自分以外のことで悩んだり心を疲れさせたり、したくない
12月になって、Twitter(Xというのに慣れていないのでTwitterと呼ぶことにする)を消した。プライベートのアカウント(消す前にざっと見返してみたのだけど、なんと10年前の元恋人とのツーショット写真が残っていた!)と、ここ3年くらいで始めた仕事やスクール用のアカウントの2つ、どちらも消した。
Twitterを消してみて思ったのが、知らずに受け取っていた情報量のこと。ここ数日の、外から得る情報の少なさといったら…!もちろん、知りたい情報にアクセスしづらくなったと感じる場面もあるけれど、それ以上に私自身以外のことでどれだけ心がざわついていたのかを思い知らされた。
私はHSPの気質を持っている。自分では到底どうでもできない事件や事故に対しても、悲しさややるせなさを必要以上に感じ取って疲弊してしまう。Twitterを消して感じるけれど、私は知らないでも生きていける情報を受け取りすぎていたように思う。もちろんさまざまな情報を受け取って、新しい知見や気づきを得たりするには、Twitterはもってこいのツールだ。だけど、私には過多だったようだ。
知りたいことは自分から知ろうとするし、知っておきたい情報は他のツールから受け取れる。私は私自身を守るために、Twitterを削除してみた。
だって、必要以上に自分以外のことで悩んだり心を疲れさせたり、したくない、から。ただでさえ、自分自身のことで精いっぱいなのに。冷たい人だと思われるかもしれないけれど、それでも私は私自身のことにめいいっぱい悩んであげたいし、慰めてあげたい。
昨日のnoteで「見えている景色、受け取れる思考・感情は、私だけのものだ」ということを書いた。
私は私の見える景色や受け取る感情を味わうのに忙しい。だからこそ、外からの情報を受け止めすぎる時間はないのだ。私と、他者、外の世界。ゆるやかにつながりつつも、明確な距離を置くことも、時には必要かもしれない。
昨日からだけど、こうやって言葉にしなくてもいい当たり前のようなことを言葉にしたくなるのは、「私はこうでありたい」という気持ちが強いからだ。むしろ、こうやって改めて言葉にしないと忘れてしまいがちなことを、言葉にしないと前に進めないから。
だから、言葉に残して、自分自身にも宣言をして。これは、私は私を一番に理解して、大切にしようという宣言なのかもしれない。だとしたら、じわじわとこの感情を私の中に取り込むしかないのだ。
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