メサイアコンプレックスの克服②

前回の嫌われる私に向き合う

初っ端から猛烈な空腹に襲われ、そば2人前をぺろりと平らげた。そんな私も私が許そう

治ったらストレスが減るのよ

ことごとくメサイアコンプレックスの悪行を読み、それ以外の一般ピープルが身を守る術に及ぶ。舌打ちをしながら一般ピープルって偉いんだなと卑屈に構える

もうさ、揚げ足取り。元も後もない。

悪行と言われることは腹が立ってくるので、もう過程はあとからにして改善方法を読む


ここから引用して振り返る

①「ありがた迷惑」になりうる危険性を自覚

②助ける相手の気持ちや意見を汲み取る

相手が今何に困っているのか。相手はどのような支援を求めているのか
どの程度なら相手が自分の力で問題に対処することが可能(=救済する側の手助けが不要)なのか

対話を重ねて相手の困っている事をしっかり把握した上で適切に助けていく

場合によっては自分の出る幕はないと判断できたら、潔く引き下がることも大事


どこか中途半端…悪く言えば、助けるのに必要な専門的な知識を学んでおらず、感情につき動かされるかのような助け方。精神論、オカルト、似非科学のような、胡散臭さや疑問点が多く見られる助け方をやめる

③メサイアコンプレックスが行う救済は、他人の不幸につけ込み自己満足のために他人の人生を消費している


問題の根本的な解決につながるような支援を行うことが大事

④勝手に困っていると他人を決めつけて見下していることを自覚する

親切心が溢れている素晴らしい人のように見えても、実は相手の事情を無視し、自分の私利私欲のために善意を押し付けてくる

大変失礼な人≒メサイアコンプレックス

「助けてあげる」
「私が何とかしてあげる」
「私の言う通りにすれば大丈夫」
と相手の立場や能力を過小評価し、自分こそが正義であると確信する歪んだものの見方(=認知の歪み)のせいで、

⑤目の前の人を助けられないどころか、不愉快にさせている可能性を自覚する

⑥助けたい人を一人の対等な人間として尊重する


メサイアコンプレックスは、助けると言う行為の結果として問題が解決し、悩みを抱いていた人が自分の元を離れる…、という、一見すればめでたしめでたしな状況に対して、「誰かを助けると言う願望を満たしてくれる人がいなくなる」と言うジレンマを抱えます。

「誰かを助けたい」でも「助けを求める人がいなくなるのは嫌だ」という相反する願望を抱えた末に、いつまでも自分のことを必要としてくれる困った人がいる状態…つまり、共依存関係に陥る

困っている人が、自分の助けを求めなくなることを恐れて精神的に支配や束縛をするのではなく、助けた人の今後の人生や考え方を尊重して、一人の対等な人間として接していくことが欠かせないのです。

⑦詐欺などの犯罪に巻き込まれるリスクについて自覚する


メサイアコンプレックスの人から見て困っていると思われる人は、必ずしも善良でやましさところが一つもない人ばかりではありません。

自身の金銭に関するだらしなさのせいで借金を抱え、他人の資産を利用してでも借金返済を考えている人。
マルチ商法に多くの時間と金銭を費やして引くに引けない状態になっており、自分が生き残るための新たなカモを探している人。
法律や道徳、倫理に反する、反社会的行為(犯罪含む)の手助けをしてくれる人を探している人。
たとえお互いに不幸になり世間からの理解が得られなくなろうとも、誰かに精神的に依存して破滅的な人生を送ることを求めている人


救済が原因となり自分にも被害が出てしまう人もいる

最課題


自分は特別な存在(メシア)であるという傲慢を捨て、現実との折り合いを付ける

メサイアコンプレックスのように自分自身を救済者と思い込み、勝手に困っている人を作り上げて自己満足のために助けると行為は、現実と折り合うことを避けて傲慢なままで続けられる救済者と言う立場に固執している精神的な未熟さ

なので行動を正す


★★★★★


さて、反省タイム

自覚しろ!ですね。まずは、思い当たることばかりでうっすら分かってるんです。でも自我や自分を亡くすようで出来ませんでした。つまらない自分で生きるようだった。親や身内はメサイアコンプレックスを発動しても血の繋がりで関係を調整してくれました。しかし、恋人は他人です。離れることも逃げ出すことも容易いのです。だからあからさまに見捨てるのです。恋や愛など儚い。

過去の彼に関しては、ありがた迷惑行為を繰り返してました。偏頭痛、胃腸が悪い、視力が悪いに関してめちゃくちゃ調べて送りつけたり。サプリメントもあげ続けました。一応参考サイトなども送りつけ総合判断は委ねるものの絶対的自信にたじろいていたんでしょうね。必要な事もお前からもらったら興味もてないんだけど!的な

結局、当時私がめっちゃ勧めてたときは疎まれたのに、後程他の情報を元に○○が良かった!とか書いてるのを見て、私の信頼のなさに愕然としたものです

⑦に関しては、少々嘯いてる相手もいたんですが、私運いいからきっと悪いことなら相手から自滅すると思い込んで突き進んでいました。というか、結果そうなってたように思い私から離れる人は運を捨てるんだなと言い聞かせてたのです。まさにオカルト。

実害ない気がしてましたが、いつかしっぺ返しが来るかもしれないので本日から危機管理をもつようにします

そして、サイトでも最も克服しなくてはいけない、現実との折り合いと傲慢を捨てることに関して。正直、傲慢な人は傲慢だと思ってないはずで、思い当たりそうだけどこんな酷くないだろうと甘やかしてしまいます。これこそが傲慢そのものなんです。

そして逆ギレのごとく、やはりなんで私だけ向き合ってもっと悪い人いるのに戦わなんなきゃならないの?となりかねません。いや、すでに書いてる時点でアウトです

しかし、前回の日記の結び

愛し愛され生きるのさ〜とオザケンの名フレーズと共に私の人生のテーマを奮い立たせるのです

なので私は成し遂げ

幸せになろうと誓います

優しさを、ちゃんとした認められる優しさに変えて生きやすく過ごしたいのです




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