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生きるって、結局なんなん

「生きるって、結局なんなん」

それが、私の中で避けて通れない問題となったのは、就職活動を始めてからだ。

世でいえば「そこそこいい大学」へ行き、長期留学もして、家族に囲まれて暮らしている自分が、まさか【たった一つの疑問】によって死ぬことを真剣に考えることになるとは思ってもなかった。

この問題に明確な回答は存在しないと思う。個人によって、回答は違うからだ。

しかし、「世の中の人全てが答えを持っている」というのもまた違うと思う。もっと無意識に、流れるように生きている人も多いのではないだろうか。もしかしたら、この問題の存在に気づいたけれど、生きるためにあえて無視している人もいるかもしれない。

この疑問の厄介な点は、【最も簡単に心の底から絶望する方法】であるからだと思う。

この問題を考えるとき、今までの人生や今の環境を振り返る。そして、答えを探そうとする。しかし、十分な判断材料がない場合、「今まで何してきたんだろう」と簡単に絶望できるのだ。

(実際私も絶望し、特急列車の走る線路沿いまでは歩いて行ったのだが)

進化の結果として得た「将来を考える力」

ああ、悲しきかな、ホモ・サピエンス。とある医師は、人間の進化についてこう述べている。

私たちは現代ホモ・サピエンスとして、およそ四万年前以降、一般的に自伝的記憶と言われる能力をものにした。自伝的記憶とは、自分を過去だけでなく将来にも投影する能力だ。(E. フラー・トリー 『神は、脳が作った 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』ダイヤモンド社)

今の先にある未来について考える能力は、ヒトが進化の結果として得た果実なのである。しかし、その能力で首を絞めることにもなったのだと思う。

じゃあ、どうすればいいのか

今までつらつらとネガティブなことばかり書いてきたが、ここで2020年8月3日現在の私の回答を書いておきたい。

それは、【人を幸せにするために生きる】である。

なんだ、しょーもない答えだな、と思われても仕方ない。ここまで読んでがっかりした人もいるかもしれない。

ただ、自分の中では、まだ自分のために生きる理由は見つけられていない。例えば、「偉くなって、お金持ちになるため!」とか、そういう理由を胸を張って言えたら、本当に幸せだなと思う。

自分の幸せすらなくす程に絶望したあげく、なぜこの回答になったのか。それは、ただ単純に、私の性格上そうなってしまうからだ。

目の前にいる人が喜ぶ。ここに強く幸せを感じる自分を発見した。アルバイトでやっているレジ打ちでも、他の人に比べて躍起になって働いている理由はそこにある。目の前のお客さんを幸せにして帰したいからだ。

一応の回答として、これを編み出した。これからライフステージの変化によって変わっていくだろう。しかし、一応の回答、いわば仮説を持って進むことが大切なのだと思う。

今回の回答も、真剣に考え詰め、本を読み、いろんな人の話を聞いた上で得られたものであって、もし「絶望の末に自殺」していたら、ここには至れなかった。一応の回答を持ち続けることが、人生を生きる上で必要なのかもしれない。

(自殺とか軽々しく言うなよって思ったそこのあなた。人って意外と簡単に死にたくなれるんですよ。本気でこの問題を考えれば、ね)

まだ旅は続く

先にも言ったように、この問題には明確な回答がない。時々刻々と【回答】は変化し続けている。

よく「考えてから走る」か「走ってから考える」かと言われるが、今の時代を生きるためには「考えながら走る」と言う姿勢が大切なのではないだろうか。

そんなことを考えながら、柿ピーをつまむ吉田でした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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