として招かれ、Youth With A Mission(YWAM・世界青年宣教会)が運営する小さな学校で教えることになった。YWAMとのメールでのやり取りする中で、先方にホームスクーリングで育った人は行動力があるのが強味だと言われたそうだ。

Sarahは最初の9か月間、ハイチの学校で教鞭に立つこととなった。教員免許がなかったことで不都合に感じることはなかた。もっとも、ハイチのような文化の違う環境で教える場合、カナダの教員免許を持っていたとて役に立つことはなかっただろう。Sarahは稀有な環境にあったが、生徒たちと触れ合い、当地にある教材を使って教えた。

ホームスクーリングを始めるにあたって、教師である親がその生徒である子どものことを前もって誰よりもよく分かっているという利点がある。よって各家庭独自の、その子に最適な教材を使って教えることができる。

文字が読めるなら、子どもと一緒に学んでいけば良い。私は学校に通っていた時よりもホームスクーリングで子どもたちとの学習で学んだことの方がよほど多い。もっと言えば、私は大人になって人生経験も豊富になったことで、さらに学ぶことが楽しくなった。そして新しい情報を以前に学んだことと関連付け、更新できる検索網もはるかに多く持てるようになった。
我が子を思う気持ちと文字が読めるということがホームスクーリングをする上で最も必要な要素であって、教員免許はそれほど…
社会性は育つのか?が次なる疑問。「私の娘はとても内気で、学校へ行けば殻を破れるんじゃないかと思う」とホームスクーリングを前向きに捉えたい思いがありつつも不安を口にする親御さんから言われたこともある。
そうなのだろうか。私は子どもの頃、10代まではとても内気だった。成長するに連れ、徐々にその性格が変わっていった。そのきっかけは最初のアルバイトなどで様々な体験をしたことだった。今となっては子どもたちに私が内気だったなんて信じられないと言われるほどだ。
今思えば私の子どもたちの中にはかなり内気な子も何人かいて、私と同じような成長過程を経た。彼らも成長するにつれ、様々なことを体験することで克服できた。学校やためにならない人との付き合いは必要なかった。私は中学一年生の頃、学校で“s”の発音が違っているとクラス中の生徒にからかわれたことがあるが、子どもたちにはそのような体験をさせずに済んで本当に良かったと思う。
そんなトラウマになるような体験を除けば私は勉強が良くでき、先生の手を煩わせることのないオールA評価の生徒だった。私は先生たちが生徒に望むものを察知し、多くを学ばずにそれを達成した。読み書きと基本的な算数を学べたことには感謝するが、一方でそこには多くの無駄に過ごした時間とテストの後はほぼ使うことなく忘れてしまった吐きたくなるほどのファクトがあった。
そんな中、夫からあるラジオ番組でレイモンド・ムーア博士が自分の子は自分で教育する「ホームスクーリング」について語っていたと帰宅して私に話したが、その時までそのような選択肢があるなんて聞いたことがなかった。私の最初の反応は前向きなものではなかった。そんな方法で子どもを教育するなんて想像ができなかった。しかし落ち着いて話し合い、神に祈りを捧げているうちに、その方法が私たちにとって望ましい選択のようにどんどん思えてきた。その後、友人の中の二人が既にホームスクーリングを実践していることを知り、その内の一人がムア博士の本を貸してくれた。本を読んでみて、ホームスクーリングは実践可能であるばかりか我が子にとって最良の選択肢だと確信するに至った。
教員資格についてはさて置き、社会性についてはとりあえずのところは不問とし(ただしその後の数十年間表面化し続ける問題でもあったが)、私の両親にこの計画について報告した。
その時の父からの第一声は、「それをするには体制を整える必要があるんじゃないか?」痛いところを突かれた。
私は決して乱雑な性格ではないけれど、順序だてて物事を考えるのは得意な方ではなかった。
ここまでの文章をもう一度読んで、安心してほしい。そして自分に言い聞かせてみてほしい。「教員免許を持たない、順序だてて考えるのが苦手な主婦にホームスクーリングができるのだから、私もできるはず」と。
私に10人子どもがいて、子どもたち全員をホームスクーリングで育てたと聞く度に何度驚愕され、「あなたはちゃんと物事を順序良く整理できる人なんですね。」と言われてきたことだろう。
「それほどでも」と白状する。「でもその分野では系統立てて考えられるまでに成長しました。」本当にそう。私はいろんな方面で成長したけれど、完璧に整理できている訳でもない。計画を立てるのは好きだけれど、いつも計画通りに実行する訳でもない。
1980年代、ホームスクーリングを始めた頃、フォニックスと算数の指導書を購入した。これらの教材のおかげで教授法を考えたり開発したりする必要はなかった。ただ指導書の通りに教えれば良かった。それなら私にもできた。だって読めるから。 (^^)
当時、5歳児に勉強を教える時間はそれほど取らなくてもよかったし、二人の幼い娘を持つ妊娠中の母親が普通にすることをする時間はたっぷりあった。当時次女は3歳だった。
三人目が誕生して日々の生活が何かと忙しくなった。それは私の人生の中で母親として一番キツイ時期だった。5歳以下の3人の子どもを抱える母親として。その後は子どもの数が増えてもそれほどしんどくはなかった。
ホームスクーリングの初期は霧がかかっていて先の見通しが悪かった。常に睡眠の邪魔をされた。殆どの子どもは夜ぐっすり眠ることはなかった。1歳まではこんなものだと悟るまでは。子どもたちが成長するにつれて、手伝ってくれるようになり、聞き分けもよくなることは言うまでもない。4人目が生まれる頃には長女は7歳になっていて、いろんなことがスムーズに運ぶようになっていた。そして先ほども言ったが、子どもたちの成長とともに子育てはより楽に、より良いものに変わっていった。そしてさらに子宝に恵まれていった。
子どもたちはできることが増えると同時に役に立つ場面が増えていく。私たち親は役立つ人になることの大切さを教えていかなければならない。彼らを教育する上で大切な要素、それはつまり、私たち親の元で修業するということでもある。手伝うことを通して「誰もが助け合うものだ」という貴重な概念を学んでいる。
その後の数10年間私はよちよち歩きの幼児や未就学児、読み方を学習している子(一人で勉強するというよりもどの学習にもお母さんと一緒に取り組む年頃)、と同時にいくつかの教科は一人で学習できるようになった年長児を抱えながら、妊娠していたか乳飲み子を抱いていたかのどちらかだった。私はボールをジャグリングしている気分だった。時々ボールを落としたりして。でも決してヒヤリとすることもなく、ただ坦々と落としたボールを拾い上げてジャグリングを続けていた。
実のところ、私はボールを落としてもヒヤリとしなかった、つまり、やりたかったことが全てやり切れなかった時に特にストレスを感じなかった。それは、私ののんびりした性格によるものだと思う。でもあなたがもしそのような性格を持ち合わせていなかったとしても、その自然に起こるストレスを克服できる方法はある。具体的には後の章に書くとする。
これだけの忙しさの中で私は子どもたちに必要最低限の教育しか与えることができなかった。つまり、神と神の言葉を愛しみ、読み、書き、算数と考えること、という基本的なことだけを教えた。もちろん、科学、歴史、地理やフランス語などの教科を学習した年もあった。そして沢山読み聞かせをした。私は子どもたちに声を出して読んであげるのが大好きだった。後に読み聞かせがどれほど子どもたちにとって有益なのかを知ったが、当時はただただ読み聞かせがが好きで良く読み聞かせをしていた。

子どもたちにこの必要最低限の学習のみをさせたにもかかわらず、中には大学に進学したした子もいる。そして彼らは奨学金をもらえるほどに優秀だったのだが、その原因を考えてみた。(ここでは敢えて「必要最低限の学習」とし、後の第7章「生涯学習」で詳細を書きたい。というのも、子どもたちは日々の生活の中や、親や他の人々との交流の中でかなり多くを学んでいるので)しばらく考えて得た結論は、私たち親は子どもたちに読み方と考えることを教えた。読んで考える力があれば大した助けも借りずに自らの力で何でも学ぶことができるということだ。
ある大学の教授が、息子が大学生の時に行っていた研究に協力して何問かの質問に答えてくれた。息子のJoshuaはどのような経緯でホームスクーリング出身者を高等教育機関に入学させていたかをリサーチしていた。息子はこの教授(自身もホームスクーリングをしている親だった)にホームスクーリング出身者の良い点と悪い点、学校出身者の良い点と悪い点を聞き出していた。教授は学校の悪い点について捲し立てるように語り始めたので息子はこう聞き返した。「学校の良い点は?」教授は考えに考えた末に「どちらの親も働かなければならないなら…いや、」と考えを改めるように自分の言葉を遮った。「学校に行くよりも家のリビングで本を読んでいる方が余程ましだ。」
この教授は何年も高校を卒業後、入学してくる学生を見てきた。彼の考察するところによると、彼らは文字を読むことはできる。が、それを発展させる力がない。彼らには考える力が欠けていた。(注:これは全ての学生に当てはまるものではなく、この教授によればほぼ大半がそうだった。)
ホームスクーリングをしている家庭によっては望遠鏡を作製したり、ピラミッドの模型作りをしたり、歴史的建造物を見に出かける旅行に出かけたりと素晴らしい体験を子どもにさせているが、我が家では赤ちゃんや幼児などいろんな成長段階の子どもを抱えた上に時々中断(カナダの広大な大陸を4度も横断するような引っ越し)が入ったりしたが、我が家の子どもたちは上出来な大人に成長できた。
私が言う上出来な大人とは、社会で役に立ち、コミュニケーション力があり、他者を思いやり、キャリアであれ、布教活動であれ、親業であれ、ボランティア活動であれ、意味のある仕事をし、神を愛しみ、神の言葉に導かれ、奉仕する人のことだ。
私自身の経験や数え切れないほどいるホームスクーリング家庭の様子から見て取れる事実は、各々に弱点を抱えている普通の人にも家庭で子どもを教育することは可能だということだ。
父の謎言のおかげで私は生まれつき整理上手な方ではないことが炙り出されたが、全くできないという訳でもない。ただ苦手なので私の長所には入らない。きれいに掃除されて整った状態は好きだが、それは何よりも優先することでもない。部屋の掃除をするよりも子どもたちに絵本を読み聞かせすることの方を大事にしたい。
本や書類の山が家中のあちこちにある(カウンターや机の上など)。私は良きにつけ悪しきにつけ柔軟な人間だ。例えば毎年、いや、学校のように学期毎に毎日の学習スケジュールを一生懸命立てた。そのスケジューリングの素晴らしさたるや!…でも三日と持たなかった。その内、最初の三週間はスケジュールをしっかりと守り、その後はゆるくこなす感じで落ち着いた。
お手伝い当番表も作った。こちらは結構スケジュール通りこなせた。でもやることが多い我が家では毎日の学習スケジュールはキツく、ゆとりがなかった。例えば、ある子が算数をほとんどの日は予定通り学習をこなしていたとする。ところが、途中で壁にぶち当たってしまい、そこを乗り越えるのに設定された時間よりも多く必要とする。そのようなことがあるとスケジュールの見直しが必要となる。
また、ある子どもが悪い態度を取るといった性格上の問題が起こったり、二人の子ども同士が揉めたりしていると、一旦学習を止めて一緒に解決に向かって進む時間が必要となる。
このように必要に応じて学習を止め、さらに説明する時間を取ったり、助けが必要な子に寄り添える時間を取ることができるのがホームスクーリング利点だと理解したならば、それをストレスに感じることもない。むしろ、それらは何にも代えがたい貴重な教育の場面にさえなる。その後は引き続きに元のペースに戻し、時間が足りない分は翌日に持ち越せば良い。
子どもが生まれる前は自分は気の長い性格だと思っていた。その後赤ちゃんが生まれ、私が寝たいときに泣き出す夜泣きの酷い子もいた。心の中のイライラときたら!でも神は子どもを使って(他を差し置いて)私たちの罪深い性質を露わにする。それは気づきをもたらす良いこと!その罪深い性質を突き付けられ、後悔し、神の助けを求め悔い改められる。そう、子どものおかげで心の浄化を進められる!
子どもを授かり、彼らをホームスクーリングすることによって私は精神面でも、家事の面でも、そして体制を整える面でも成長させられた。
あなたの弱点はパートナー(私の場合は夫のAlan)の強味だったり、その逆も然りということに気づく。子どもにとってこれはとても良いこと。私たち夫婦の場合、お互いの特性の違いを心底認めるのには時間がかかった。なぜならお互いに自分の考えや行動が正しい、または相手よりは良いと思っていたので。でも現時点ではお互いの強味と違いから得るものは大きいと思える。
我が家では読み、書き、算数とその他の学習科目の殆どを私が教えていた。Alanは子どもたちを愛弟子のようにあらゆることを教えるとても重要な役割を果たしてくれた。高校卒業後の高等教育で子どもたちの学業が伸びたのは私たち親が彼らに読み方と考えることを教えたからだと書いた。夫は子どもたちに考える力を身に着けさせるのに大きな役割を果たしてくれた。彼はどの子とも事ある毎に話した。それは一対一の場合もあったし、何人かと一緒に話した時もあったし、食卓を囲んで話し合ったときもあった。
なにも私たち親だけが家の中での教育に関わっていた訳ではない。子どもたちはいつもいろんなことに興味があり、その情報を家に持ち込んだりしていた。例えば、何年も前の話になるが、私もAlanも政治には全く興味を持っていなかった。当時13歳位だった息子のDanielはキリスト教信徒のある政治家について話し始めた。そしてネットにあがっている彼の演説を聴いてほしいと勧められた。
それがきっかけで我が家は政治に興味を持ち始めたのだった。当時私たちはバンクーバに住んでいたが、最終的にはカナダの首都であるオタワに落ち着いた。そしてDanielが大学生になった時、彼は中央政府の政治家の元でアルバイトをしていた。Daniel が居なければ私たち家族はこれほどまで政治に興味を持ち、詳しくなっていなかっただろう。
ホームスクーリングで育った子どもたちは学校に通う同級生よりも自由な時間が多い。というのも、学校に通う子どもたちよりも短時間でその科目の勉強を終えてしまうからだ。つまり、残った時間でそれぞれが興味ある分野の勉強を進め、知識を深めることができるのである。

子どもたちの多くはキリスト教信徒の教室でバレエを習った。ホームスクーリングで育ったおかげで時間に余裕があったので、卓越した技術を追求することができただけでなく、教える立場にまでなったのである。最初は家の中の小さなスタジオで教え始め、後に次女が描いたように外にスタジオを設けるまで拡張することができた。(このキリスト教のダンススクールは“Arise School of Dance”と名付けた)
親のすることを子どもは真似る。そしてそこからさらに力を付けて成長するということにお気づきだろうか。そして、子どもたちが私たち親の傍に居れば居るほど知らず知らずのうちに私たちの影響を受けているのだ。
その一つの例として私たちの人工中絶反対の立場がある。何年も私たちは子どもを連れて毎年恒例の中絶反対の行進や“Life Chain”デモ(人工中絶反対のプラカードを持って街角に立ち、静かに祈る)に参加していた。
二人の子がこの運動に深く関わることになった。知らないうちにDanielとDevorahは子どもの立場で集まって人工中絶の根絶を祈るようになっていた。Danielは活動の場を通っていた大学のキャンパス内にも広げ、人工中絶運動の演者と注目を集めるようになった。Devorahは現在Canadian Center for Bioethical Reformでフルタイムで仕事をしている。この団体は人工妊娠中絶の合法化に反対し、人工中絶の根絶を訴える。彼女はカナダ全土を駆け回り、小さな命を救う講演活動を展開している。
ホームスクーリングをする親の立場として、子どもたちが学ぶべき学習内容をきっちり教えたいのだが、多くの学びはその外側にあるようだ。普段の何気ない会話や、子どもたちがそれぞれに興味を持った事柄を探求することからの方が私たち親発進のものよりもはるかに多くを学んでいる。
子どもたちのこのような行動の多くは神様のお導きだと感じる。神は彼らにさまざまに恵みを与え、彼らはそれぞれに追求すべき使命に気づく。
子どもたちが活動するそれぞれの分野に関しては、ホームスクーリングで教師役の私たち親よりもはるかに知識が豊富である。
神はそれぞれの子どもが必要な時に必要な人と引き合わせてくれた。例えば息子のJonathanが鳥に興味があった時には鳥をこよなく愛する夫人に出会わせてくれた。娘のTikvahが音楽をもっと学びたいと思っていた時には良き指導者が現れ、息子のJoshuaはある父親から彼の娘にダンスを教えることと引き換えに日曜大工を教えてもらった。
神様は私たち以上に我が子たちを愛しんでくれている。神は子どもたちをいつも気に掛けてくれ、私たちが祈ると神はいつも子どもたちが学ふために、そして神の教えを知るために必要なものを与えてくれる。神は計画を遂行するために子どもたちが必要なものが全て揃うように見守っている。
これから後の章で私が31年間に及ぶ子どもたちへのホームスクーリングで得た学びを皆さんとシェアできることにわくわくしている。何より伝えたいことは、誰もが持ち合わせている強さや弱さのある私のようなごく普通の母親が神様のお導きに従って実行できたのだから、皆さんにもできないはずはないということだ。

* 日本の場合35名前後が1クラスの平均人数

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