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印象似顔絵イベントを終えて

人と対峙することについて考える
芹澤美咲


◯はじめに

 記録を主な目的としているため、私なりの言葉を用いており分かりづらい部分があるかもしれません、お先にお詫びいたします。今回考えることの観点が私には莫大に思えて、ざっくりと全体を拾うような構成になっていると思います。深掘りしたい部分はこれから頑張ります!稚拙な文章ではございますが、最後までお付き合いいただけたら大変嬉しいです。

◯経緯

 個展などで様々な人とお話してきたが、そういえば、よくある似顔絵を描くというようなこと、やったことがなかったなと思い。思い立ったので、そのときに急遽決まった一日のアトマイベントのようなところでやってみようとなった。
 
 人と向き合い似顔絵を描くのは、クロッキーやスケッチを除けば高校生ぶりとか。そもそも「似顔絵」というと、ある人に似せて描いたものを呼び、リアリティある「肖像画」ではなくある程度デフォルメされたものが一般的にはイメージされやすいと思う。またワークショップで行われるイメージもあり、クロッキーのような自然な姿を捉える傾向のあるものとは区別され、描く対象と向き合って行われるイメージがある。
さらには、一般的にとっつきやすさ、親しみやすさがあると思う(絵が得意なの?じゃあ私を描いてみて!と言われた経験が絵を描いてる方は少なからずあると思う)。美術や芸術に対するとっかかりとして、自分の存在を用いやすいという意味で、大きくいえば社会に開かれている方法であると感じている。

 …そんなことを思いながら、造形的にも人の顔が好きなので、見ながら堂々と描けるのは単純に楽しそう、とワクワクしていた。

◯目的

 本人に似せて描くことが目的ではなく、向き合い、対峙し、共有する時間を以て、身体的にも言語的にもコミュニケーションを図ることが目的である。似せて描くというより、その人の存在感や雰囲気を捉えること。また、人のもつまなざしやその効果などについて感じながら描くことで、私の普段描いている絵について考える機会とするため(差異や過程のこと、直感的な取捨選択、人・その感覚に対する想像力などについて)。

 というのは、現代において人と人とが対峙する時間そのものが減っている感覚、それによる身体性への意識の減少とともに、発露の仕方(自分の内面と外面への意識・平衡への渇望、社会における自我の保ち方など)に困難を覚える人が増加しているのではないか、という問題意識を感じているからだ。私も含め。

◯方法

 実際には、椅子2脚を1.5m間隔程度で配置してあるところに、向かい合わせて座り、はがきサイズのエンボスペーパーに、主に水彩色鉛筆、ペンを使用して描く。対象の印象により感覚的に画材と色を選ぶ。時間は15〜25分程度。

 実験的な意味合いが強いこともあり、比較的安価であろうと思われる千円で絵と引き換える。(時間を共有すること、相手も時間を割いてくれていることに有難く思う。)
他にも上記目的を検証する手段として、鏡に自分を描くもの、言いたいことを代弁し合うというものなど、いくつか実現してみたい企画が構想としてある。

・懸念点など
 勿論人によるだろうが、話しながら行うのか。そもそも即時的なコミュニケーションの中で描けるのか。どこを捉えて描くのか。私の絵柄で描くということはどういうことなのか。顔や髪の特徴や会話の有無により時間がまちまちになってしまわないだろうか。

◯結果、考察

 以下のような絵が描けた(一部)。

友人
なんと4年前にも会っていた方
遠くからお越しくださった方
住人さん、ボディランゲージ

・それぞれご本人にはふんわり似ていると思う。ただ、そもそも似ているとはどういうことなのか、顔の認識・個体識別の仕方などについても触れたいのだが きりがなさそうなので一旦割愛…

・私に質問を投げかけてくれたり、私が訪れてくれたきっかけを尋ねたり、今日あった出来事を教えてくれたりしながら、人によりさまざまなコミュニケーションの始まりがある。何を話すかそれぞれもちろん違う。住んでいる土地のこと、私の描く絵のこと、距離があるからこそ話せるのだろう苦悩のこと、顔や髪の特徴のことなど。

 当然だが、話し方も聞き方も、その間合いや興味を持つ部分も人によって違う。これまで生きてきた時間の中でのすべての経験が、この人を構成して、今存在させている、ということを感じる。そして今表出されているものはその一部でしかないこと、と共にその一部(表情の動かしかた、ふるまい、姿勢等々)には全てが感じられるような気がすること。そして、描かれている人と私の間にしか、それぞれの"自己"はないこと。そのように移ろい続けている現象が自己であるのだろうな、ということ。
 言葉にするのは難しいが、私がこれまで考えてきた、自己について、ひとの存在の仕方のようなものを実感できたように思えた。

・普段描いている絵とのちがいはなんだろうか。印象を似せて描いているということで、これが「特定的な個人」であることが強まってはいるだろう。ただ、「(その)ひとという存在があること」という意味ではあまり差異はないように思う。
 特徴的な話で言えば、前髪がない対象を描くのは難しかった。普段は前髪を含む髪の動きで空間をつくり、風があることを示していることが多いと自覚した。

 また、対象を描くときに、身体の感覚を(あまり意識せずに)想像していることに気付いた。二重まぶたを開くときの皮膚の噛み合っていく感じの少しの重たさを、自分の感覚と照らし合わせて感じるリアリティ。対象をとらえようとするとき、そのひと自身や、その身体のもつ感覚を想像していた。それは、私が普段描くときも、無意識に身体の感覚を投影している(反映されてしまう)からなのではないかと考えた。

・開催する形態によっては、対象を描く時間を決めるべきであると思われる。同じ料金をもらっている上で、言語的なコミュニケーションの密度に左右されるため。イベント的に行う場合は、時間を区切った予約制などがスムーズかもしれない。でもやはり本来は、コミュニケーションに応じる時間などは気にせずに行いたい。

◯おわりに

 このように他者と実際に関わりながら自分の探究を深めることで、私の普段考えていることや、絵のこと、そしてそのつながりのことについて、認識が深まると感じた。合わせて、ひとに説明しやすいと思った。
 そして、これは小学生のときに宿題でやった自由研究の延長のようだと思った。まとめ方は忘れていたけれど。自分の探究って、まとめようと思えば模造紙にまとめられるような…思うよりシンプルに捉えることもできるんだな、と感じた。
 また、内容をまとめるにあたり、自分の性質にも気付きがあった。「感覚的に動いてから、考える。分析する。それを次につなげる。」私のベースはそういう動き方かもしれない。感覚的に動くという中には、あらゆる経験が詰まっているし、時間を経るごとに磨かれていくものだと思う。

 今後も、自己や他者と向き合い、対峙することを大切にしながら、制作に励んでいきたいと思う。


長い文章にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

23.11.13
芹澤美咲

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イベント出展
日時:10月22日(日)12:00 — 17:00
会場:アパルトマン朝霞
住所:埼玉県朝霞市溝沼5丁目7−2
アクセス:東武東上線「朝霞駅」徒歩17分、武蔵野線「北朝霞駅」徒歩20分
主催:@oakhouse_jp

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