三島由紀夫 『卵』
もしも卵が喋ったら…卵がヤジを飛ばしたら…もしも「卵刑法」があったなら…。
今日は、先日読んだ三島由紀夫短編集の中で、最も印象深かった『卵』の感想について書きたいと思います。
あらすじ (ネタバレ)
この物語では、タイトルの通り「卵」が鍵になっています。
主人公 (といっていいのか微妙な)の5人の学生たちは、どいつもこいつも変なやつ。女たらし、怪力、嘘つきなど…個性豊かな5人は共同生活をしています。
その朝食時、必ず生卵を飲むことが5人の習慣でした。
そんな5人が一緒に飲みに行った帰り道、突然警官らしき人に呼び止められます。ですが、その顔を見てびっくり!なんと、のっぺらぼうなのです。
複数の警官らしきのっぺらぼうに連行される5人は、途中でその顔がつるんとした卵の殻であることに気づきます。
裁判所のような場所に引き立てられた5人の学生。周りには、様々に着飾った卵たちが観覧席に座っています。もちろん、裁判官も、弁護人も、検察官も卵。
5人は、残虐にも、生卵を何回も丸呑みしたことを咎められます。「卵刑法」にのっとり、5人を「目玉焼き」によって死刑にすることを検察は求めます。
弁解する暇もなく裁判は進み、いよいよ判決が下される…。裁判長が判決を言おうとしたその時、5人のうちの1人が【裁判所をよく見てみると、フライパン状になっている】ことに気づきました。
その直後、死刑を宣告され、直ちに実行されそうになります。しかし、5人は最後のチャンスにかけて、フライパンの持ち手に上り、思い切り体重をかけることで【フライ返し】を成功させました。
卵たちはぶつかり合い、また鉄にぶつかり、みな粉々に割れてしまいました。最後には、生卵だけが残り、これを5人は持ち帰って、また毎朝飲むことにしました。
なんじゃこの話
私の拙い再現能力のおかげで魅力半減ですが、本当にこういう話なのです。三島の経歴やその最期からは想像できないような「空想の滑稽話」です。
でも、不思議と、この話を読んでいて【安心】している自分に気づきました。もちろん、面白いからリラックスできた、という点はあると思います。
それ以上に感じたことは…
「わからなくていい」安心感
これです。わからなくていい、ということに安堵を覚えたのです。
日々の生活では、ほとんどの成人の方は【色んなことをしっかり分かってなければいけない】という、半ば強迫的な要求を背負っています。
家族のこと、お金のこと、将来のこと…色んなことを分かっていなければ、大人としての責任を果たせない、という感じで。
私自身も、20才という節目を迎えてから、自然とそのように感じるようになりました。
でも、このお話を読んでいる時には「別にわからなくてもいいんだ。だって、卵が喋るくらいだもの」と思えていた気がします。
このお話を読んでいた束の間の電車内で、私は責務から解放された、【子供】に戻ったかのような気持ちになっていたのでした。
それならSFでもよくない?
ここまでに述べてきたことは、SF作品にも言えるのかもしれません。
が、どうもこれは【完全なファンタジーのお話】を読んでいる時には感じなかった感覚です。
このお話は、卵が喋ったり裁判をする点を除いては、かなり現実っぽく描かれています。路地の様子、食事の内容などは、至って普通なのです。
この、【現実世界の中に存在する特異性】が安堵感を生み出した原因かもしれません。
まとめ・たまには現実逃避しよう
日々の生活から少し離れて、健全な「現実逃避」をすることも、とても大切だなと感じました。
現在、図書館に通うことが習慣となってきていますが、4冊決まって借りる本のうち、1冊は必ず小説を借りることにしています。
筆者は今、ちょうど就活中なので、いわゆるビジネス書を借りることが多いのですが、息抜きとして読める小説も借りることで、【現実】と【現実外】をいい塩梅で行き来できています。
小説っていいなあ。
読書感想文を馬鹿にしてきた十数年を反省した筆者でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?