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鴨川、それは日常 │ 春夏秋冬、鴨川集。

私の心のよりどころ、鴨川。ふとこの2年間の写真を見返してみたら、鴨川をうつした写真があまりにも多くて驚いた。春、夏、秋、冬、さまざまな角度から、さまざまな時間帯から、さまざまな天気から、いろんな視点で鴨川を眺めていたようだ。

どの写真を見ても、その時の情景が思い浮かんでくる。天気がいいからひたすら散歩をしていた日、辛いことがあって涙をこらえながら歩いた日、夏の暑い日差しを避けたくて朝5時に起きて歩いた日、友達や恋人と話しながら過ごした日。レジャーシートを敷いて本を読んだりお酒を飲んだりもしたし、自転車で駆け抜けた日もあった。

そう思うと、鴨川というのは、京都での私の暮らしに寄り添ってくれている存在だ。嬉しい時も悲しい時も、ひとりでいる時も誰かといる時も、暑い夏の日も風が冷たい冬の日も。私は鴨川の表情を見に行くような気持ちで、散歩に出かけていて。今日はこんな姿だ、桜が咲いてきた、山々が紅葉し始めたな、そうやって観察を欠かさない日常。

気づけば鴨川のいろんな表情を写真におさめていたので、今日はこれを季節ごとにまとめてみたいと思う。その日その日の姿を見ても特に思わないけれど、こうやって時間帯や季節を越えてさまざまな姿を見てみると、いかに季節が巡っているか、ということを思い知る。そんな日々の移り変わりの美しさを感じられる鴨川集です。

※鴨川デルタより北にある賀茂川と高野川の写真も含まれていますが、便宜上「鴨川」とまとめて呼んでいます。

春の鴨川デルタ。桜の木がピンクに染まっている。
賀茂川沿いの半木の道のしだれ桜。春の平和な光景が忘れられない。
毎日散歩に出かけては桜の開花の様子を眺めていた。
北大路あたりの賀茂川。週末は花見する人でいっぱいだった。
どこまでも続いていく桜並木。まるで吸い込まれたかのようにひたすら歩いてみる。
春の晴れた日の心地よさがやっぱり好きなんだ。
桜が散っても日常は続く。すっかり緑に染まって。
新緑がせまり、瑞々しい姿になっていく。

夏の鴨川デルタ。朝5時頃、まだ誰もいない。
暑いけれど、それでもあまりの開放感に写真におさめたくなる。
朝の散歩。まだ1日が始まっていないような静けさ。
ゆっくりゆっくりと日が昇る。
春のピンクの世界が信じられないほどの、緑の世界に。
緑の世界をひたすら感じて。
風のない日は建物がまるで鏡のように映る。
入道雲が夏らしさを伝えてくれる。
水面が鏡になり、目の前の景色を広げる。
夏の夕暮れ時。
夕日がきれいな日には空が広い鴨川へつい足を運びたくなる。

秋の鴨川デルタ。あちこちで紅葉が見られる。
もみじだけでない、いろんな木々が紅葉することを知った。
遠くの山々も赤く染まる。
秋は晴れの日が多く、まさに散歩日和だ。
どこまでも歩けてしまうような心地よさ。
夕暮れ時、いつもの景色がほんのり切なく見える。
秋は鴨川のベンチに腰掛け本ばかり読んでいた。
思い思いに鴨川の心地よさを味わう人たち。
高野川は、真っ赤に染まる。
あまりの天気のよさ、京都に暮らせてよかったなぁと心から思う。

冬の鴨川デルタ。緑が少なくてどこか物寂しい雰囲気。


寒い冬の晴れた午後。この散歩が大好きだ。
春には一面ピンクの世界も、冬は枯れ木。
冬の晴れた日。透き通るような青空は私を元気付けてくれる。
いつまでもこの天気のよさを味わい尽くしていたい。
散歩をするたび、鴨川が日常になっていく。
秋は真っ赤に染まっていた高野川。
どこまでもどこまでも歩いていたい。

季節の巡りをいつまでも味わっていたい

春には桜が咲く木々も冬はただの枯れ木だったり、桜が散ればすぐさま新緑に覆われていったり。1つ1つの景色を見ているだけでは気づけない、移り変わりを肌で感じられるのが「暮らす」ということなのではないか、とふと思う。同じ景色を見続けていると、ささやかな変化にも気づけるようになって、その場所がより好きになっていく。毎日変わらずに続いていくと思っていた日常ですら、少しずつ少しずつ変わっていることを教えてくれるのが、外の景色の移り変わりだ。季節の巡りを愛することで、日常の小さな幸せを愛することができる。

私にとって「京都に暮らせてよかった」と感じる象徴は、きっと鴨川なのだと思う。鴨川を歩いているだけで、空の高さと平和な雰囲気に心が救われていく。それが1回きりではなく、日常の中に溶け込んでいく。それが暮らし。小さな変化を観察するために、私はまた鴨川へ足を運ぶ。

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