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「おいしい」の正体

山内は運営メンバーとして参加してるSUSONOというコミュニティがあります。
SUSONO企画で毎月、松浦弥太郎さんとチャットで語る会が開催されており、今月は「おいしいを考える」というテーマでした。
「おいしい」って、どんな時に感じる?という問いかけは、今回も意外な方向に展開していって…?

++「おいしい」=「楽しいシチュエーション」説

友達と楽しく過ごしながら食べたランチ。
旅先で頂く、土地の食材を活かした料理。

おいしかった時を思い出すと、必ずセットになるのは「楽しかった」という気持ち、という説。
事前のメンバーヒアリングでもこの説が多く、これはかなり有力な解の一つと思われました。

でも、待て待て。
これだと「おいしい」は別の思い出を彩る形容詞のひとつに過ぎないのでは…?

++「おいしい」=「五感で楽しめる」説

同じ水でも、こっちのコップで飲んだ方がおいしい。
ちぎりながら食べるパンの触覚もおいしい。

五感をフル回転させて、その心地よさを堪能する。
これもおいしさの、ひとつの形。
なるほど、これもアリかと思いきや。
弥太郎さんからはひと言、
「それは官能というおいしさですね」。

官能…!
確かにそうかもしれない…。
考えてみれば触覚だけでなく、五感はすべてフェチズムに繋がるものだ。
これでは「おいしい=エロい」と言っているようなものだ。
(え、違う?)

それも、間違いではない。
でもなぜだろう、なんか違うような…?

++ほんとうのおいしさは、ひとくちではわからない

弥太郎さん曰く、
「一口目でおいしいと思うものは、味がわかっておいしいと感じているだけで。調味料の味がおいしいと思ってしまう人多いような。」

え、おいしいって味のことじゃないの⁉

でも、気になって語源を調べたら、味だけのことじゃなかった。
語源由来辞典によれば、

おいしいの「お」は接頭語、「いしい」は形容詞「美し(いし)」に「い」が付いた言葉で、
(中略)
「いし」は、「好ましい」「優れている」「見事だ」という意味で用いられ、それらの意味から、主に女性が「美味だ」の意味でも用いるようになった言葉である。

ということは、やはり味のことだけじゃない。
前回の愛着のあるものの回でも、語源を調べたら思ってた意味と違うということがあったけど、今回もしかり。
さすがだ…。

とはいえ、確かに「おいしい=味」というだけでは違和感を感じていたので、一口でわからないものだというのは納得。
でも、味じゃないなら一体何が「おいしい」なの?

松浦:「僕のイメージというか考えるおいしいって、最後のひとくちが一番おいしいと思えるその感じがしあわせかな。最初のひとくち目のおいしいではなくて。」

最後のひとくちまで堪能するおいしさ。
その正体は…?

++おいしい=親切 

松浦:「料理の技術というのは、親切の技術であるといつも思うんだけど、その親切心がわかるというのがおいしいってことじゃないかな。親切心というのは愛情でもあるんだけど、それはぱっとわかるものではないから、自分で見つけにいく。」

弥太郎さんのすごいところは、私たちがぼんやりと雰囲気で感じていたことを絶妙な言葉で表現できることだと思う。
「おいしい」という言葉に含まれる優しくてあったかい気持ちは、提供する側の親切を感じ取れた時に生まれるということだ。

だからこそ、味だけの話じゃない。
お店なら場の雰囲気やサービスも「おいしい」の一部。
身近な人が自分のために心を込めて作ったものなら、味がイマイチでも関係ない。
感覚としてはわかっていたけど、それをたった一言「親切」という言葉を当てはめてくるセンスの良さは本当にすごいと思う。

松浦:「量、大きさ、温度、見栄えの心配りと親切。大事ですね。餌ではないので。」

ここで私はハッと気づく。
餌……?……!

++自分への親切、できてる?

最近ひとりで昼食の場合、グラノーラと惣菜、ヨーグルトでササっと済ますことがよくある。
内容はともかくとしても、なんだか餌っぽい感じがしなくもない。
そのことを告げると、弥太郎さんからはこんなコメントが。

松浦:「自分への親切って暮らし全般でとても大事ですよ。いちばん親切にするべきものは自分ではないかな。」

そうですよねーーーーーーーーーーー!
いや、ほんともうおっしゃる通りでぐうの音も出ない。

松浦:「自分を粗末にしたら絶対だめですねー。自分がしあわせでなければ人をしあわせにできませんし。」

そうなのだ。
自分を親切に出来なければ、誰かに親切にすることなんか出来ない。
にもかかわらず、一人だと何かとおろそかにしてしまうことのなんと多いことか。
食事なんて自分一人ならどうでもいいと思いがちだけど、どうでもいい食事ばかりしてたら自分自身がどうでもよくなってしまいそうだ。

これは、いけない。
自分に親切、今からでもすぐに何とかしたい。



松浦弥太郎といえば、「ていねいな暮らし」の代名詞的存在だ。
元「暮しの手帖」編集長という経歴が有名だけど、あんな風に何でも手間暇かけて生活するなんて私には無理だなと思っていた。

でもここ数か月の弥太郎さんとの対話で、「ていねいな暮らし」の本質は何でも手間をかけるということじゃないんだと分かり始めた気がする。

ていねいな暮らしは、きっとこんな些細な自分への親切から始まる。
ほんのひと手間、出来ることからでいい。
今月は、そんなことを教えてもらった気がする。

…とりあえず、グラノーラも買ってきた惣菜も、せめてきれいなお皿に盛りつけて食べよう。
まずは、小さな親切から。


豊かな人生のために、ファッションのスパイスを。 学びやコーチングで自分の深掘りを。 私の視点が、誰かのヒントになりますように。