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大人の女の甘えの哲学

女にとっての「自立」とはなんでしょうか。

自活できる経済力?一人で生きていける精神力?自己完結できる落ち着いたマインド?

もちろんそれも自立だとは思います。
でも、私は思うのです。それって力みすぎてるねって。絶対に誰にも負けたくない田舎の不良中学生みたいなものです。

私が考えている大人の女の自立とは、実は「他人に甘えられること」です。

他人にもいろいろあります。彼氏、夫、親、きょうだい、友達。そんな他人に甘えられることが自立した本当の大人の女性だと思っているのです。

こんなことを言うと、一部の女性から必ず批判を受けます。「男に媚びるのが自立なんておかしい」と。

媚びることと、甘えることとは全く異なるものです。
そもそも私は、男に媚びている女性など見たことはありません。昔から仕事でたくさんの派手な女の子たちを見てきました。多くは元風俗嬢でした。女を売ってお金を稼いでいた子たちです。でも彼女たちですら、男に媚びているのは見たことがありません。

私は、大人の女とは、
「持ち寄る」
「受け取る」
「交換する」
ができる人のことだと思うのです。

例えば、持ち寄るというのは、感情のことです。久しぶりに会うデートの時に、楽しさと優しさを持ち寄るのは、お互い自立した大人同士でなければ絶対に無理です。自立ぶって自立していない女は、絶対に自分は持ち寄ろうとしません。
自立していない女はそういうときに必ず「ジャッジ」しようとするだけです。あれをしてくれたから合格、あれをしてくれないから不合格、というように。

次に、受け取るというのは、お互いの無理と無茶を受け止めるということ。
私は経験上、いい男というのは必ず無茶をするものだと思っています。しかもそれはわがままという意味ではありません。無茶な貢献をしようとしてくれるということです。

貢献と言っても大げさなことではありません。
例えば高級なバッグを買ってくれようとすることもひとつです。

そんな時、「いらないよ、誕生日でもクリスマスでもないもん」と断るのが大人の女だと思ったら勘違いです。
「ありがとう」と言って、笑顔を見せて喜んでみせること。それが受け取るということです。男の無茶を受け止められない女は、自立しているのではなく、つまらん女というだけです。


そして「交換する」というのは、楽しさと嬉しさと愛おしさを交換できるまっすぐさのこと。等価交換でなくてもいいのです。してもらったことの値段以下のことしかできないというのはただのケチ女。してくれたことがお安いことだったとしても、楽しさとして交換できるのが大人です。


この三つが笑顔でできて、自立した女だと思っています。

自立しようとして、サムライのようになっている女には全部ありえないことでしょう。

持ち寄らず、受け取らず、交換は条件付き。
それは感受性が錆びついているだけです。老いているのです、感受性が。

ちょうどいい甘え方ができる女を、大人の男は「自立している」と認めるのです。敵わないなと降参するんですよ。

弁護士としてキャリアを積む女性、医師として働く大人の女性、管理職としてハードワークする女性、プロのセールスパーソンとして活躍する女性、夜の世界ですり抜けるように生きる女性。自立している女性はサムライではないのです。

ささやかなサプライズにも、甲高い声で驚いて喜んでわくわくしてみせる甘ったるさがあります。もう、敵わねえなって思うでしょう。

持ち寄る、受け取る、交換する。

これが自立した大人の女の正しい甘えの哲学です。

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