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「1人では何もできない」という諦観からはじまる希望

「下川で、サウナやったら?」

そんな声を、去年の夏から秋にかけて立て続けにいただいた。

「下川」とは、北海道の下川町という町のこと。旭山動物園がある旭川市からさらに北へ車を走らすこと約1時間半で到着する、人口約3,400人の小さな町だ。

そう言われるたび、わたしは「サウナかあ……」と腕組みしたきりで、その先の話をすることはなかった。

なぜかというと、当時のわたしはサウナの魅力をよく知らなかったし、「●●さんに言われたからサウナやります」ってすごく無責任だし、わたし自身がワクワクしなければ長続きしないし、ワクワクしないことはやりたくなかったからだ。

でも、よくよく聞けば下川町にサウナが好きな方が多いことが判明。

さらに下川町のロケーションは、サウナの聖地・フィンランドにとても似ている環境だということも分かった。

「それならば」と自分自身もサウナを何度か経験して、デジタルデトックス効果の印象が強く「あー、これはハマる気持ちわかるな」と納得した。

こうした諸々のタイミングがピタリとハマったゆえに始めた、「polca」を使ったクラウドファンディング。

あっという間に目標金額の10万円が集まり、実際「テントサウナ」を購入するのに必要な15万円まで、思い切ってご支援を受け付けさせていただくことに。

わたし自身、個人名義でクラウドファンディングをするのは、これが人生で初めて。

知人や友人で何人か、矢面に立ってクラウドファンディングをやっている方々がいるからか「クラウドファンディングをやる」ということへの見方が、良くも悪くも下がっていた。

「資金調達したいなら、クラウドファンディングもあるし〜」と、軽々と口にしていた。

もちろん、今でこそ主な資金調達のツールの一つとしてメジャーになりつつあるし、polcaなんてその“気軽さ”を“文化”にしようとしているサービスだし、とても素敵なことだ。

ただ今回polcaを使ってみて「何も考えずにアホみたいに『クラウドファンディングやってお金集めればいいっしょ』なんて、もう二度と言えないし、言いたくないな」と思ったのも、事実で。

polcaは、誰がいくら支援したのか見ることができる。すでに起案者と関係性のある人からの支援を受け付けること前提で設計されたアプリだからだろうし、ゆえに「フレンドファンディング」というキャッチコピーがついているのも頷ける。

だからこそpolcaからご支援をいただいた通知が飛んでくるたびに「あの時お世話になった●●さん」や「長い付き合いの友人の●●」や「下川町の●●さん」といったふうに、如実にその人とのエピソードが思い出されて、様々な生活をおのおのが営みつつ、それでも暮らしの記憶の中でわたしの「polca始めました話」を思い出してくださって、しかも大切なポケットマネーを投じてくれるという行為そのものが、想像以上に尊すぎて、ありがたさが深すぎて思わず何度手を合わせたことか知れない。

血の通ったお金をいただいているという感覚が、ありがたく、また同時にすごく生々しくせまってきた。

わたしは昔から、誰かに頼るということが本当に苦手で──というか、そもそも何かをするときに「誰かに頼る」という選択肢が上がってくるような人間ではなかった。

良くも悪くも「誰かに頼るのは悪い」と思っていたし、腹の底の底では「全部自分でやれば早い」「めんどくさいから一人でやる」という感覚が強かった。

けれど、「誰かに頼らないとどうにもならない」ことにぶち当たったとき、自分のプライドとか肩書きとかなんやかんや放り出して「助けてくれ」と言わざるをえなかった。

誰かに頼らなければならないという壁に何度も体当たりしながら「わたしは無能だ」「何もできない超ポンコツだ」「ダメ人間だ」とすごく自分を叩きに叩いて、助けを求めることが悔しくてたまらなくて、歯ぎしりしながらものすごい小声で「た、た、たす、助け……助けて……く、くだ……くださ……ください……」みたいに呟く──というテンションだったのだけれど、助けてもらうとポンポンポン、と事が進んで自分の力でなんとかしようと思っていたときよりもスピード感を持って、目標を達成することができた。

「一人では何もできない」という諦観から、新しい希望が生まれること、そして自分のプライドなんてさっさと捨てる方が省エネかつスピード感が上がるということを、そのとき痛感した。

2年くらい前のわたしなら、くだらないプライドが邪魔をして、クラウドファンディングなんてやらなかっただろうし、そもそも下川町へ移住しようなんて発想にもならなかったと思う。

「一人では何もできない」という諦観が希望を連れてくるという事実は、わたしの背中を押してくれた。

そして、その勢いに乗って始めたpolcaを通して「血の通ったお金(もしくは時間)をいただいて、わたしはそれに何を返せるか」ということと真摯に向き合うことができた(現在進行形)。

「いただいた、血の通ったお金や時間」と真摯に向き合う用意がある人こそ、クラウドファンディングはベストなツールだと、わたしは感じる。

もちろん、クラウドファンディングはもっと気軽なものでもいいという意見もあると思うし、それでもいいと思うけれど、もし再び自分がクラウドファンディングを実施するなら、そういう心構えは忘れないでいたいと強く強く、思ったのです。

そして、クソみたいに自分のことしか考えていなかったスーパー自己中な2年前のわたしに「その息苦しい生活、もうやめようぜ、ダサいから」と言ってやりたいです。おやすみ。

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