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Reading for Action ・ 心がふーと深呼吸した1冊 ”反応しない練習”

こんにちわ。がんリハ1年生のミサです。
親の介護を始めると、それまでのお互いの関係性や長い年月の間に生じた小さなキズやボタンのかけ違いが凝縮されて、時にでっかい爆弾に変わることがある。できれば笑顔の下に隠しておきたい本音が、ひょこっと顔を出してきて、焦ることもしょっちゅう。優しくしてあげよう・・・と思いながらも、収集がつかない感情の矛先を正直に向けてしまうこともしょっちゅうです。
「あ〜・・・やっちまった〜」というやるせない気分とともに、惨めな気分の自分のやり場に困ることもしばしば・・・。

介護を通していい時間を過ごした・・・と言った内容のFaceBook投稿がちらほらあり、笑顔で親と一緒に写した写真とたくさんの感謝の言葉に阿良に追い討ちをかけられる。それらを見て、きっとそのうち・・・と言い聞かせている自分がいる。

健康かどうかに関係なく、人と共存していくためには感謝の気持ちや配慮は必要不可欠だと思っている。でも、ギリギリいっぱいな状態で自分を支えている介護される側の人には、そんなゆとりはないのだろう。「自分はできる」を誇示したくて時には人を傷つけるようなセリフを吐いてしまうのかもしれない。そんな時、その人もそのことを悔いているのだろうか?

介護する側に、後もう少しの優しさが必要だったのかもしれない。
そんな理解がないわけではないが、こちらの都合を全く考慮せずに、お金も時間も労力も持ち出されてしまう介護する側は、少しくらいの愛情や配慮を見せてくれてもいいのでは・・・とついつい期待をしてしまう。
期待しては裏切られ、自由なはずの自分時間を失ってしまった虚しさから、また自分を嘆く。

「心ないセリフにはもう慣れっこ・・・」と思うが、私だって辛く悲しく感じることもあれば、心を蝕まれることもある。
でも私は、自力で生活する術を持ち、他に集中する活動や仲間があるおかげで、切り替えることができる。少しの時間であったとしても完全に忘れてしまえる時間を持っている。身体だって自由に動く。多少は耐えよう・・・そう思い直す。
だけど、やっぱり辛いものは辛い。

「死にざまは生きざま・・・だ」と実感する。
考えてみれば当たり前のことかもしれない。
普段からあまり使われていない神経や脳は活性化されにくく、よく使っていたそれらは十分すぎるほどに活性化されている。制限のある生活の中では、その得意(特異!?)なパターンがより強化された形で表出されるのは神経学的にも当たり前なこと。

辛い・・と呟くと、そんな介護ならやめて仕舞えばいいと人は言う。
確かにそう思う。
”長女病”と揶揄する人もいるけれど、私はすると決めたのだ。
ただ相手が想定以上に手強い。そのせいで、強靭な私の心も時に大声を上げて泣きごとをいいたくなるのだ。
だけど、私がしてあげられることを、できる範囲でしてあげる。してあげたい。
そこは揺るがず貫いている。
どうしてもダメな時は逃げたらいい。
どれも能動的で、自分らしくていいよね。
もし贅沢を言っていいのなら、私の嘆きを広い心で受け止めてくれる誰かがいればなおいいのかも・・・。

きっといい方法がある。私が気付いてないだけ。試せていないだけ。
心が通い合う日が来る・・・かもしれない。
それが無理でも、心のどこかで「あの娘がいてよかった・・・」そう思ってくれたなら、動き辛く不本意な生活の中にも多少の幸せや優しさを感じることができるのじゃないかな・・・。そうであってほしいと相変わらず夢みたいなことを思っている。

願わくば、お互いに心から「ありがとう」と思える日が来て欲しいな。
何があっても大丈夫・・・そう思える自分でいようと思っている。
それでええんやで・・・そう言ってくれる1冊を紹介したいと思います。

今日のBook

私の好奇心・知りたいこと

反応しないとは具体的にどういうことか?
動じない私になりたいわけではない。今よりも良好な関係性を築きたいと思っているのに反応しないという戦略はどうなんだ?
怖い・・・と思うその気持ちへの対処法は?
反応しなくなり関係性は楽になったとしても、例えばTVショッピングで大量に不要な物(と私は思っている)を購入して散財(と私は思っている)をする・・・この問題は消えるの?

Key Words

全ての解決法・正しく考える・反応しない・まず理解する・きちんと見る・判断しない・小川のような心・慢・承認欲求・真実であり有益なこと・自分を否定しない・相手に委ねる・整理する・妄想・ブッダの教え・相手はいつも初めて会った人・一緒に理解する

要点・感想

  • 悩みは心の反応。それなら無駄な反応はしない。

  • きちんと見ることから始める。それを次の3つに分類する。言葉で確認・どんな感覚を持ったのか意識を向ける・頭の中を分類する

  • 仏陀の教えは宗教ではなく考え方。次の2つで構成されている。心の反応を見る・合理的に考える

  • 執着することは苦しみのもと。物事・人は無常である。過去を引きずるから怒りが出てくる・・・ということはわかる。初めて会う人と思えば、いちから正しく知ろうとする。そう言うことをすることさえ時間の無駄に思える相手なら再度会わなければいいのよね。過去を引きずらず常に新鮮な気持ちで、”正しく知ろう”と好奇心を持って向き合えば、”だれた”関係には無縁になれるはず。相手との関係性と自分の感情・反応を分ける。

  • 行動の原動力となるのは、承認されたい気持ちと快を求める気持ち。時としてこれらは”慢”である。役に立つもの(有益)かどうかを考えてみる。真実かどうかを見極める。

  • 自分の心を取り戻すには、黙々と歩く(千日回峰行はこの修行なんだろうなぁ・・)・周りを見渡す(メタ認知的な視野を持つということか?)私は私を肯定する(つまり反応せずに、そういう思いが”ある”と捉える)・・・と唱える。ちょっと引いたところから自分を見ていればいいわけね。

  • 相手と自分を分けて考える。これが大事。ついつい自分の価値観で計測してしまう。相手の反応は相手に委ねる。私は反応しない。心をふたつに分け、前側で相手をただ見る、後ろ半分で自分がどのように受け止めたのかを見る。相手に対して感情移入をしすぎない。私は私。相手は相手。冷たいように感じるが、自分ではどうしようも無い物を動かそうとしていただけかも。瞬間湯沸かし器のように、怒りを感じることはなくなった。仕方がないこともあると思えるようになっている。これはいいことなのか・・・・。

  • なんとなく知っている「ラベリング」や「ボディースキャン」、「歩行瞑想」などがブッダの教えと結びついた。

My Action

事実と感情を分ける。
客観的に冷静に少し他人事のように事実を見つめてみよう。
それに対して、悲しんでいるのなら”悲しい感情がある”と認めてみる。
全て一つ一つ丁寧に理解してみようと思う。

素直になる。
そして、自分を自分で肯定し続けよう。

相手のことは判断しない。
所詮わからないからね。
相手のセリフを特殊な翻訳機に通してみたら「ありがとう」だったってことがあるかもしれない。きっとそうだと思っておこう。
心は分けておく。

仏陀の教えを思い出す。
 1、心の反応を見る
 2、合理的に考える

自分を取り戻す必要がある時には
 1、歩く 気が済むまで歩いてみる
 2、世界を見渡してみる そんなゆとりを持ってみる 
 3、私は私を肯定する・・・と唱えてみる

判断せずにきちんと見る。
 1、言語化する
 2、身体の感覚を抜き出して意識する
 3、心の状態を貪欲・怒り・妄想に分類する
自分にもっともっともっと・・・意識を向ける。

心が大きく深呼吸した後のような、すっきりした心地よさを感じる。
時には辛いことがあるかもしれないけれど、私は私・・・。自分にできることを、してあげたいことを、したいからしているだけ。

揺れることがあってもまたそんな境地に戻れるように、静かに自分の心の反応を少し引いたところから眺める時間を持ってみよう。

以上が今の私にとっての”反応しない練習”の覚えがき。
あなたにとって必要な要素も本書を手にとって探してみられるのはいかがでしょうか?

そしてもう一つ、Audible版が超おすすめです。
著者自身の朗読で、わかりやすく言葉がたされていたり、感情がこもりすぎて笑えてきたり・・・楽しく聴けます。
そして、著者が過ごしてこられた波乱万丈な人生や穏やかな毎日を耳から知ると、本からとは違った情報のように新鮮に思えました。

今日はこの辺で・・。
素敵な1日になりますように!!
Have a Nice Day!!



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