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器の大きさに感動!社長の神対応 #14

生活保護の母と弟。会社と病院を往復する毎日
周りに頼れる大人は居ない。

そんな中、当時、私がどんな生活を送っていたのかについてお話しします。

お医者さんから「1年以内にやりたい事は全てやっておきなさい」と言われたのが、2009年6月
その時、母は再び腸閉塞で2週間入院しました。
会社にその旨を伝えると、2週間、私は「リモートワーク」させてもらえることになりました。

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今でこそ、「リモートワーク」という言葉は一般的になってきていますが、今から11年前の2009年当時、「リモートワーク」「ノマドワーカー」なんていう言葉はありませんでした。
Wi-Fiも無く、まだ有線LANでインターネットに接続するのが一般的な時代。
ケータイもガラケーで、スマホはまだ日本では広まっていませんでした。そんな時代です。(懐かしい 笑)

そんな時代に私がどうやって「リモートワーク」をしたのかというと、
auの「携帯カード」というのがあり、(←確かそんな名前やったと思います 笑)
そのカードをPCに挿すと、携帯の通信ネットワークを利用してインターネットに接続できるんです!当時にしてはかなり画期的なこと!
普段は社長が外出時にも仕事ができるように使用しているものでしたが、2週間私に貸してくれました。
このおかげで、私は病室にPCを持ち込んで、2週間の間、母のベッドの横で1日中仕事をすることができました。当時の社長に感謝ですね。

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私がどんな仕事をしていたかもご紹介しますね。
神戸の通信系のベンチャー企業で、社員は社長含めて5人です。
「スマート家電」って、今ではだいぶメジャーになってきましたよね。スマホと家電を連動させて、スマホから家電の電源とかを操作できるアレ。
その元になるコンピューターの部分(基盤)を開発していた会社です。

当時はなかなか世の中に受け入れてもらえず、営業活動は大変そうでした。新しい事すぎて、みんな想像できひんのやろな、って感じてました。
(私ですら、「ふーん、、、??」って思ってました。ごめんなさい、社長。。笑)

私はその会社で、受発注・在庫管理・仕入先開拓・請求書対応、製品組付けから出荷など、いわゆる営業事務の仕事をしていました。(組付け、は技術者っぽいですがw LANケーブルの接続と通電検査なんかもしてました)
私以外に事務は居ないので、大変でしたがのびのびマイペースにやってましたよ。業務フローなんかも全く無い状態だったので、その構築から整えました。

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一人だったから、逆に良かった
と思っています。
腸閉塞での2週間の入院が終わり、母は自宅に戻りましたが、
「いつまた病院から電話が鳴るか分からない」とハラハラしていて、24時間着信が聞こえるようにした状態で、携帯を肌身離さず持っていました。

8月のお盆休み、岡山の瀬戸内海にある「牛窓」という所へ家族旅行を予定していました。しかしその数日前、再び母の具合が悪くなり入院します。もちろん旅行はキャンセル。

お盆休みだったので私は毎日病院に居ました。
お休みが明けても母の体調は良くならず、「このまま死んじゃうのかな」と毎日不安でした。
それでも仕事に行かないといけない、、、

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そこで私はこんな行動をしました。

朝6時に出社、2時まで働く(=8時間労働)、
そのあと病院、
夜はホステスのアルバイト。

この極端なフレックス、社長に許可も取らず、私が勝手にやりました。笑
怖いもの知らずですよね。笑 今思うと、よくそんなこと無許可でやったな、と。
もちろんバイトも無許可です。バレてましたが 笑

そしてそれを文句ひとつ言わずに黙認してくれた社長の器の大きさ!!!
当時は目の前のことで一杯いっぱいになっていたので気づきませんでしたが、後から思うと、社長、まじですごい!!!!

社長は当時40歳くらいでした。今でも尊敬しています。
私が会議中爆睡した時でさえ、笑ってましたからね社長!!

ディズニー旅行をはさんで、この生活が続いていました。

10月、3人で広島日帰り旅行に行きました。
あんまり体力が無いので、宮島に行って穴子丼と牡蠣を食べて帰るだけ。
それでもすごく良い思い出になりました。

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そのあとから母が日に日に弱っていくのが目に見えて分かるくらいでした。
私も体力に限界がきて、ついに会社を辞めたいと申し出る。

そんな私に社長は、介護休業を提案してくれました。
「え?なにそれ?」初耳でした。そんな制度があるの?

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次回「介護休業という制度 今とむかし #15」
当時は介護休業は「無給」でした。
その制度を利用した私は、、、

次回もお楽しみに!

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