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成田空港勤務→退職して地元神戸に。#4

🌻「あんしん、あったか、明るく元気!」🌻
ANAが大好きなんです。
客室乗務員になりたかったのですが、身体検査でその航空会社も引っかかってしまい、、、それでもあきらめきれずに地上職を受け直し、念願のANAに就職できました。

*トップ画像は沖縄県下地島空港。当時はジェット機の訓練飛行場。


他の航空会社ではダメで、ANAがよかったんです!笑

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22歳の私。懐かしいww
まだガラケーの時代の写真。

地上職というお仕事はあまりピンとこない方も多いですよね。
空港で搭乗手続きや、飛行機に乗る直前の搭乗口という改札で業務をしている人たちです。
裏側でも、荷物や人の重さを計算している人たちもいれば、紛失した荷物の対応をしている人達など、様々な業務があります。

私は成田空港で国際線の搭乗手続き等を担当していました。
嬉しいのはやっぱりお客様からの「ありがとう」の言葉。(←こういうお話しアルアルですよね 笑)
一番印象深かったのは、「もうANA以外に乗りたくありません」という最高の誉め言葉。私たち全員がANAという企業とつくっているんだと実感した一言でした。
業務では、ベビーカーを抱えて空港を全力疾走するなんていう場面もあり、へとへとになったりしますが、
(成田空港、特に広いから!!(ノД`)・゜・。笑)
「それで喜んでもらえるなら」という気持ちで頑張れます。
そういうマインドの方が多いのがANAの何よりの魅力だと思います。

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母と弟も、成田空港近辺に移住してくる計画を立てていました。
印旛村(現・印西市)という村で、のんびり過ごしたいと。

印旛村桜

*印旛村の一本桜

でも、母がだんだんと体調が悪くなってきて、引っ越すのが危なくなってきました。
せっかく入社したANA、辞めてしまうのは、、、と迷いましたが、退職して神戸に帰ることにしました。

実家の私の部屋は、家具なども全部処分して出ていたので何もない部屋に帰るんだろうと思っていたのですが、母が簡易ベッドを買って布団まで準備してくれていました。
その時に思わず涙が出てきたのを覚えています。
帰ってくる場所がある、というのがこんなにも暖かくてありがたいことなんだと、実感。

「ありがとう」


私が神戸に帰った2か月後、母のガンが再発しました。

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次回 #5 「再発、その時家族の生活は」

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