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見上げればいつも四角い青空#1

あなたが見上げる青空は、どんな青空だろう。

ボクが、江戸城を囲むこの辺りに住み始めて、いつの間にか20年以上が経過した。何度か引っ越しもしたけれど、ボクの部屋から見える青空は、いつも高いビルの壁面に切り取られた四角い青空だ。

「東京なんて…」

東京への転勤が決まった当時、ボクにとっての東京は、永住の地というよりも、どこの田舎にもいる若者と同じように、少しの間、遊びもかねて滞在する、外国にも似たような別世界だった。

だからこそ、東京にこんなにも長く住むなんて考えてもいなかったし、そうじゃなかったとしても、いつの日か両親の住む地元へ帰る日が訪れ、未練も後悔もなく去り行く仮住まいの土地だと思っていた。

実際、転勤とはいっても、当初の2年間は、とある郊外の居住空間を併せ持つ研修所の研修生という名の、ある意味、学生のような時間を過ごすことになっていたから、なおさらだった。

上京して二度目の春を迎えたころ、研修終了後の配属先と、配属後も東京の本社で積み重ねることとなるキャリアプランがぼんやりと示されたけれど、それでもなお、いつの日か去り行くこととなると思っていた。

研修期間が終わり、配属された先での仕事は、想像していた以上に忙しく、体を壊すのではないかと思うほどの日々だったけれど、幸か不幸か、とてもおもしろかった。

ボクには、父の仕事を継ぐという選択肢もあって、両親ともにそれを何とはなしに望んでいたことも分かっていたけれど、忙しくて体を壊してしまいそうな日々と、おもしろさとを天秤にかけると、いつも、ほんのちょっとだけおもしろさの方が上回っていたから、その選択をすることができなかった。時間とともに、仕事の内容は変わり、環境も変わり、ポジションも変わったけれど、今も20年以上前のそのときと同じように、ほんのちょっとだけおもしろさの方が上回っている状態の中で働いている。

そんな中、コロナ禍で世の中は地球規模で大変なことになったけれど、春は、毎年変わらず、そして今年もいつもと同じように訪れてくれた。

20年来、住み続けたおかげで、さくらの名所が鈴なりに連なる江戸城を囲むこの辺りで、どのさくらが、いつ頃きれいに咲いてくれるかということも知るとはなしに知るようになった。今年は、例年と比べて少し遅れているけれど、いつもどおりに楽しませてもらっている。

そんな風に時間を過ごしていると、いつの間にか、地元に住んでいた時間を逆転してしまった東京で過ごす時間が、ボクに、「さくらのことに限らず、この土地の色々なよさを知っているだろう?」と気づかせてくれる。

そうして、ボクの部屋から見える青空が、いつも高いビルの壁に切り取られて四角くしか見えなくても、いつの間にか人生の半分くらいを一緒に過ごし、ボクを形作っている一つの青空なのだと、愛おしく思うのだ。


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