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「好き」の沼にはまる場所

椎名林檎の「月に負け犬」という歌の始め、

好きな人やモノが多すぎて見放されてしまいそうだ、

まさにこの気持ちになってしまう場所が、わたしには3つある。 

まずは、大型本屋さん。 読んでみたい本がありすぎて、「もう無理だ、、選べない、こんなに買うお金も時間もないし、世の中には読みたい本が多すぎる!」って、気持ちが高まっていくとき。 店内ぐるぐる廻って、あれもこれも面白そうな本や雑誌の表紙が、「新しい世界への扉」に繋がってる(常套句でごめんなさい)、可能性がありすぎて、バタンQだ。

次にSpotify。 ランダムに流れている曲に、突然自分の大好きな曲を新たに見つけて、「何これめっちゃ好き、やばいぞ」って独り言ちて、アーティストを調べて、過去のアルバムを探しているとき。 海外のインディーズだろうが、過去のマイナなアルバムだろうが、何でもすぐに聴けるっていうのは、昔では考えられなかった。 私のオタク心がくすぐられて、ついつい「おすすめアーティスト」のアルバムを聴いて、、その繰り返し。

そして最近は専らこれ、noteだ。 読んでみたい面白そうな記事、マガジンがありすぎる。 何気なくサーフィン読みしていると、あっという間に時間が経っている。note沼だ。 あっちには、料理のことが、こっちにはビジネス、あっちには自己啓発、こっちにはお酒、あっちには家族、こっちには恋愛、おしゃれ、モノ、コト、日常、音楽、悲しい、嬉しい、なんてことない、つぶやき。

一人ひとりのnote にほっこりしたり、励まされたり、驚いたり、尊敬したり、救われたり、学びがあったり。 たくさんの人の、たくさんの話。 自由に、誰かが、書いている、発信している。

こんな時、目の前に広がる「好き」の可能性に、何というか、途方に暮れる気持ちになる。 そこにはどこか、全部を味わい尽くすことなんて絶対できないのだ、という諦めの感情も混ざっていて。 また、『そんなに「好き」を広げて大丈夫なの? 自分の興味がブレてしまわない?』と、ツッコミ役のもう一人のわたしが言っているのも聞こえる。

でも、いいのだ。 わたしは、好きなものが広がっていく時の、途方に暮れる感じ、それも含めて楽しんでいるんだから。 今は、だから、ジャンルを考えないで、いろいろな方向性の興味を、このnoteで気軽に取り入れていきたい気分。 もちろん、情報が多すぎてパンクするのは避けたいけど、そこは上手くコントトールしながら、ね。 

「好き」の海に怖気づくことなく、しっかり泳いで、遠くに行きたい。


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