見出し画像

真夏の前夜の夢

 気づいたら、南での暮らしが、すでに二週間以上も経過している。

 夜7時、やっと暗くなる。聞いたことのない、虫の声がする。久々に蚊に刺される。中指と薬指の付け根。あー、なんで気づかなかったんだ、と思いながら、かゆみをこらえる。朝からサウナのような蒸し暑さ。まだまだ序の口、と言わんばかりに、太陽の高さと共に、湿度も上がる。

 キツネではなく、たぬきが道路を横切る。キツネより、まるいからだ。顔も大きい気がする。暗がりにカサカサ動く影は、猫にも見える。

 苔むす生垣は、100メートル先から突然現れる歩行者や自転車を隠す。くねくねと、場当たり的に曲がったり伸びたり。あるべき道に合わせたのか、あえて突飛な進路を築いたのか、100年、200年前に住んでいた人のことを考える。会ったこと、ないけど。

 ここでは、タオルは一日では乾かない。100年、200年前の生活文化は当たり前。土地は、道は、家は、畑は、切り拓くものというよりは、受け継いできたもの、受け継いでいくもののように見える。

 釣り人にいたずらをしかけに、イルカが船に近寄ってくるらしい。白くて長い砂浜には、ウミガメが産卵をしに、南の海を渡ってくるという。見たことはない。聞いただけの話。

 聞いただけの話が、かさなってゆく。まだ、わたしの五感はガラ空きだ。しかたない、無邪気に自由を振りかざせない御時世だもの。そう言い聞かせて既に一年経った。

 近づいて、手に取ろうとして、アッと引っ込める。さわっちゃダメ。近づいちゃダメ。子どもじゃないんだから、分かってる。でも、この距離感で知りうることの、先に行きたい。わがままは言うだけ無害と甘えてみる。

 夜、noteを書いていれば、虫がスマホの画面に集まってくる。コバエ一匹の突然の乱舞に、取り乱さない程度に肝は据わった。

 シルクのスカーフみたいにふわりと舞って、そのまま親指と人差し指の隙間をしゅるるとすべり抜けて次の日、また次の日と、どんどん飛んでいってしまったように、過ぎてゆく。

 いつだって、思い出したいのは、アッという瞬間。

 けれど当事者は、目の前の事象を乗りこなすのに必死だ。どうにも、間に合わないことだらけ。その間合いは何歳になってもつかめない未熟を、蒸し暑い夜に噛みつぶす。

読んでいただき、本当にありがとうございます。サポートいただいた分は創作活動に大切に使わせていただきます。