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リスクを負うことで自由になる?~双極性Ⅱ型でも夢をかなえる~

みなさん、ご無沙汰しております、Misakiです。辛い南米出張からようやく帰ってきました。その間、フォロワーさんやスキをくださる方が増えて、とても嬉しく思っています。ありがとうございます。

今日は、ヨーロッパ移住に際して、学生時代の恩師からいただいた直筆のメッセージを自分なりに解釈したいと思います(写真)。Leo F. Buscaglia氏の言葉で、リスクを負うことについて書かれています。

笑うことは、馬鹿にされるリスクを負い、
泣くことは感傷的に見えるリスクを負う。
他者に手を差し伸べることは、巻き込まれるリスクを負い、
感情をさらけ出すことは、本当の自分をさらけ出すリスクを負う。
自分の考えや夢を大勢の人の前に置くことは、それを失うリスクを負うこと。
愛することは、愛されないリスクを負い、
生きることは、死ぬリスクを負い、
希望を持つことは、絶望を味わうリスクを負い、
挑戦することは、失敗するリスクを負う。
しかし、リスクは取らなければならない。なぜなら、人生における最大のリスクは、何もリスクを取らないことだからだ。
何もリスクを冒さない人は、何もせず、何も持たず、何もない。
彼は苦しみや悲しみを避けることができるかもしれない。
しかし、彼は学ぶことも、感じることも、変化することも、成長することも、生きることもできない。
隷属に縛られた彼は、すべての自由を失った奴隷である。
リスクを負う者だけが自由なのだ。

Leo F. Buscaglia

みなさんはこれを読んでどう感じましたか?
わたしはとある経験と結びつき、とても納得しました。

私は海外で修士を取得しましたが、海外留学はとてもお金がかかります。おかげさまで私は奨学金をいただき、留学することができたのですが、コロンビア人の親友Eちゃんは、一年目だけの奨学金だけを頼りに留学していました。

一年目は必死に二年目の奨学金を探していました。結局、奨学金はみつからなかったものの、授業を免除申請したり、有給インターンに合格するなどしてなんとか修士を修了しました。そしてそのインターン先が国連だったのです。今も彼女は実績を残し、国連で働いています。

日本人の感覚だと、二年目のお金の当てがない中で留学にはなかなか踏み出せないと思います。それでも彼女はリスクをとって留学し、最終的に国連までたどり着いたのです。

もう一人、親友の中国人のUちゃんも、修士終了後、博士課程に進学するため、約1年間無職のまま応募し続け、無事ドイツの大学に就職することができました(ヨーロッパで博士課程をする場合、結構な割合で給料が出ます)。

ポストが見つからないリスクを負いながら、一年間信じて、何度も落ちながらも根気強く応募し続けたからこそ、拓けた道です。

私は彼女たちからリスクをとることを学びました。

躁鬱の方は独自のリスクを負わなければならないこともあると思います。躁転や鬱転するリスクを抱えて転職することや、結婚・妊娠・出産・子育てなど。

何かに挑戦することは、リスクをとること。そしてもちろん恐怖がついてきます。

それでもリスクをとるのは、自分の可能性を広げられるからからではないでしょうか。怖いといって自分の殻に閉じこもっているだけでは、その殻に自分を閉じ込めていることと同じなのだと、Leo氏は言っているのだと思います。

もしリスクをとるかとらないか迷ったら、この言葉を思い出していただければ幸いです。

今日も読んでいただきありがとうございました。

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