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自分と相手の境界線 #ラトビア日記 30週目


2024年3月18日 お見送り

 朝、ラトビアに滞在していた、黒井理恵さんをお見送り。

海とマーケットが近いからウミネコがあちこちに

 ラトビアの首都・リガからは、バルト三国のエストニアとリトアニアへは、それぞれバス、電車、飛行機のどれでも行くことができる。

 バスに至っては便数も多い。

 デンマークやスウェーデンには行ったのに、まだエストニアやリトアニアには行ったことがない。

 ラトビアに住んでいる間に、どちらも行きたいな。

2024年3月19日 日本語に訳しても結局意味が分からない

 課題の論文も授業も提出するエッセイも、当たり前だが、ぜんぶ英語。

 ときどき、単語や文の意味が分からなくて英英辞書で調べ、まだピンとこないときは英和辞書で調べる。しかし、それでも意味が分からないことがある。

 こういうときは諦めて、あんまりピンとこなくても、英英辞書の意味に戻る。

 英語で腑に落ちるニュアンスと、日本語でしっくりくる表現、それぞれ違うのだなと思う。

 例えば「girl」は和訳すると女子、女の子、女児……など、さまざま。

 けれど「女子」と「女の子」では微妙にニュアンスが違ったり、年齢的に関係なく女性のことを「女子」と表現することは珍しくなかったりする。

 こうした単語一つひとつのニュアンスに加え、学説や構造を論じる文章に至っては、日本語で読んでも「つまり何が言いたいの? 賛成なの? 反対なの?」と困惑する。

 人生で一番、日本語以外のテキストを読んでいるのに、まだ慣れない。

 英語力というか読解力の乏しさだな……。

2024年3月20日 春よ来い

 春学期の授業が、そろそろ折り返し。

 このまえファイナルエッセイを出したかと思っていたのに、もう次の最終レポートのことを考えている。

 勉強がルーティンになると、時の流れがあっという間だ。

 あとは、春になるのが待ち遠しくて、毎日指折り数えているせいもあるかもしれない。

 授業の前に、鳥のさえずりが聴こえて、なんだかうれしかった。

2024年3月21日 目を合わせないのもマイクロアグレッションなの?

 春学期から受けている授業は、どれもすごくおもしろいのだけれど、その中でもサイエンスにまつわる授業は、気候危機に関心があるわたしとしては特に楽しい。

 科学や物理の専門知識は扱わないけれど、専門知識のある人の言葉や研究をどう扱うか、知識のない人たちとどう橋渡しするか、ということを学ぶ。

 その例として、今日はコロナとワクチンが取り上げられた。

 途中、ワクチン断固反対派、積極的賛成派、信じきれないけど接種する派、必要だから接種する派、など区分されたグラフィックなどが扱われた。

 こうしたアンケートやデータベースも、必ず何かのバイアスがかかっている。

 実際、ワクチンがなかなか届かないグローバルサウスの人たちと、ワクチンがすぐに手に入ったグローバルノースの人たちとで、ワクチンへの認識は大きく異なった。サウスの人たちは肯定的、ノースの人たちは疑惑的だった(ワクチンが手に入ったにも関わらず)。

 そのなかで、アジアのバックグラウンドを持つ人たちへのヘイトクライムが起きたことを授業で思い出した。

 さらにワクチンを打っている人から、打っていない人への差別や、コロナに罹った人への差別なども「そういえばそんなこともあったな」と記憶が蘇った。

 先週の日記で「差別された経験は、いまのところない」と書いたけれど、そのあとよくよく自分の周りや今までのことを思い返して、「ない」と言い切るのはどうなのだろう、と考え込んだ。

 たとえば、これは実際にあった話だが、授業中、話をしているのに視線がなかなか合わない人(ラトビアの人)がいた。

 そのひとは他の人には視線を投げかけるのに、なぜかわたしは一切目が合わない。

 気のせいかなと思っていたが、何度も続くとわたしと目が合うことを避けている印象を受けた。

 特に何か特別な振る舞いや表情をしていたわけではなく、ふつうに座っていただけだが、わたしが何を感じ、考えているのか分からなくて、その人の不安を煽っていたのかもしれない。

 こうした振る舞いに対して「差別された」と傷つく人もいれば、「まあそんなこともあるよな」と適当に受け流す人もいると思う。

 実際、その人は時間が経つにつれ、ようやくわたしと目を合わせてくれるようになった(それでも他の人より明らかに短かったけれど)。

 これをマイクロアグレッションと呼ぶのかどうか、現時点では判断できない。定義に照らして、100パーセント当てはまるとは思わない。

Microaggression is a term used for commonplace verbal, behavioral or environmental slights, whether intentional or unintentional, that communicate hostile, derogatory, or negative attitudes toward stigmatized or culturally marginalized groups

https://en.wikipedia.org/wiki/Microaggression

 少し前、女優のエマ・ストーンがオスカーの授賞式でミシェル・ヨーと目を合わせず「差別だ」と報道されたことがあった。結局これも、彼女たちは意図しておらず、メディアの切り抜きだったわけだが、目を合わせないという国籍や人種に関係ない些細な行動さえ、“差別”と捉えられることもあるのだな、と思った。

 とはいえ、わたしも深く傷ついたわけではないが「なんか目合わないな」という違和感を多少覚えたのも事実。

 取り上げるほどのことでもないからこそ"マイクロ"なのだろうけれど、わたしが相手のことをよく知りもしないで判断したくないとも思う。

 あまりにも続くようなら、またこの違和感とちゃんと向き合いたい。

2024年3月22日 通常運転

 あたたかくなってきたかな、と思えば雨が降ってどんより曇り。

 ラトビアに暮らし始めて、夏がどれほど恋しいかよく分かる。

 暑いのが苦手なわたしも、春と夏が待ち遠しい。

 何もかもいったん忘れるために、お昼寝をして、課題をして。

 特に、変わり映えしない日。

 お昼に、カニカマとたまごでオムライスを作って食べた。おいしかった。

2024年3月23日 季節の変わり目

 約一週間ぶりの晴れ。

 ラトビアではイースター休日で、今週末や来週は、一部、大学や店などが休みだったりする。

 今日もその休暇のせいか、晴れていることもあって人通りが多い。

 朝晩もマイナスまで気温が下がらなくなってきて、公園を歩いたら芝生がほんのり緑になっていた。

 最近、リガ市内を歩いていると、ねこやなぎの束を持っている人を見かける。

 セントラルマーケットでも、チューリップなどに並んで、ネコヤナギが花束みたいに売られている。

 春を象徴する植物なのだろう。

 ネコヤナギのモコモコ、見ると元気になる。下川町に住んでいたときも、勇足でネコヤナギを採りに行ったことを思い出した。

 ラトビアの人たちは、そのモコモコを使って、身体をはたくお祓いみたいなことをするらしい。

 日本で言う、厄払いみたいなことかもしれない。

2024年3月24日 健康を取り戻す

 3月も、もうおしまいか。

 光の速さで過ぎ去った。何をして、何をしていないかも、思い出せないくらい。

 イースター期間で、お店や大学が休みだけれど、日本の年度末は仕事も学校も休みにならないし、ちょっとした春休みな気持ち。

 数日前から、iPhoneにデフォルトで入っているヘルスケアアプリを、定期観測するようにしている。

 市街地はバスやトラムも走っているが、歩くことが多い。

 とはいえ、実際どれくらいの歩数を歩き、どれくらいカロリーを消費しているのかを知りたかった。

 一日中、引きこもっていた日は、歩数が「1歩」という衝撃的な数字が表示されたため、正確性は不明だけれど、アプリを見るようになってから以前より意識して歩くようになった。

 同時に、歩いているだけでは鍛えられない筋肉の衰えを感じる。

 部屋は狭くはないけれど、心置きなく筋トレができるスペースがあるかと言われると、そうでもない。

 部屋の広さのせいにして、今までやっていた筋トレが、なかなか続かない。

 ストレッチだけでなく、筋トレもちゃんとしないとな。気合いだけで乗り越えられる年齢は、もうとうに超えているのだし。 

今週の雑記: 人間関係のストレスが少ない理由

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