感性は、深い静寂の中に流れる旋律のように
感情は、雷光の如く突然体中の血流を騒がす。
魂という<神の遺伝子>は、肉体を構成する物理的なDNAのようには改変できないもの。それは、普遍的な宇宙の光であり、魂そのものが永遠の理(ことわり)の記憶と共に、唯一無二の創造と成長を託された不可侵なる神の創造物だから。
考えるのは脳
思うのは心
思いが通じるのは祈り
<祈り>はこの世とあの世をつなぐ光
宇宙の言葉
物の価値観から、行為の価値観へ。
見えないものの見える化は、
想像力と意識の進化
価値をお金に置き換える時代は終わる。
シューベルト「魔王」
「魔王」の詩は1782年に、シングシュピール「漁師の娘(Die Fischerin)の一部としてゲーテによって作られました。この詩には何人かの作曲家が楽曲を書いていますが、1815年にこの詩に曲をつけてから3回の改稿を経て、1821年に「第一作品」として発表されたシューベルトの「魔王」が一番ポピュラーであり、音楽の授業で一度は聴いたことがある、思えば<恐怖>でしかない楽曲だった記憶があります。
物理的な「死」をモチーフにしたと思われる「魔王」の姿は「死神」として捉える説もあり、この4分あまりの楽曲が、現代まで引き継がれていることは、人間の心の奥深くにある共通した「死」への恐怖が人の中にあるからなんだと思う。
ところで、今は物理的な「死」を超えて、精神的な「死」と向き合うことになってしまっている、そんな感じがじわじわと迫っているように思います。
「魔王」は何者なのか?
この詩の中での父と息子、息子と魔王の会話に中に、私たちがそれぞれの感性に触れるものがあるように思えて、この動画をUPしました。
私自身の生きる環境の中に、これほどのカオスは今までありませんでした。
心の奥で肯定していること、否定していること、それらが社会生活の中で折り合いが付け辛くなっている。一択では収まらない向かう先の時間軸が混迷を極め、希望と絶望の道が、陰陽のしめ縄のように絡まりあって流れています。
全人類を巻き込んでいる潜在意識の終末観が、物理的な気象変動や災害に現象化しているとも思えます。この集合意識の濁流はどこに向かうのでしょうか。一人ひとりの尊厳と選択に、今は敬意をもって愛に統合する未来を祈りたいと思います。