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香りが好きなの【『蜜柑』5. 二回目のデート】


(五)二回目のデート

 翌週、私はカナちゃんに買って貰ったブラウスとスカート、更にはヒールまで履いて、家を出た。慣れない服装に、地元を歩いているうちは恥ずかしかったけれど、電車の窓に映る自分を見た時には、大人っぽさを満喫できるくらいの余裕が出来ていた。この黒いマーメイドスカートは、カナちゃんのチョイスだ。私はもともとスカートこそ好きだけれど、普段選ぶのは専ら質素なものなので、この類のものは新鮮に感じる。シルエットは女性らしいし、生地の薄い裾のあたりのレースも、すごくかわいい。

これは私ひとりなら絶対に選ばない一着だ。でもあの日ばかりは、カナちゃんの熱い演説にすっかり丸め込まれてしまった。落ち着かないと言えば落ち着かないが、でも悪い気はしない。背伸びは背伸びでも、気持ちのいい背伸びだ。私は、カナちゃんの格好良さを全身にまとっているような気概で、ちょっと高めのつり革に掴まった。

電車が例の駅に着くのとほぼ同時に、彼女からチャットが送られてきた。すぐ着きます! という言葉と一緒に、謝罪を表すスタンプがなぜか二つ三つ送られてきた。私はカナちゃんの到着を待つまで、駅を散歩してみることにした。とはいえその駅は、散歩するには小さすぎる駅だった。普段は降りないし、あの日もてんやわんやしていたので気づかなかったが、ホームがとにかく狭い。私の最寄りの駅の半分くらいのサイズ感なんじゃないだろうか。一つのホームが上下線の線路に挟まれている形式で、ホームドアなんてものはない。通勤ラッシュにぶつかろうものなら、うっかり人に押されて、線路に落ちてしまいそうだ。あの日少し早めに家を出て本当に良かった。私はそう胸をなでおろしながら、近くのベンチに腰掛けた。遠くから蝉の声が聞こえる。線路を挟んだ向こうの視界は大きく開けていて、のどかな光景が広がっている。

「あ……みかんだ」

「そう、みかんの名産地なの。自称ね」

 いつの間にか背後に立っていたカナちゃんが、呆れた様子で話し始めた。

「すぐ近くにある訳でもないんだよ。こっから車で十五分くらいかかるところに、小さな果樹園があるの。そこの人が、みかんで町おこしするんだっていって、あんなに大きな看板立てちゃった」

「カナちゃんが食べてるのも、そこのやつ?」

「時々かなぁ。余ったからおすそ分けだって言って、直売所のおじちゃんがくれるの」

「新鮮?」

「もうぷりっぷり。冬になったら行こうよー」

そう言って、カナちゃんは私の背後から前にまわった。カナちゃんはデニム地のタイトジーンズに白いTシャツ、広い襟ぐりには小さなネックレスをさげていた。黒のテーラードジャケットを洒脱に羽織り、右手にはバーガンディのハンドバッグを提げている。二人並べば、私が彼女でカナちゃんが彼氏、に見えないこともなかった。

「お待たせしました。行こ!」

私達は、各駅停車に揺られて新宿に向かった。電車の中は扇風機が利いていて、私の髪は時々風に煽られた。いつもならそれは煩わしいだけだったが、その日はカナちゃんのおもちゃになっていたので、面白かった。私のストレートヘアーには縮れ毛の名残があるので、一本一本の毛先は硬く鋭利になっている。そんな凶器が風に煽られふわっと浮くと、カナちゃんの首や顔を三回に一回攻撃した。くすぐったく笑うカナちゃんは、なにこれーと眉をひそめてはいるものの、私から離れようとはせず、その機を待ってはあえて刺されに来た。かぶれちゃわないかと聞いても、キョウコの髪は綺麗だもん、と少し不機嫌な顔になって、やはりはしゃぎ続ける。そんなじゃれあいが、十分ほど続いた。またしばらくたって、外の景色が大分近代的になってくると、カナちゃんは流石にはしゃぎ疲れたのか、遠い空を大人しく眺め始めた。口角が凛として引き締まっていた。その横顔をぼんやり眺めていると、カナちゃんは高い溜息をついて、

「それにね、香りが好きなの」

とだけ言った。油断していた私は、少しだけ頬を赤らめてしまった。

 私達は、例の店でペアルックじみたシャツワンピース二着を受け取ると、お互いに次の予定を考え始めた。行き当たりばったりなのは、私達の共通点のようだった。


因みにカナちゃん分のワンピースは単純に2着目のストック扱いです
キョウコがぶっ倒れた日、カナちゃんのは特に汚れなかったので

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