「いつか」は永遠に来ない
一歩でも進めば、道ができる。
一文字でも書けば、文章はできる。
けれどその「一」が、なぜか、とても重い。
無害で、無味で、頭を使わなくていいことならば、無限にできる気がするのに。
「いつか」「いつか」と言い訳ばかり重ねても、結局「一」は築かれない。
道も文章もつくられないまま、朽ちて土になり、はい、おしまい。
「いつか」と言っている間は、その日は永遠に来ない。
「いつか」を「今」に引き寄せるには「よっこいしょ」と重い腰を上げなければならない。
もしくは、血を吐く想いで手を伸ばす。
もしくは、もしくは。
そんな身を削るような重労働なら、やらなければいい。
「いつか」という耳障りのいい言葉に乗せて、捏造のノスタルジーに浸りながら永遠に「いつか」を繰り返していればいい。
ふしぎだ、文字は一文字も書けていないのに、道はどこへも伸びていないのに、「いつか」と言うだけで、なぜだか一歩も二歩も進んだ気がするのだ。
かりそめの甘ったるい満足感は、「よっこいしょ」と思い切って上げた腰を支点に振りかぶって投げた豪速球の「一」の圧力を前に、光の速さで弾け飛ぶ。
“ほんもの”にぶち抜かれる感覚はまさに、風圧に負けそうになる其れとよく似ている。
だから、どんなにつたなくても、豪速球どころか数メートルすら飛ばせない体力でも、「一」は必ず「十」や「百」になるのだから、なんとか重たい腰を上げて、今日も一文字ずつ、すがるように、確かめるように、書いたり消したり戻ったり進んだり嫌になったり天にのぼる気持ちになったりくねくね、ごちゃごちゃ、あーいそがしい。
このnoteだって、「よっこいしょ」を続けて2ヶ月経つ。
noteを、毎週月曜日に書くと決めたのは7月のこと。
どんなに眠くても、疲れていても、ネタがなくても、筆が進まなくても、絶対に更新をサボらないと決めた。
なんでもいい。短くてもいい。とにかく続けるんだ、と。
でも、
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