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日本からの初めてのお客様 #ラトビア日記 29週目


2024年3月11日 災害大国だからできること

 東日本大震災から13年経った。

 今年の1月1日には、能登半島地震が発生。

 何度も何度も、天災を経験しているはずなのに、なぜ人は忘れてしまうのか。

 人間は、今後300歳以上まで生きられる可能性があるという記事を読んだ。

 しかし、わたしが生きるなら100歳でも長いくらいだと思ってしまう。

 300歳まで生きる人間が一億人いたとして、何がどうなるのか想像もつかないが、なんとなく「地球が何個あっても足りないのでは?」と思う。「この年齢になったら火星に移住せよ」という法律ができるかもしれない。

 何歳まで生きようと、人間はきっと同じことを繰り返す。

 だんだん、忘れてしまう。せめて「忘れてしまう」ということは、忘れないでいたいよ。

 忘れる前にできること、やれるうちに、やっておかないと。伝えたいこと、伝えておかないと。と、思う。

 大地の記憶も記録も、更新されているはずなのに、人間だけが、置いてけぼりな感覚。

 寿命ばかり伸びたとして、資源を食い潰し続けた果てに、これ以上なにが欲しいんだい。

2024年3月12日 差別に気づくかどうか

 ラトビアに住みはじめてから、日記で何度か書いているが、わたしは今のところ、露骨な差別に遭った経験がない。

 異国で、特にアジア圏外で暮らす人たちの間では、レイシズムや差別の対象になる話は、いまだに“あるある”として語られる。

 けれど、今のところ幸運なことに、その“あるある”話が、わたしにはない。

 しかし一方で「わたしが鈍感なだけなのかもしれない」とも思っている。

 もしくは「これは差別だ!」と認識しないことで、無意識に自分を守っているのかもしれない。

 基本的に「思った通りにいくわけない」と思っている。

 いまだに街中を歩けば、じろじろ見られることはある。

 けれど「じろじろ見られて当たり前だ」と、ある意味あきらめているというか「まあ、そうだよな」と開き直っている。

 もちろん、あまりにも不愉快な視線だと、さすがに厳戒態勢になるが、今のところ身の危険を感じるような視線を投げられることはない。

 大学の教室で「あれ?」と思う接し方をされたとき、その違和感の理由は、わたしの性格のせいだったり、拙い英語のせいだったりして、見た目や日本人というアイデンティティを傷つけられたことはない。

 日本人同士でも、伝え方一つで、人を遠ざけたり親近感を覚えたりする。それと一緒だと思っている。思うように、している。

2024年3月13日 夢を叶えた

 朝起きて、ごはん。

 日本からの救援物資(ふりかけなど)が、なくなりそう。

 でもなんだかんだ、この前始まったと思った春学期が、もうすぐ折り返し。

 今月と来週の最終週は、授業がないのだ。

 長いようで、あっという間。何かをつかみかけているような、ただただラトビア暮らしを楽しんでいるだけのような。

 でも「海外で生活したい」という、長年の夢は叶ったのだ。

 今まであんまり、まじまじと、その事実を認識していなかったけど、それって、すごいことじゃないか。

 ぼんやりとでも「やぅてみたいな」と思っていたことを、一つ、叶えたのだ。

 それだけでも、じゅうぶん、価値があった。

 もしその先に、新しい目標ややりたいことが見えたら、もうけもんじゃないか。

 と、思えば、高望みする必要もない。

 一日いちにち、だいじに生きよう。

2024年3月15日 ぜんぜんマジョリティだった

 今日から、お世話になっているお姉様の一人がラトビアにやって来る。

 ヨーロッパに旅に来ているとはいえ、ラトビアまで足を伸ばしてくれるなんて、ありがたい。ありがたすぎて、泣きそうである。

 お客様は、北海道で出会った黒井理恵さん。わたしが住んでいた下川町の隣町・名寄市に住んでおり、まちづくりにまつわる川上から川下の、さまざまな文脈に関わっている方。

 今まで自分が、いろいろなことを教えてもらう立場だったけれど、ラトビアに来たお客様を、おもてなしするのは初めて。

 何かを紹介したり伝えたりするのは、自分が何を理解していなくて理解しているかが改めて明らかになって、勉強になった。

 最初は、やっぱり豊潤なラトビアを感じていただきたい!

 と思い、おすすめしてもらったラトビア国立合唱団のコンサートを観に行った。

大入、そしてメディアもたくさん

 会場がカテドラルだったからか、宗教音楽のような曲目も多かった。

 途中、ラトビアの民族音楽のような作品もあり、バリエーションが豊かで再び涙腺が緩むのだった(ラトビアで音楽を聴くとすぐウルッとなってしまうのだよな……)。

 街中を歩いたり、ごはんを食べたりしながら、いろいろな話をしたが、黒井さんが放った「結局、わたしたちは圧倒的マジョリティだよね」という言葉が、わたしがずっと感じていたモヤモヤの中に光線のように差し込んだ。

 そうなんです、わたし、健康で、大学も卒業して、仕事もして……マジョリティだったんです。

 ラトビアに来て、人権にかかわる問題や考え方に大きな変化があった。

 それは、わたし自身がマイノリティになったからだ。

 今まで呼吸しているだけで問題なく獲得できていた自由が、国を変えたとたん、自分のコントロール下から消える。

 「郷に入れば郷に従う」。頭では分かっていたし、文字だけで見ればシンプルな話だ。

 でも、その“従う”に至るまでのさまざまな違和感と不安は、いかに自分が守られていたか、マジョリティだったかを思い起こさせた。

2024年3月16日 生まれる場所は選べない

 朝、黒井さんと、リガ市内のセントラルマーケットへ。

カラフルな巻き寿司みたいなトルコのお菓子
ロシア語表記の味わい深いハーブティーたち

 冬季だから、なかなかフレッシュな野菜やくだものは少ないけれど、楽しんでもらえたようで、よかった。

 その後、毎週のように行っている、ラトビア国立図書館へ。

山型の建物が図書館

 お客様を案内する立場になると、自分では気づかなかったことや足を運ばなかった場所へも行けて、楽しい。

 図書館が12階まであることを、初めて知った。

 その後、KGB博物館へ。

 ラトビアが旧ソ連の支配下(ナチス支配下も含む)に使われていた収容所で、コミュニズムの思想に反するジャーナリストや政治家などが逮捕されて投獄された場所。

 展示は無料で見ることができるが、実際に収容されていた人たちが尋問されたり寝たり食事をしたりしていた部屋は、ツアーに申し込まないと見られない。

 すれ違うのもやっとな狭い廊下と、その両サイドにひしめき合うように並ぶ小部屋、窓がある部屋、ない部屋、女性でも肩幅がはみ出しそうな小さなベッド、洗浄されない使い古された鍋など、時が止まったままで保存・展示されている。

 収容された人々は、決められた時間(たしか1日20分)、監視員が見下ろす狭い中庭に出ることはできたが、もちろんおしゃべりは禁止。

 できることは、うつむき、手は後ろに組んだ状態で、同じ場所をぐるぐる回るのみ。外の空気を吸えるのは、その数十分だけ。

金網の上から収容者たちを監視する

 ツアーの最後は、ラトビア人が犯罪者として射殺された現場だった。

 銃で射殺された後、彼らの血痕は水で適当に洗い流されて終了。180人以上が、そこで亡くなった。

 ラトビアが、旧ソ連から独立して自治権を取り戻したことに誇りを感じているのは、知っていた。

 けれど、このKGBで働いていた人の中には、ラトビア人もいた。

 ロシア系だがラトビアで生まれ育ったロシア人(ラトビアの国籍はない)も多く住んでいるラトビアにとって、旧ソ連の行いの非動さとは別の問題が色濃く残っている。

 わたしはたまたま、日本人の両親のもとに生まれ、日本で育った。日本語を第一言語として習得し、日本文化や歴史を学び、日本のパスポートを持っている。

 でももし、違う国で生まれていたら? 例えば、旧ソ連の支配下のラトビアに生まれていたら?

 誰にも選べないし、誰にも分からない、そんな仮定を、考えずにはいられなかった。

2024年3月17日 ラトビアの昔の暮らし

 ラトビアに引っ越してきてから、ずっと行きたくて、でもタイミングがつかめずにいた「オープンエアーミュージアム」へ。

 16世紀から17世紀ごろのラトビアの、さまざまな地方の民家と集落を再現した博物館。

 冬期でいくつかの施設は閉まっていたが、お散歩するにもちょうどいいサイズ感の博物館だった。

教会
昔のラトビアのサウナもあった

 一つの家に、お父さん、お母さん、子どもたち、おじいちゃん、おばあちゃん、その妹、弟、兄、姉、その子ども、そのまた子ども……などなどで住んでいたらしく、どの家族も大人数だった。

子ども部屋

 冬の間は寒さをしのぐため、10人以上の家族でも一つの部屋で、食事も睡眠も、すべて完結させていたらしい。

 今でこそ、石造の建物がほとんどだけれど、かつては木造の家屋や倉庫、小屋ばかりだった。

 わたしが最近、悶々と考えていることを黒井さんに聞いていただいたり、ラトビアのサウナで人生で初めて日本人以外の人たちの裸を見て衝撃を受けた話をしたり、なんだかちょっとわたしの話をしすぎてしまった気がするけれど、とても楽しい3日間でした。

 黒井さん、わざわざラトビアに寄ってくださりありがとうございました!

おまけ: 悶々と考えていること

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