【洋食店オーナーの創業企画メモより】

2016.5.by K.
小さい頃に、よく連れて行ってもらった店がいくつかあるが、
そのどれもを今でもよく覚えている。

家族みんなが大好きだった洋食屋さんは無口なオヤジさんがやっている店だった。
デミグラスソースやナポリタンが何でか分からないけど堪らなく美味しくて、 よくシャツを汚して怒られた。

客席から少しだけ見えるキッチンの中には、
何か窺い知れない大人の世界みたいなものが広がっている気配がしていて
そこから時折出てくるオヤジさんの、体に馴染むまで着こなされた白いコック服の背中には、
オヤジさんが人のために費やした時間の重さみたいなものが、
見える気がした。

とにかくとにかく、そこで食べるご飯は何でも美味しかった。

-----

学生時代に、初めて人に振る舞った料理で賃金をもらった。
今思えばなんのことはないアルバイトだ。
きちんとマニュアルの中で作られたものを提供することで、安定した企業の味をお届けするのが仕事である。
それでも自分の作ったものがその人の口から入り身体を作るものになる様子を初めて見ると、なんだか不思議な感覚だった。

そして一緒に働く中に一人、すごい人が居た。
今考えると、おそらくどこかの偉い料理人の方だったのだろうと思う。引退後も好きで料理に携わっているのだろうな、というのがよく分かる、面白い人。
よく喋る、笑顔のとても柔らかい人だった。

何がすごかったって、その人が作るメニューはいつも、魔法をかけたのかと思う位美味しかった事である。(勿論、店舗のメニュー。皆と同じメニューの筈なのに!)
やがて彼の隣にぴったりと張り付いて、
手仕事の様子を見るようになった。

その人は何でも惜しみなく教えてくれた。
そしてすぐに分かったのは、あれは勿論魔法なんかじゃなかったということ。
かけていたのは魔法ではなく、食べる人のことを最初から最後まで考えた"気持ち"と"細やかな手間"。
ほんの少しの気持ちを、手間を加えるだけで、
味はガラッと変わる。

ー良い食材で美味しいのは当たり前だな。
考えるのは、目の前にある"この"食材を、
如何に美味しく食べて頂けるか、だねぇ
ー善いだの悪いだのと食材の所為にする前に、出来ることは全部やってみるんだよ
ーほれ、これだけ向こうの人(食べる人)のことを考えながら作ってんだ、
美味くならないわけがないだろ?

そう言いながら朗らかに笑っては、楽しそうに食材の下拵えをしている姿は
とてつもなく格好良い大人として自分の中に残っている。

本来なら小さな1ページで終わる学生のアルバイトだったけれど、自分の料理への原点は間違いなくここだったとはっきり言える。学生時代は結局ずっとその人の真摯な横顔を見ながら過ごし、本当に多くのことを学ばせてもらった。

そして僕は卒業。
僕は同じように、手間暇をかけて喜んでもらえるものを作る道を選んだ。
洋食屋のコックとしてである。

(文・misaco)