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虚飾の楯

私が通っていた高校では、いずれかの条件をクリアした生徒に楯が贈られた。
・3年間無遅刻無欠席
・3年間部活を続けた(転部は不可)
・3年間Aランクを取り続ける…
あとは明確に知らないが何か結果を出さないといけなかった。

Aランクとは、テストの順位で上位5%の生徒のことであり、私にはたった1度でもAランクになる自信がなかった。


人生で一度だけでも楯をもらってみたくて、無遅刻無欠席に努めたが、1年生の始めで風邪を引いてしまった。それでも意地で登校したが、保健室送りになって結局帰らされてしまった。
(※このお話はコロナウイルスが発生する前のことである。)


残るは部活。硬式テニス部に入ったが、数ヶ月後には同級生の主張の強い子に目をつけられ、ひとり浮いてしまっていた。それでも「逃げちゃダメだ」と言い聞かせやめずにいた。

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中学の時、私は1年の始めから夏休みまで吹奏楽部にいた。しかし先輩からの嫌がらせに耐えきれず、ソフトテニス部へと転部した。
(詳細は別の投稿にてする予定)
その時、とても親身になってくれた恩師に
「次はやめちゃだめだよ。逃げ癖がつくから。」
と言われたのをハッキリ覚えている。強くならなければ…そう思うと同時に、本当はまだ耐えないといけなかったのではないか、途中でやめた私は駄目なやつなんじゃないかと思った。
激励のつもりだろうと頭の片隅では分かっていたが、私には呪いのようだった。
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平日・土日はもちろん、学校行事の準備期間やテスト期間など部活禁止の期間でも、硬式テニス部だけは大会があるからと部活をしていた。もともと人見知りがちでクラスでも上手くやっていけていなかったが、仲良くなるきっかけになりやすい行事さえまともに参加できなくて、孤独になるばかりだった。そうは言っても、部活をやめたってクラスで上手くやっていける自信もなかった。

正直、何度も辞めようと思ったことがある。休み時間に職員室の前までいって引き返したこともある。唯一話せそうと思った、部活とは無関係の先生に面談時間を設けてもらったが、思いを言葉にしようとすると先に涙が出てきて何も言えなかった。


2年生になって、同じクラスでとても大好きな友人ができた。部活は相変わらず辛かったけれど、普段の学校は楽しくなった。彼女は私の変なノリにもノッてくれて、とても優しい人だった。そして彼女の描く絵はそんな優しさを感じるようなあたたかさがあって、とても素敵だった。


3年生になって彼女とは別のクラスになってしまった。2つ隣のクラスがとても遠く感じた。会いに行くことは出来なかった。私は新しいクラスに馴染めなくて、そんな私に会いに来られても迷惑なんじゃないかって。なんとなく、新しいクラスの中で人間関係を作っておくべきで、別のクラスになってしまった私と関わり続けるのはデメリットでしかないだろうなって…。

部活では最後の大会で早々に負けて、すぐ引退になった。悔しいという気持ちはなくて、"やっと終わった、逃げずに耐えた。これで楯がもらえる"と思っただけだった。勝ち残ったメンバーに対しても何の気持ちも感じなかった。

部活は引退したものの、既に関係が出来上がったクラスで後から入り込めるグループなんてなかった。結局毎日孤独で、自分の存在意義を考えていた。そのうち登校するだけで吐き気がして、保健室登校を数日だけした。でもこのまま保健室に通うともっとクラスに行けなくなる気がして、むりやり教室に戻った。学校をやめて働くことも考えたが、とても私なんかにできる気がしなかった。ただじっと高校生活が終わるのを待っていた。


そしていよいよ卒業式の日。あれだけ欲しかった楯を手にしたのに何も感じなかった。自己肯定感の為に耐えぬいてきたのに、手に入れた時には自己肯定感はズタズタだった。


帰り際、クラスメイトに寄せ書きをお願いされた。当たり障りないことを書いていくうちに、思うところがあって2つ隣のクラスへ。大好きな友人に、ほとんどまっさらな私の卒業アルバムを差し出した。当時は私が彼女に関わることに抵抗があったが、最後くらい良いよね、と思い切って寄せ書きをお願いした。メッセージをもらって、私も彼女のアルバムに書いた。大好きだと思える人に会えたことが今でも大切で、楯なんかなくたって良かったのだと気づいた。みんなが名残惜しそうに教室で過ごしている中、私は軽い足どりで学校を出た。

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今回は閉鎖するブログからのリライトを投稿してみました。卒業シーズンということもあって、当時のことを少し思い出していました。
私の中で一番長い黒歴史は高校生の時でした。あまり思い出さないようにしているうちに、だんだん記憶がなくなってきました。ただなんとなく辛かったなという感じはします。そんな中出会った数少ない友達(と思ってるのは私だけかも知れないけど…)に感謝も込めて文章にしました。今となっては連絡先もわかりませんが、どこかで元気にしているといいなと思います。

いつもありがとうございます(´▽`) 頂戴したサポートは学びや経験にかえて、noteに綴らせていただきます。