伝えたいことがあるのにぜんぜん言えない、その理由
今日はあなたに、伝えたいことがある。
そうやって毎度、こなれた感じで切り出せたら、どんなにいいだろう。
今日は風が強いからとか、髪型があんまりうまくきまらなかったからとか、睡眠不足でアタマがボーっとしているからとか。
「今日はやっぱり、言わないでおこう」と引き下がるための適当な言い訳は、どんなときでも無限に出てくる。厄介だね。
思えば何歳になっても「こんなもんか」と拍子抜けするのを繰り返してきた。
成人した20歳はまだまだ全然子どもで、20代折り返しの25歳も日々の一喜一憂で忙しくしており、27歳を目前に控える今のわたしでさえ、せせこましくっておぼつかない。
心のうちにそっとしまっていた秘め事を、背中か横顔で、もしくはアンニュイな笑顔なんかで静かにふわりと匂わせただけで語れたら、どんなに艶めいて物憂げで、いいだろう。
その香りをふりまけるだけの引力と心の余白を、自然に醸し出せたら──人はそれを色気と呼ぶのかもしれない──そんな大人に、わたしもいつかなれるかなと思っていた。
だのに期待していたようにはなりきれないまま、気がつけば言いたいことを伝える訓練はそっちのけ。
自分の心を押し殺す癖ばかりついてしまった。
伝えたいことを伝えるのは、身体が真っ二つになるくらい、苦しいときがある。
同時に、相手の真意を聞いて身体が裂けて脳天から爪先までよじれによじれて、絞りきれないくらいシワシワになってしまいそうなこともある。
あなたにも、貴女にも、アナタにも、「言わなくても分かってよ」と言いたい。
でもわたしには、こなれた色気もないし無味無臭の空気ですべてを語りきれるほどのハイコンテクストな伏線を張れる器用さも勇気もない。
「言わなくても分かってもらえる」関係を構築するまで辛抱できないなら、「勇気を出して伝え合う」関係をゼロから築いていくしかないでしょう?
そうまでして、向き合ってくれる?
傷つく覚悟で、話を聞いてくれる?
そう問いかけるわたしが、一番、傷つくのを怖がっているのさ。
伝えたいことは、いつだってあるよ。
聞きたいことも、やまほどあるよ。
伝えたら、迷惑だろうか。
伝えても、無感動だったらどうしよう。
伝えても、尋ねても、拒否されたら、どうしよう。
知るか。
あなたがどう受け取ろうが、わたしたちは干渉できないんだから、お好きにしてよ。
でも一つだけ、覚えておいて。
嘘は一つもないってこと。
そして、いざ言葉にして伝えるときは、背水の陣で傷つく覚悟を決めたのだということ。
器用になんて、ぜんぜん生きていけないわ。
だいたいいつも何かを目まぐるしく考えてあれこれ想像して想像の先で理想も期待も不安もごちゃ混ぜにして勝手に打ちのめされている。
独り相撲だけなら横綱級の妄想癖のあるリアリスト、と言えば聞こえがいいがつまりはただの臆病者。
臆病者だけど、臆病者なりに言葉にするよ、そら、どうか耳をすまして聞いてほしい。
無感動でもイライラしてもいいから、ただただ、黙って、そばにいて見届けて。
そうすりゃボロボロに傷ついたって、わずかな余白を吸い取られてシオッシオのパッサパサに干からびたって、不死鳥みたいに燃え尽きた灰からまた生まれ変われるでしょう。
だから、伝えたいことは、いま伝えなきゃ。
明日死んでもいいように。
今日傷ついて身体が真っ二つになって死にそうになっても、明日また崖っぷちから息を吹きかえせるように。
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